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2022/4/2 6:00

癒やされる車窓風景!? 焼き物の里行き「信楽高原鐵道」のおもしろ旅

おもしろローカル線の旅80〜〜信楽高原鐵道(滋賀県)〜〜

 

滋賀県の甲賀市(こうかし)を走る信楽高原鐵道(しがらきこうげんてつどう)。乗ればとても癒やされる、そんなローカル線である。

 

筆者は滋賀県を訪れるたびに乗りに行ってしまう。たぬきの焼き物たちに癒やされ、車窓に癒やされ……そんな信楽高原鐵道の旅を紹介していこう。

 

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【癒やしの信楽①】信楽とはどのようなところなのか?

信楽はご存知のように焼き物の里である。信楽焼の窯は日本六古窯のひとつにあげられる。歴史は古く、焼き物づくりが始まったのが鎌倉時代のこと。15世紀ごろから日常品を中心に焼き物づくりが活発になったとされる。

↑信楽高原鐵道の信楽駅ではたぬきの焼き物がお出迎え。信楽高原鐵道の旅はフリー乗車券(940円)の利用がお得だ

 

信楽は四方を山に囲まれた山里だ。周辺では良質の陶土が多く産出されたことで、焼き物造りが盛んになった。さらに京都に近く、古くから交通の要衝として賑わい、そこで造られる食器や生活雑器が広く流通するようになった。

 

2019(令和元)年9月〜2020(令和2)年3月に信楽を舞台にしたNHKの連続テレビ小説(朝ドラ)「スカーレット」が放映されたこともあり、さらにその名が全国に知られるようになった。今も信楽の里には多数の窯元が点在し、年間を通じて多くの人が訪れている。

↑信楽といえばたぬきの焼き物が名物。窯元を訪ねても、たぬきの焼き物がずらり。新しいタイプのたぬきも人気だ(右下)

 

【癒やしの信楽②】甲賀市のみを走る路線なのだが……

ここで信楽高原鐵道の概略に触れておきたい。

路線と距離信楽高原鐵道信楽線/貴生川駅(きぶかわえき)〜信楽駅14.7km、全線単線非電化
開業1933(昭和8)年5月8日、国鉄信楽線として開業、1987(昭和62)年7月13日に信楽高原鐵道となる
駅数6駅(起終点駅を含む)

信楽高原鐵道信楽線の歴史は国鉄信楽線として始まる。1933(昭和8)年5月8日に全線が開業し、国鉄が財政難に陥った1980年代に輸送密度が低い特定地方交通線に指定。滋賀県と甲賀市(当時の水口町/みなくちちょう、信楽町)などが出資する第三セクター経営の鉄道会社、信楽高原鐵道として1987(昭和62)に再スタートした。

 

走るのは甲賀市のみだ。信楽という土地の名前が良く知られているものの、現在、信楽という町はない。2004(平成16)年まではあったものの、今は甲賀市信楽町となっている。甲賀市は甲賀町、水口町、信楽町など5つの町が合併した市で、面積は非常に広い。南東端は三重県と接し、南西端は京都府と接している。広いせいもあり、起点となる貴生川駅付近と、信楽駅付近は、風景や文化もだいぶ異なる印象がある。

 

歴史を見ても、甲賀市の東側は戦国期、豪族が乱立する忍者の里であり、江戸時代は水口藩の城下町だった。一方、西の信楽は焼き物の里として異なる歴史を歩んできた。広いとはいえ、なぜ同じ地域に異なる文化が育まれたのだろう。

↑JR草津線と信楽高原鐵道の接続駅、貴生川駅。同駅は元水口町の駅で、同じ甲賀市ながら平野がひらけ、町の東と西で風景が異なる

 

地域の文化が異なる理由は、信楽高原鐵道が走る路線を見れば、おおよそ推測ができる。甲賀市の東西を隔てる〝高原〟エリアの存在が大きい。このあたりは路線の興味深い一面なので、後ほど紹介したい。

 

【癒やしの信楽③】車両紹介!おもしろ忍者車両も走る

次に走る車両を見ておこう。車両は3形式の気動車が走る。形式名の頭にはすべて「SKR」が付く。「Shigaraki Kohgen Railway」の頭文字を合わせ「SKR」としている。

