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2022/6/18 21:00

路面電車なのに地下鉄!? 不思議「京阪京津線」満喫の旅

おもしろローカル線の旅86〜〜京阪電気鉄道・京津線(京都府・滋賀県)〜〜

 

京都市の御陵駅(みささぎえき)と滋賀県大津市のびわ湖浜大津駅を結ぶ京阪電気鉄道・京津線(けいしんせん)。滋賀県内では道路上を走る路面電車として、京都市内では地下鉄として走る。さらに、路線は登山電車並みの上り下り、急カーブが続く路線を走り抜ける。途中駅での発見も多く、とにかく楽しい路線なのだ。

 

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【京津線に乗る①】開業時は京都の三条と大津の札ノ辻を結ぶ

最初に京津線の概要を見ておこう。

路線と距離京阪電気鉄道・京津線/御陵駅〜びわ湖浜大津駅間7.5km
開業京津電気軌道により1912(大正元)年8月15日、三条大橋〜札ノ辻(ふだのつじ/現在は廃駅)間が開業。
1997(平成9)年10月12日に御陵駅〜浜大津駅(現・びわ湖浜大津駅)間の運転に変更。
駅数7駅(起終点駅を含む)

 

京津線は京阪電気鉄道が運営する軌道線である。びわ湖浜大津駅で接続する石山坂本線(いしやまさかもとせん)と共に、大津線(おおつせん)と総称されている。総称で大津線と呼ばれているものの、石山坂本線とは走る電車が異なり、まったく違う路線といった印象が強い。

↑県道558号線を走る京津線の電車。左上に「京町一丁目」とある交差点付近に、路線開業時は札の辻駅があり終点となっていた

 

路線自体が変化に富む京津線だが、路線の歴史には紆余曲折あり興味深い。次にそんな京津線の歴史を見ていこう。

 

【京津線に乗る②】御陵駅〜三条駅間は昭和期まで軌道路線だった

京津線は、110年前の1912(大正元)年8月15日に、京津電気軌道という会社によって路線が開設された。この日に三条大橋と札の辻との間で路線が開業したが、全通したわけではなかった。京津線と交差している東海道線を越える路線の工事が終わらず、大谷駅側の仮停留所(名前はない)と上関寺(かみせきでら)間の140mは徒歩連絡区間だった。

 

その後、同年の12月14日に晴れて全通となる。当時の終点駅は札ノ辻駅だった。札ノ辻は旧東海道の大津宿があったところで、この札ノ辻で旧東海道がカギ型に折れ、西近江路(にしおおみじ/旧国道161号)の起点にもなった。

 

大津の中心地として賑わっていたこともあり、京津線の終点駅とされたが、この札ノ辻から400mほど下ったところに1913(大正2)年3月1日に大津電車軌道(現・石山坂本線)の大津駅が開設された。大津駅は同年に浜大津駅と名を改め、また京津線の路線も1925(大正14)年5月5日に浜大津駅まで延伸されたが、長い間、別の駅としての営業が続いていた。

↑京阪本線の四条駅付近の戦前の絵葉書。隣の三条駅で京津線と連絡していた。当時は路面電車タイプの電車が走っていた

 

運営する会社も二転三転する。路線開業当時は京津電気軌道だったが、1925(大正14)年2月1日に京阪電気鉄道と合併し、京阪電気鉄道の京津線となる。京阪電気鉄道は現在もある鉄道会社ながら、太平洋戦争の前後に会社名が消滅した時代があり、戦前の京阪電気鉄道は「初代」もしくは「旧」を付けて呼ばれることが多い。1943(昭和18)年10月1日には京阪神急行電鉄の京津線となった。この京阪神急行電鉄は、現在の阪急電鉄にあたる会社だが、要は戦時統合が盛んに行われた時代で、日本の鉄道の多くが国鉄もしくは一部の私鉄に集約された時代だった。

 

戦後の混乱も収まりつつあった1949(昭和24)年12月1日に、現在の京阪電気鉄道の京津線に戻る。さらに、1981(昭和56)4月12日に浜大津駅が石山坂本線と統合され、現在の駅となった。ちなみに、現在の駅名であるびわ湖浜大津駅になったのは、2018(平成30)年3月17日とごく最近のことである。

↑昭和初期の京阪電気鉄道(初代)の路線図。三條〜濱大津が京津線にあたる。この図では石山坂本線は「琵琶湖鉄道」と記述される

 

京津線の変化はまだまだあった。開業時には三条大橋が起点だったが、その後に京阪電気鉄道(初代)の京阪本線の三条駅が1915(大正4)年10月27日に開業し、同社とのつながりを深めていく。上記は昭和初期の京阪電気鉄道(初代)の路線図だ。京阪本線と京津線の同じ三條駅(現・三条駅)として描かれている。この当時、すでに両線の線路を結ぶ連絡線もつながり、1934(昭和9)年には直通運転用の「びわこ号」も登場し、両線の直通運転が行われた。直通運転は1960年代初頭まで続く。

 

この三条駅付近が大きく変わったのが1987(昭和62)年のこと。同年の5月24日に京阪本線の三条駅が地下化され、京津線との線路が分断された。そこで京津線の三条駅は京津三条駅と名前を改める。さらに1997(平成9)年10月12日に、京都市営東西線が開業し、京津線の京津三条駅〜御陵駅間が廃止となった。よって最長11.4kmあった京津線の路線距離は、現在の7.5kmに短縮。東西線開業後には、京津線の電車は御陵駅から地下鉄線への乗り入れを開始、多くの電車は東西線の、京都市役所前駅や太秦天神川駅(うずまさてんじんがわ)駅まで走るようになっている。

 

【京津線に乗る③】走るのは高性能な800系4両編成

京阪京津線は路面電車であり、地下鉄としても走る。さらに路線には61パーミル(1000m走る間に61m登る)の勾配や半径40mという急カーブがある。ある意味、かなり特殊な路線である。この条件をクリアするために、高性能な電車が導入されている。それが京阪800系だ。

↑当初800系はパステルブルーに白、京津線のラインカラー苅安色(かりやすいろ)ラインが入れられた。現在は全車塗り替え

 

京阪800系は1997(平成9)年に京津線の地下鉄乗り入れに合わせて開発された。まずは乗り入れに合わせて架線電圧1500Vに対応。併用軌道区間があることから、自動車との接触があっても修復が容易なように鋼製車体が採用された。さらに急勾配に対応するために、4両固定編成の2ユニット全動力車で、もし1ユニットが故障しても、残り1ユニットで走ることができる。地下鉄乗り入れるためにATO(自動列車運転装置)+京阪形のATS(自動列車停止装置)も装備している。また、制御を容易かつ確実にするために急勾配や天候変化に強い鋳鉄製のブレーキシューを利用している。

 

車体は全長16.5m、全幅は2.38mで、大津線の石山坂本線を走る700形よりも全長は1.5mほど長め、全幅は同じながら、4両が連結して走ることで、路面電車としては、かなり〝異彩〟を放っている。国が定める軌道運転規則では路面電車の列車の長さが30m以下と決められているが、京津線の4両編成の電車は全長70m近くなるものの、特例として認められている。4両のうち中間車2両はロングシートで、前後の車両は狭い車幅に対応し、クロスシート横1列+2列の3列シートを採用している。ちなみに、線路幅は1435mmと京阪本線と同じ標準軌幅だ。

 

開発時には「1mあたりの値段は日本で一番高い」という京阪電気鉄道の開発担当の言葉があったように、非常に高価な造りの電車となっている。

 

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