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2021/12/17 6:00

鉄道ゆく年くる年…新車、廃車、廃線ほか2021年(上半期)の出来事をふり返る

〜〜2021年 鉄道のさまざまな話題を追う その1〜〜

 

師走となり何かと気ぜわしい季節となってきた。2021年という1年、鉄道をめぐる出来事もいろいろあった。新車が登場した一方で、長年親しまれてきた車両が消えていった。また廃線となった路線もある。

 

今回は「鉄道ゆく年くる年」の第1回目、2021年に1月から6月にかけて、鉄道をめぐって起きた出来事を振り返ってみたい。

 

【2021年の話題①】長年親しまれてきた「湘南ライナー」が消滅

まずは列車の廃止、新設、また車両の置き換えから見ていきたい。

 

3月13日(土曜日)のダイヤ改正時、JRグループ内で何本かの列車が廃止、新設され、車両の置き換えがあった。中でも東海道本線の首都圏エリアでの動きが目立った。

 

ダイヤ改正の前日まで走っていたのが「湘南ライナー」「おはようライナー新宿」「ホームライナー小田原」といった座席定員制の有料快速列車だった。

↑2021年3月12日までの運行となった快速「湘南ライナー」と「おはようライナー新宿」(左上)。185系での運用も見納めになった

 

3月15日(月曜日)からはこうした快速列車がすべて廃止され、特急「湘南」に置き換わった。「湘南ライナー」は1986(昭和61)年に誕生した列車で、ちょうど35年で消えたことになる。

 

列車の変更に合わせて、車両も185系電車、215系電車から、E257系2000番台・2500番台に代わった。料金は湘南ライナー時代一律520円(+運賃=以下同)で、着席が可能だったが、特急「湘南」では50kmまでが760円、100kmまでが1020円(いずれもチケットレスサービス利用の場合は100円引き)と、割高になった。チケットレスサービスを使えば、9月30日までは300円引きとなっていたからなのか、料金が値上げになったことに関して、あまり注目されることもなく、利用者にはすんなり受け入れられたようだった。

↑全列車がE257系での運行となった特急「踊り子」。伊豆箱根鉄道駿豆線内でも、すでに見慣れた光景となりつつある

 

車両の入れ替えで目立ったのが、国鉄時代に生まれた特急形電車185系を巡る動きだろう。この春に185系は、湘南ライナーなどのほか、特急「踊り子」の定期運用からも撤退している。その後に185系は急速に姿を消しつつあり、現在は臨時で運転される季節列車や団体臨時列車といった運用のみとなっている。

 

【2021年の話題②】北日本で目立った廃線・廃駅の話題

今年の上半期、あまり目立たなかったものの、廃線、そして廃止となった駅があった。筆者は仕事柄、地方のローカル線に乗る機会が多いが、新型コロナ感染症の影響もあるのか、乗車率の低さが目に付くようになっている。その影響だけではないのだろうが、北海道で廃止となった駅が多く生まれた。

 

函館本線の伊納駅、釧網本線の南斜里駅。加えて石北本線と宗谷本線に廃駅が目立った。石北本線は生野駅など4駅、宗谷本線は南美深駅(みなみびぶかえき)や北比布駅(きたぴっぷえき)など12駅にも及んだ。これらは、多くが〝秘境駅〟と呼ばれるような駅で、駅周辺に民家があまりない。したがって乗降する人も少ない。

 

旅先でこうした〝ひなびた駅〟を発見する楽しみもあるが、営業的に存続が難しい駅は、ちょっと寂しいものの今後も廃止対象となっていくのであろう。

↑廃止された宗谷本線の北比布駅。簡易的な待合室とホーム一面の小さな駅だった

 

今年の上半期、北日本で2本の路線が廃止となっている。

 

1本目は日高本線で、鵡川駅(むかわえき)〜様似駅(さまにえき)間、116.0kmが4月1日に正式に廃止となった。同駅区間は2015(平成27)年1月初頭の低気圧による高波の影響で、各所で土砂崩れが起こり不通となり、代行バスが運行されていた。復旧の道が探られ、JR北海道と地元自治体との交渉の場がたびたび設けられたが、6年の歳月を経て正式に廃止となった。

 

このところ、自然災害の規模が大きくなる傾向がある。北海道だけでなく、九州などでも、営業休止が続く路線が複数ある。災害で寸断されやすい公共インフラ、採算をとることが困難な地方路線をどのように再生させていくのか、難しい時代になりつつある。

 

さて、もう1線、廃止となった路線があった。こちらは旅客路線でないだけに、あまり注目もされずに、ひっそりと消えていった。

↑旧雄物川橋梁を渡る秋田臨海鉄道の貨物列車。同路線の名物撮影地だったが、この鉄橋を列車が渡ることもなくなった

 

廃線となったのは秋田市の臨海部を走っていた秋田臨海鉄道で、4月1日に廃線となった。また、会社も鉄道事業から撤退している。

 

秋田臨海鉄道は1971(昭和46)年7月7日に北線と南線の営業を開始、奥羽本線の支線にあたる秋田港駅(貨物駅)と臨海部の工場間の貨物輸送に携わってきた。北線はすでに運行を終了していたが、南線の秋田港駅〜向浜駅5.4kmの貨物列車の運行と、秋田港駅構内の貨車の入れ換え作業などの事業が続けられていた。

 

廃線となった南線の貨物輸送を支えていたのが紙の輸送だった。紙の輸送は鉄道貨物の中でも大きなウェイトを占めていたが、近年はペーパーレス化の流れが高まり、輸送量が急激に減ってきている。同臨海鉄道でもそれは同様で、沿線の製紙工場の生産量は7年前には約20万トンだったものが、2020年度には約7万5000トンまで減っていた。今後、生産量の増加は見込めず、鉄道輸送からトラック輸送へシフトされた。他に同地区からの貨物輸送の需要もなかったことから秋田臨海鉄道自体の廃線に至った。

 

鉄道貨物輸送は時代の動きに大きく左右される。同路線は紙の輸送に頼っていただけに、その影響も大きかった。JRの貨物線や臨海鉄道では、今も紙の輸送量が多いが、今後は鉄道貨物の比率を減らす動きがより強まっていきそうだ。

 

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