 

3形式のうち、2001(平成13)年と翌年にかけて導入されたのがSKR310形で、311号車と312号車の2両が走る。2017(平成29)年に、甲賀市の東エリアが忍者の里と呼ばれた歴史にちなみ、ラッピング列車「SHINOBI-TRAIN」となった。車体は311号車が深緑色、312号車が紫色のベースカラーで、それぞれ忍者のイラストが大きく描かれている。車内にもつり革に忍者の人形が潜むなど、なかなか楽しい列車だ。

↑「SHINOBI-TRAIN」という名が付くSKR310形311号車。車体は忍者のイラスト入り、つり革(左上)には忍者付きだ

 

SKR310形に比べて新しい車両がSKR400形とSKR500形で、SKR400形は2015(平成27)年に、SKR500形は2017(平成29)年にそれぞれ導入された。どちらも車両の長さが18mで、SKR310形にくらべて一回り大きく感じる。車体カラーはSKR400形が茶褐色、SKR500形が緑色。座席はSKR400形がロングシートに対して、SKR500形が転換式クロスシートとなっている。

↑前がSKR500形、後ろがSKR400形の組み合わせ。この2両で走る列車が多い

 

【癒やしの信楽④】「高原」という名前が付いているものの

信楽高原鐵道の社名には「高原」という言葉が入る。ロマンを感じる素敵な名前だと思う。

 

起点の貴生川駅と紫香楽宮跡駅(しがらきぐうしえき)の間では、木々が生い茂る山の中、民家もないところを走ることもあり、これぞ高原というような場所を走っている。春は桜に新緑、秋は紅葉など四季折々の美しい車窓風景が楽しめる区間である。

 

「高原」という言葉の定義はあいまいだが、国語辞典(「スーパー大辞林」)には「海抜高度が高い平原。起伏が小さい高地」とある。高原とする標高の目安は600m以上のものとする解説もある。さて、信楽高原鐵道の路線はどうだろうか。

 

路線とほぼ平行して走る国道307号の標高を国土地理院の地図で確認すると、同エリアの国道のピークは標高338mとある。この国道は路線の真横を通るだけに、信楽高原鐵道は、この300m級の〝高地〟を走っていると言って良いだろう。

↑貴生川駅から路線のピークへ向けて走る。最初の一駅区間は山中に入ると、民家は皆無となり、実際に高原らしい風景が楽しめる

 

信楽高原鐵道が走る路線が高原の定義に当てはまるかどうかは異論もあるだろうが、第三セクター化する時に、なかなか上手い名前を付けたものだと思う。

 

【癒やしの信楽⑤】貴生川駅から一つ目の駅まで9.6kmも走る

ここから信楽高原鐵道の旅を始めよう。起点は貴生川駅で、この駅でJR草津線と近江鉄道本線に接続する。信楽高原鐵道の乗り場は、JR草津線の3番線ホームの反対側にあり、ホームの番数は付いていない。草津線と信楽高原鐵道のホームの間に交通系ICカードが利用できる簡易改札機が設置され、貴生川駅で乗り降りしたことをICカードに記憶させることができる。

 

信楽高原鐵道内では交通系ICカードの利用はできない。そのため貴生川駅からの乗車は駅に据え付けられた乗車駅証明書発行機で証明書を発行、また無人駅から乗車する時には車内入口の整理券を受け取り、乗車しなければいけない。下車する時には、有人の信楽駅をのぞき、列車の一番前で現金精算することが必要になる。

↑貴生川駅の最も西側にある信楽高原鐵道のホーム。向かい側はJR草津線の草津方面行きの列車が発着する

 

貴生川駅からの列車は6時台から22時台まで、ほぼ1時間おきに運行される。日中は、10時台から15時台までは各時間とも24分発、信楽駅発の場合には10時台から14時台まで54分発と一定で、利用者にとって分かりやすい時刻設定となっている。

 

筆者は10時24分発の信楽駅行き転換クロスシート座席のSKR500形に乗車した。定刻通り出発した列車は、独特のディーゼルエンジン音を奏でつつ、JR草津線に沿って走る。駅の先にある虫生野(むしょうの)踏切を通り、草津線と分かれ右カーブを描いて走る。

