乗り物
鉄道
2022/4/23 6:00

海景色を満喫!「日本海ひすいライン」郷愁さそう鉄旅【後編】

おもしろローカル線の旅82〜〜えちごトキめき鉄道・日本海ひすいライン(新潟県)その2〜〜

 

旧北陸本線の新潟県内、市振駅(いちぶりえき)〜直江津駅間を結ぶ日本海ひすいライン。路線名の通り、日本海の海景色が満喫できる。前編で紹介したように乗って楽しい車両が多く走る同路線。海沿いの駅だけでしに、トンネル内の珍しい駅があるなど変化に富んだ鉄旅を楽しんだ。

 

【関連記事】
乗り甲斐あり!「日本海ひすいライン」郷愁さそう鉄旅を堪能する【前編】

 

【郷愁さそう鉄旅⑦】直江津駅を出発!すぐに日本海と出会う

さっそく日本海ひすいラインの旅を楽しむことにしよう。本来は、起点から話を進めるべきなのだろうが、日本海ひすいラインの起点は無人駅の市振駅となる。無人駅から旅を始めるのもやや寂しいので、ターミナル駅の直江津駅から話を進めたい。

↑直江津駅の北口駅舎。佐渡汽船のフェリーが出港する港が近いことから港町の駅のイメージ。構内ではSLも見ることができる(左上)

 

日本海ひすいラインの列車が発着する直江津駅では、えちごトキめき鉄道の妙高はねうまライン、JR東日本の信越本線、そして十日町、越後湯沢方面へ向かう北越急行ほくほく線の各列車と接続している。

 

日本海ひすいラインの列車は1番線、もしくは2番線からの発着が多い。JR東日本の信越本線と、妙高はねうまラインは2番線から6番線までを共用している。ほくほく線は5・6番線を使う。呉越同舟といった趣のホーム利用は、やはり、北越急行を除く路線がすべて元JRの路線だったこともあるのだろう。

 

直江津駅構内にはD51が姿を現す。こちらは直江津駅に隣接する鉄道テーマパーク「D51レールパーク」で運行する観光用列車で、転車台がある同パークと直江津駅構内の間を往復する。使われるのはD51形蒸気機関車827号機で、乗客を乗せた車掌車(緩急車)2両を牽引して走る。

 

ちなみに、列車は朝を除きほぼ1時間おきの運行で、週末に運行される413系・455系「国鉄形観光急行」が補完する形で走ることもあり、さほど不便には感じない路線である。

↑日本海ひすいラインは旧北陸本線の新潟県内の市振駅〜直江津駅間を引き継いだ路線で、起点は市振駅、終点は直江津駅となる

 

さて、筆者がこの日に乗車した日本海ひすいラインの列車は、泊駅行きのET122形の通常タイプで、1人用座席に座りつつの旅が始まった。

 

直江津駅を発車すると、しばらく平行して走っていた妙高はねうまラインの線路が左手にカーブして離れていく。直江津の町を眺めつつ、しばらくすると湯殿トンネルへ入る。このトンネルを抜けると、すぐ右手に日本海が見えるようになる。そして右から国道8号が近づき、沿うように走る。

↑泊駅行きのET122形普通列車。直江津駅を発車後、谷浜駅から日本海と国道8号(左)に沿って走る旅となる

 

谷浜駅、次の有間川駅(ありまがわえき)と、海岸線をなぞるようにして走っていく。国道沿いには海産物を扱う商店、海岸には漁港もあり小さな船が停泊する風景を望むことができる。この2駅は、鉄道ファンにも人気があり、特に有間川駅は背景に海景色が望めるポイントがあって、同駅で下車する人も目立つ。

↑有間川駅のホームに到着した泊駅行き普通列車。クラシックな駅舎の前に、日本海が広がる風光明媚な駅だ

 

【郷愁さそう鉄旅⑧】注目を集める長大トンネルの中の筒石駅

有間川駅を発車すると、海景色とはしばらくお別れに。すぐに名立(なだち)トンネルへ入る。この先、トンネルが続く。

 

北陸本線が開業した当時は、海沿いに線路が敷かれたが、単線ルートで輸送力の増強が難しかった。さらに大規模な地滑りに悩まされた。また1963(昭和38)年3月には、列車転覆事故が起きてしまう。そこで、有間川駅〜浦本駅間はトンネル主体の路線を新たに設け、1969(昭和44)年9月29日に旧線から新線への切り替えが行われた。

 

