おもしろローカル線の旅78〜〜甘木鉄道(福岡県・佐賀県)〜〜
地元で〝甘鉄〟と呼ばれ親しまれる福岡県の筑後地域を走る甘木鉄道は、旧国鉄の路線を引き継いで生まれた。第三セクター方式で運営する路線の多くが運営に苦しむなか、経営状態も良好で〝三セク鉄道の優等生〟と呼ばれることもある。実際、どのように列車を走らせているのか、現地を訪れ、列車に乗車して確かめてみた。
*本原稿は2021年までの取材記録をまとめたものです。新型コロナ感染症の流行時にはなるべく外出をお控えください。
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【気になる甘鉄①】朝倉軌道という妙な鉄道が走っていた
東日本では「あまぎ」といえば、伊豆の天城峠を思い浮かべる方が多いのではないだろうか。九州では旧甘木市(現在は隣接の町と合併して朝倉市に)であり、甘木鉄道であろう。まずは概略を見ておこう。
路線と距離 | 甘木鉄道甘木線/基山駅〜甘木駅13.7km、全線単線非電化 |
開業 | 1939(昭和14)年4月28日、国有鉄道甘木線、基山駅〜甘木駅間が開業。 |
駅数 | 11駅(起終点駅を含む) |
筑後地域には甘木鉄道が走り出す前まで、複数の軌道路線があった。朝倉軌道、中央軌道、両筑軌道(りょうちくきどう)といった軌道線である。「軌道」を名乗るように、道路上を走る路面電車の路線だ。3社の中でも朝倉軌道の名前は、今も好事家の間で語り継がれている。朝倉軌道は現在のJR二日市駅から甘木(場所は現在の駅より北にあった・上記のマップ・甘木バスセンターの位置)を経て杷木(はき)の間32.2kmを走った軌道線で、かなり妙な鉄道会社だった。
鉄道の路線は、国の認可を受けて敷設、変更、また車両を導入する。ところが、この朝倉軌道は国への届け出がいい加減で、車両なども平気で書類と違うものを造り、走らせてしまうこともしばしば。転車台も無許可で導入してしまった。当然、行政指導を受けるわけだが、それも無視といったことを続けていた。だが、1908(明治41)年の路線を開設以来、30年余にわたり事故の記録が残っていないところを見ると、安全管理面はしっかりしていたようだ。
甘木線が開業する直前の1939(昭和14)年4月24日に運輸営業停止と補償を申請して、8月21日には運行休止、1941(昭和16)年7月16日には補償金を得ている。国をさんざん悩ませておいて、最後はちゃっかりと補償金を受け取って会社を解散させてしまうという、なかなかの〝猛者〟だった。
筑後地域を走った3つの軌道会社は甘木線の開業後すべてが廃止された。ちなみに朝倉市内には〝筑前の小京都〟と呼ばれる旧城下町・秋月があり、戦前は両筑軌道が秋月まで走っていたが、今はバス路線に変わっている。
【気になる甘鉄②】甘鉄と愛される鉄道の本来の歴史を見る
余談が長くなったが、甘木鉄道の歴史を見ておこう。
甘木鉄道のルーツ、国鉄甘木線は太平洋戦争前に路線が開設されている。この時期は、国が戦備増強に追われていた時期で、同線の開業もそうした側面を持つ。
現在の太刀洗駅(たちあらいえき)の近くにあった陸軍の大刀洗飛行場への輸送力を増強するためという側面があった。路線の建設は1935(昭和10)年に決定され、わずか4年後には路線が敷かれた。路線は太刀洗止まりでなく、筑後地域の中心でもある甘木まで造られた。
国鉄時代の1981(昭和56)年に第1次特定地方交通線に指定され、廃止が承認。1984(昭和59)年には路線内の貨物輸送が消滅、先細り傾向が強まった。そして、1986(昭和61)年4月1日に第三セクター経営の甘木鉄道に転換された。
甘木鉄道への出資は、路線が通る朝倉市、筑前町、基山町といった自治体と、沿線に工場があるキリンビールなどが行っている。通常、三セク鉄道に多い県の出資は福岡県(経営安定基金の拠出のみ)も佐賀県も行っていない。このあたり非常に珍しいケースである。
【気になる甘鉄③】8両すべての車体カラーが異なる
甘鉄を走る車両を見ておこう。車両はAR300形7両とAR400形1両の計8両。みな2000年代に入って富士重工業(途中から新潟トランシス社に移管)で新造された。片側2扉、全長は18.5mというややコンパクトな気動車だ。AR400形は同形車で、イベント用として造られたが、現在は他車と連結し、AR300形と同様に運用されている。
楽しいのが、全車塗装が異なること。国鉄当時の一般形気動車の塗装や、急行形気動車の塗装、さらに沿線の高校の生徒さんがデザインした車両など、変化に富む。いろいろあって、見ているだけでも楽しい。
なお、同鉄道の車庫は終点の甘木駅にあり、日中は、この車庫内に停車している車両も多いので、一気に見たいという時には甘木駅を訪れることをお勧めしたい。筆者が訪れた時には甘木鉄道の〝標準色〟とされるAR301が検修施設に入り整備されていた。