↑貴生川駅を発車したSKR400形。しばらくJR草津線と平行して走る

 

立ち並ぶ民家を眼下に眺めつつ、堤を走り杣川(そまがわ)を渡る。その先で、急な坂を登り始める。線路脇に立つ勾配標を見ると33パーミル(1000m走る間に33m登る)とあった。この急坂を登るために気動車はエンジン音をさらに高めた。次の駅の紫香楽宮跡駅まではだいぶ離れていて9.6kmの区間を、15分かけて走る。

 

1つめの紫香楽宮跡駅から先は駅と駅の間の距離が600m〜2.3kmと短めにもかかわらず、なぜ最初の駅間のみ9.6kmと長いのだろう。じつは、この貴生川駅〜紫香楽宮跡駅間に信楽高原鐵道の特長が詰まっているといっても過言ではないのだ。

↑貴生川駅を発車し、次の紫香楽宮跡駅を目指す列車。坂の角度が、途中から急に強まっているのが分かる

 

信楽線が造られた昭和初期、国鉄では幹線とローカル線で、その造りを大きく変えて路線造りを行っていた。信楽線の貴生川駅〜紫香楽宮跡駅の途中区間は標高差170mもある。幹線ならばトンネルを掘って、なるべく高低差に影響されない路線造りを行ったであろう。

 

ところが、信楽線はローカル線ということもあり、工事費を節約するためにトンネルは掘らずにカーブを多用、急勾配を組み込みつつ路線造りを行った。スピードを重視するのではなく、ゆっくりでも良いから開業させたい思いが伝わってくる。今も開業当時の最小曲線半径200m、最大勾配33パーミルという、ローカル線らしい路線となっている。

 

勾配は厳しく、小さな半径の左カーブ、右カーブが続く。実際に乗ってみると、高原鉄道の名に相応しい線形となっていることが分かる。

 

貴生川駅〜紫香楽宮跡駅間は庚申山(こうしんさん)と呼ばれる山が広がるエリアで、地元のハイキングコースとして知られる。国道307号が平行して走るものの、民家はまったくない。線路近くには甲賀市や湖東の遠望が楽しめる庚申山展望台がある。東海自然歩道も近くに通り、ハイカーに人気のエリアでもある。

 

列車は急勾配を登りつつ、左後ろを振り返ると、貴生川(水口町)の町並みがはるか眼下に見えた。エンジン音が静かになり、惰性で走り始めた時に、やや開けた峠のピークにさしかかった。そこには砂利が引き詰められ、古い線路や枕木が置かれていた。小野谷(おのたに)信号場の跡地だ。

↑貴生川駅〜紫香楽宮跡駅間のほぼピーク部分にある小野谷信号場の跡。第三セクター化された後に設けられた信号場だった

 

小野谷信号場は1991(平成3)年に設けられた信号場で、当時、ちょうど信楽で世界的な陶器イベントが開催されたこともあり、列車増便を図るために設けられた。ところが、増便したことが予想外の結果をもたらす。信楽高原鐵道の紹介にあたっては、避けて通れない歴史ということもあり触れておきたい。

 

この信号場が造られたものの、信号機器の設定ミスなどが重なり、事故が起きた。1991(平成3)年5月14日の「信楽高原鐵道列車衝突事故」である。JR西日本から乗り入れた臨時快速列車と信楽高原鐵道の普通列車が、この信号場からやや紫香楽宮跡駅側で正面衝突事故を起こしてしまったのである。死者42名を出す大惨事となった。

↑線路端にある「信楽高原鐵道列車衝突事故」の慰霊碑の横を走る信楽駅行き列車

 

事故後に信楽高原鐵道は約7か月にわたり運休、後に事故現場近くの線路横に慰霊碑が立てられた。碑には「犠牲者の御霊のご冥福をお祈りするとともに、これを教訓とし二度とこのような大事故を繰り返すことのないよう、鉄道の安全を念願し建立されたものである」という言葉が添えられている。

 

事故の後、小野谷信号場は使われることなく廃止、ポイント切り替えなどの設備も取り外された。JR西日本からの乗り入れ列車も、途中での上り下り列車の交換もなく、1列車のみが路線を往復する形での運行が続けられている。

 

【癒やしの信楽⑥】紫香楽宮跡と信楽の関係は?