そうして造られた名立トンネルを抜け名立駅へ。この駅は名立川という河川の上にホームが設けられている。トンネルとトンネルの間の、ごく狭い平野部に設けられているために、こうした構造になっている。名立駅を発車して、すぐに頸城(くびき)トンネルに入る。日本海ひすいラインで最も長いトンネルで、長さ1万1353mという長大なもの。JRを除く在来線最長のトンネルでもある。この頸城トンネルの途中に筒石駅がある。

↑筒石駅の構内。左は市振駅方面のホームで、右は直江津方面のホーム。駅の外に出るのには延々と続く階段を登る(右上)

 

筒石駅は頸城トンネルを建設する当時、廃止案もあったが、地元からの希望が強く、現在のようなトンネルの途中にホームが作られたとされる。

 

駅舎は海沿いの筒石集落から約1km登った山の上、海抜60mのところにある。ちなみに頸城トンネルが通るのは海抜20mの地点で、トンネルを掘る時に造られた斜坑が、今はホームへ降りる階段として活かされている。直江津方面の下りホームまでは290段、糸魚川方面の上りホームまでは280段の階段がある。もちろんエスカレーターやエレベーターはない。

 

JR当時は乗降する人も少ない駅だった。ところが、日本海ひすいラインとなってからは、この珍しい駅に乗り降りする人の姿を、よく見かけるようになっている。スピードを出して通り抜ける列車は少なめになったが、列車が通過する時に、ホーム上を強烈な風が通り抜けるので、駅通路からホームへ出入りする所には危険防止のために扉が設けられている。

↑糸魚川の平野部を走る下り貨物列車と日本海を望む。2021(令和3)年3月13日にはえちご押上ひすい海岸駅も設けられた

 

筒石駅がある頸城トンネルを抜けると能生駅(のうえき)へ。このあたりになるとようやく視界が開け始める。次の浦本駅から先は糸魚川市の平野部が少しずつ広がっていく。そして梶屋敷駅と新駅・えちご押上ひすい海岸駅の間には、前述した直流電化区間から、交流電化区間に変わるデッドセクションがある。といっても普通列車は気動車であるし、また電車や電気機関車が牽く貨物列車も、デッドセクションにかかわらず、スムーズに通り抜けていく。いまは交直流の変更も、それほど手間がかかる切り替えではないのだ。間もなく、北陸新幹線の接続駅、糸魚川駅へ到着する。

 

【郷愁さそう鉄旅⑨】途中下車し甲斐がある糸魚川駅

北陸新幹線とJR大糸線に接続する糸魚川駅はぜひとも下車したい駅だ。新幹線が開業した時に南側にアルプス口、1階には「糸魚川ジオステーションジオパル」が設けられた。複合型交流施設として、観光案内所などがあるほか、大糸線を走ったキハ52気動車が保存されている。

↑糸魚川駅のアルプス口。「糸魚川ジオステーション ジオパル」の前面は気動車の車庫として利用されたレンガ車庫の一部が使われている

 

↑地元の木材で作られたトワイライトエクスプレスの展望車を模した再現車両を展示。大きなジオラマも複数用意されている(左)

 

「糸魚川ジオステーション ジオパル」内には、糸魚川をかつて走った寝台特急「トワイライトエクスプレス」の展望客車や食堂車を再現した木製の車両も展示されている。ちなみにこの再現車両は、東京・六本木で2019(令和元)年に開かれた「天空ノ鉄道物語」という催しのために造られたもので、糸魚川の杉材で造られた縁から、催しが終了後に同施設へ運ばれた。

 

鉄道模型を走らせることができる大きなジオラマが複数あるほか、旧北陸本線を走った列車の行先表示板や、駅名のホーロー表示など、鉄道好きならば思わず見入ってしまうグッズが多く展示されている。

 

【関連記事】
六本木で開催中の鉄色濃厚「天空ノ鉄道物語」−−特別展の見どころに迫った

 

【郷愁さそう鉄旅⑩】青海駅、親不知駅と気になる駅が続く

糸魚川駅で一休みしたら、終点を目指そう。糸魚川駅を出ると大きな川を渡るが、こちらは一級河川の姫川だ。姫川は一級河川の水質ランキングでトップに輝いた清流で、車窓から澄んだ流れを見ることができる。

 

そして青梅駅(おうみえき)へ。この駅、鉄道好きならば気になる駅である。進行方向左手に、古い操車場跡が残り、線路が敷かれたままになっている。かつて貨車が多く出入りしていた様子が見て取れる。また、山で隠れ全景は見えないものの、青海川をさかのぼった山あいに大きな工場がある。デンカ株式会社の青海工場だ。推定埋蔵量50億トンとされる黒姫山の石灰石を利用している工場が今も稼働している。