信楽高原鐵道の進行右手に国道307号が見えてきたら、最初の駅、紫香楽宮跡駅に到着する。紫香楽宮跡と、信楽は同じ「しがらき」と読むが、何か関連があるのだろうか。

 

紫香楽宮跡駅から徒歩7分ほどの所に「紫香楽宮跡」がある。この紫香楽宮は8世紀初頭に国を治めた45代聖武天皇が造営した宮だとされる。造成を始めたものの、情勢不安となり宮は放棄された。紫香楽宮は、信楽宮とも記したとされ、信楽焼という焼き物名や地名になったとされる。

↑朝もやの中、紫香楽宮跡駅を発車するSKR500形。紫香楽宮跡は駅の北西部にあり徒歩7分と近い

 

紫香楽宮跡駅付近からは東西を山に囲まれた狭い平野部に、大戸川、国道307号、信楽高原鐵道がほぼ並んで通る区間に入る。山里ながら田畑、そして駅の近辺には民家も建ち並ぶ。紫香楽宮跡駅から次の雲井駅(くもいえき)までは、わずかに600m、約2分で到着する。さらに勅旨駅(ちょくしえき)へ。

 

勅旨とは天皇の命令書のことで、この地には勅旨賜田(ちょくししでん)があった。勅旨賜田とは天皇の命令で整備して、個人に与えた水田だとされる。紫香楽宮跡や、勅旨など、当時この地域と中央政権とのつながりが深かったことが良く分かる。

 

【癒やしの信楽⑦】ホームから釣り橋が見える玉桂寺前駅

大戸川を渡り左右から山々が迫って来たところに玉桂寺前駅(ぎょくけいじまええき)がある。ホーム1つの小さな駅だが、この駅はなかなかロケーションが面白い。駅名通り玉桂寺という寺が近くにあり、駅との間に大戸川が流れるために、橋が架かる。

 

人のみが渡ることができる釣り橋で、「保良の宮橋(ほらのみやばし)」という名前を持つ。

↑玉桂寺前駅の信楽駅側に架かる保良の宮橋。その橋の先に玉桂寺(左手)が見えている

 

保良の宮橋は1990(平成2)年にかけられた釣り橋で、地元では鉄道の線路、大戸川、道をまたぐ珍しい橋とPRしている。玉桂寺は、奈良時代に淳仁天皇(じゅんにんてんのう/47代)が離宮として建てた保良宮の跡地という説も残る。そのために保良の宮橋と名付けられたそうだ。ちなみにこの釣り橋付近は鉄道ファンにも人気があるポイントで、橋のたもとで列車を撮影する人を見かけることもある。

↑保良の宮橋の上から見たところ。歩行者専用で、橋の幅は意外に狭くスリリング。橋付近から列車の写真も撮影可能だ(右上)

 

↑保良の宮橋の先には、朝ドラの撮影地に使われた遊歩道が延びる。人気シーンを撮影した場所にはカメラスタンド(左下)もあった

 

【癒やしの信楽⑧】なぜ信楽はたぬきの焼き物が多いのか?

玉桂寺前駅を発車して間もなく終着駅、信楽駅に到着した。信楽高原鐵道は途中の駅は4つのみで、全線の所要時間が25分あまりと短いものの、たっぷり乗ったようにも感じられる。やはり最初の貴生川駅〜紫香楽宮跡駅間に途中駅がなく、長く感じるせいなのだろうか。

↑信楽駅はホームが2面あるものの駅舎側のホームのみが使われる。路線の先(右上)は行き止まりだが先に延ばすプランもある

 

終着駅で線路が途切れているものの、この先に延ばすプランが過去にあり、また今も生きている。信楽線は元々、京都府木津川市(きづがわし)の加茂駅(関西本線)まで延ばす計画で造られた。今は、近江鉄道本線から信楽高原鐵道を経て、片町線(学研都市線)まで延ばす「びわこ京阪奈線(仮称)」という構想がある。延伸は難しいかもしれないが、プランとしてはなかなか興味深い。

 

さて、そんな信楽駅で旅行客を迎えるのが大小のたぬきの焼き物たちだ。なぜ信楽にはたぬきの焼き物が多いのだろう。

↑信楽駅の駅前には高さ5.3mの大だぬき(右)がお出迎え、この大だぬき、公衆電話付きで電話ボックスも兼ねている

 

たぬきの焼き物が名物になったのは、意外に最近のこと。信楽焼のたぬきは、笑顔、目、とっくりなど8つの部分が〝八相縁起〟と呼ばれ縁起が良いとされてきた。さらに1951(昭和26)年に昭和天皇が信楽を行幸された時に、歓迎の様子とたぬきの焼き物が盛んに報道されたことから、信楽焼=たぬきの焼き物というイメージが定着したそうだ。ユーモラスなたぬきの焼き物が、信楽の知名度とイメージアップにつながったとは、なかなかおもしろい。

 

【癒やしの信楽⑨】ぜひお勧めしたい信楽窯元めぐり

せっかく列車で信楽を訪れたのならば、やはり町歩きも楽しみたいもの。信楽駅ではレンタサイクルも用意しているので、自転車利用で、窯元めぐりをしてみてはいかがだろう。駅の西側、大戸川と国道307号を渡ったエリアに窯元が点在している。

↑信楽焼はたぬきだけでなく、日常使いの食器や茶器、火鉢、かめ、傘立てなど種類も豊富で楽しめる(『宗陶苑』で)

 

信楽の窯は大小さまざま。一般に公開されている大きな窯元もあれば、個人営業でふだんは公開していない窯元もある。信楽焼の紹介パンフレットなどで、大規模な登り窯を利用した窯元の紹介が出ているが、現在、登り窯を利用しているのは「宗陶苑」(甲賀市信楽町長野)のみ。以前ほど大量に焼き上げる窯が少なくなっているため、登り窯までは必要とされないためだそう。ほかに残る登り窯は観光スポットとなり、カフェなどに利用されている。

 

登り窯を訪れた時に見ておきたいのは、窯の内部に残る〝石はぜ〟と呼ばれる美しく光る壁面。長年使われた窯には陶土内に含まれる石粒がはじけて生まれる〝石はぜ〟が付き、独特な〝景色〟を生み出す。これは登り窯の壁だけでなく、焼き物の表面にも表れ、信楽焼の魅力とされている。

↑傾斜地に段々状に焼成室を持つ登り窯。写真は観光施設として公開される『Ogama』の登り窯。カフェも併設されている

 

街中にはさまざまな焼き物のオブジェも設置されているので、信楽らしい焼き物を見ながらの町歩きが楽しい。

 

【癒やしの信楽⑩】貴生川駅で接続の草津線の電車も気になる

信楽高原鐵道を訪れたら、チェックしておきたいことが他にもある。それは貴生川駅を通るJR草津線の電車と、近江鉄道本線の電車だ。

 

草津線には今も、国鉄形の近郊形電車113系や117系(朝夕のみ)が走っている。この春のダイヤ改正で変更されるか心配されたが、今のところ、これらの電車の走行が確認されている。

 

とはいうものの、JR西日本では急速に国鉄形電車の運用範囲を狭めており、草津線の113系も、数年後には消滅の可能性も出てきたようだ。鉄道ファンとしては信楽高原鐵道へ訪れた時には、草津線の113系もしっかり目に焼き付けておきたい。

↑貴生川駅近くを走る113系電車。今やJR西日本のみに残る国鉄形近郊電車で、草津線、湖西線のほか、岡山地区などを走る

 

草津線だけでなく、貴生川駅を発着する近江鉄道本線も気になる路線だ。こちらは旧西武鉄道の電車が走っている。ここでも古い車両の廃車が徐々に進んでいる。3月末には西武鉄道で401系、近江鉄道では820形とされた車両が引退になった。

 

貴生川駅の東側に、近江鉄道のホームがある。訪れた際には、何形が停車しているかチェックしておきたい。時間に余裕があれば、この路線で米原駅へ向かっても良いだろう。

↑貴生川駅に停車する近江鉄道300形。同線では新車にあたるが、元は西武鉄道の3000系で、すでに西武鉄道では全車が引退している