 

かつては青海駅から同工場へ引き込み線が敷かれ、貨車を使ってのセメント関連材料などの輸送を行っていた。輸送はトラック輸送が主体となり、すでに工場への引き込み線は廃止されているが、工場内には今も専用鉄道線が残り、材料の運搬などに利用されている。

↑青海駅に近づく「国鉄形観光急行」。写真右手に操車場の跡地が広がる。駅横には線路が敷かれたままで残される(右上)

 

青海駅の巨大な操車場の横には鉄道コンテナ用の基地がある。こちらは今も現役の青海オフレールステーションで、新潟県西部の鉄道コンテナの輸送に欠かせない重要拠点となっている。操車場跡地は、その一部が今も大切な役割を担っていたのである。

↑青海駅の西側まで海景色が楽しめる。ちょうどこの下がトンネルの入口で、この先、親不知駅までトンネル区間が続く

 

青海駅を発車すると、新潟県西部で最も険しい海岸線が連なる区間へ入る。名高い親不知(おやしらず)・子不知の海岸である。親不知子不知はかつての幹線道、北陸道の断崖絶壁が続く難所で、地名は源平の合戦に敗れ、越後に落ち延びた平頼盛(たいらよりもり)の後を追った妻・池ノ尼の愛児が波にさらわれた故事にちなむ(諸説あり)。

 

前編で紹介した戦前の絵葉書のように、古くは景勝地だったが、今は海岸側に北陸自動車道が造られ、かつての趣はない。列車に乗っていても、親不知駅付近では、海景色があまり良く見えないのが残念である。

↑国道8号から親不知海岸を遠望する。北陸自動車道の海上高架橋が海上部へ張り出している様子が分かる。右下は親不知駅ホーム

 

【郷愁さそう鉄旅⑪】市振駅が富山との〝境界駅〟なのだが

親不知駅を発車すると、間もなく4本のトンネルが続く。第2外波、第1外波、風波、親不知とトンネルが続く区間だが、この区間も1965(昭和40)年までは旧線だった区間で、トンネルを通すことで、複線化し、スムーズな列車運行が可能になった区間だ。

 

4536mの親不知トンネルを抜ければ間もなく市振駅へ到着する。この駅が日本海ひすいラインと、あいの風とやま鉄道線の境界駅となるのだが、普通列車は同駅で引き返さずに、2つ先の泊駅での折り返しとなる。

↑日本海ひすいラインの〝起点〟でもある市振。駅の案内標は日本海をイメージしたデザインだ。普通列車は2つ先の泊駅まで走る(右上)

 

市振駅まで来ると、南側の山々の険しさも薄れ、視野が開けてくる。一応、日本海ひすいラインの〝起点〟にあたる駅だが、無人駅である。駅構内に赤レンガの古い倉庫があるが、かつてランプ小屋と呼ばれた明治から大正初期に建てられた倉庫で、電気照明がない当時にカンテラ用の灯油を保管していたものだった。各地の古い駅に今も20前後が残されているとされる。

 

市振駅で写真を撮っていると、一緒に列車に乗ってきた御仁が一言「何もない駅ですね」と話しかけてきたが……。確かに駅付近は殺風景なことは確かである。市振の集落は駅の東側にあり、市振関所跡や市振港がある。また駅前を通る国道8号を西へ行くと、道の駅や県境がある。

↑市振駅は無人駅で寂しさが感じられた。構内には赤レンガの倉庫が。ランプ小屋(左下)と呼ばれる倉庫で灯油を保管する施設だった

 

さて「何もない」と言われた市振駅だが、気になる場所がある。それは国道8号を西に1.3kmほど歩いた先に流れる境川だ。国道8号とあいの風とやま鉄道線が平行して境川を越えている。

 

境川はその名前のとおり新潟県と富山県の県境の川だ。川を渡れば富山県、また川を渡れば北陸地方へ入るというように、旅情が高まる地点だ。列車の写真を撮るのもうってつけだ。春には桜の花も美しい。帰りには駅までの途中にある「道の駅越後市振の関」に立ち寄りたい。店内には、新潟・富山両県のお土産を扱う店や、この地域の郷土料理たら汁や定食が味わえる食堂もある。

 

ここで新潟と富山の魅力を味わいつつ市振駅へのんびり戻れば、日本海ひすいラインの鉄旅がさらに充実したものになるだろう。