おもしろローカル線の旅88〈特別編〉〜〜JR北海道・根室本線(北海道)〜〜
言い古された言葉ながら「でっかいどお。北海道」地平線まで原野が広がり、サイロがある農家がぽつんと1軒建つ……そんな光景を朝日や夕日が染めていく。北海道のだいご味である素晴らしい景色に出会い感動し、癒される。雄大な北海道のほぼ中央を走る根室本線の一部区間が、いま消えていこうとしている。どのような場所を列車が走っているのか訪れてみた。
*取材は2004(平成16)年8月、2009(平成21)年5月、2014(平成26)年7月、2022(令和4)年6月25日に行いました。一部写真は現在と異なっています。
【関連記事】
【保存版】2019年春に消える夕張支線の旅は、まさにびっくりの連続だった
【根室本線の旅①】明治期、路線開業は大自然との戦いだった
JR北海道が2022(令和4)年4月1日に発表した「令和4年度事業計画」の中で次のような一文があった。
「持続可能な交通体系の構築については、留萌線(深川〜留萌間)、根室線(富良野〜新得間)の早期の鉄道事業廃止及びバス転換を目指す」とあった。根室本線は「利用が少なく鉄道を持続的に維持する仕組みの構築が必要な線区」としている。
根室本線は現在、東鹿越駅(ひがししかごええき)〜新得駅(しんとくえき)41.5kmの間で列車運行が行われておらず、代行バスでの運行が行われている。JR北海道では、不通区間をさらに延長し、富良野駅〜新得駅(路線は上落合信号場まで)81.7km区間の廃止を目指している。富良野駅〜新得駅間はどのような区間なのか、写真を中心に追ってみたい。
まずは、根室本線の歴史をひも解いてみよう。廃止が予定されている区間は、大変な苦労の末に先人たちが築いた路線だった。
根室本線の起点は函館本線と接続する滝川駅、そして終点は北海道の東端、根室駅へ至る443.8kmの路線である。北海道の鉄道開発は開拓の進行とともに進んでいった。根室本線は道央と道東を結ぶメインルートとして計画され、道東エリアを開発する上で欠かせないルートとされた。同線の計画でネックとなったのが北海道の中央部にそびえる狩勝峠(かりかちとうげ)だった。当時はこの地域は、まさに人跡未踏で探検ルートにされるようなエリアだった。ヒグマやオオカミが多く生息する危険と隣り合わせの場所で、路線造りは困難を極めたとされる。
当初の根室本線は、十勝線の名前で旭川駅から路線敷設が進められた。まず富良野駅(当初は下富良野駅)へ到達したのが1900(明治33)8月1日のこと。同年の12月2日まで鹿越駅(しかごええき/廃駅)まで到達。その後に徐々に延ばされ、落合駅まで通じたのが1901(明治34)年9月3日のことだった。この落合駅の東に狩勝峠がある。この狩勝峠の下を通るトンネル工事が岩盤の硬さゆえに困難を極める。苦労の末に狩勝トンネルが開通し、新得駅まで路線が通じたのは1907(明治40)年9月8日のことだった。
さらに滝川駅〜下富良野駅間が1913(大正2)年11月10日に開業した。東端にあたる根室駅まで線路が伸びたのは1921(大正10)年8月5日のこととなる。明治から大正にかけての鉄道工事は、危険をいとわない突貫作業で進められたが、それでも滝川駅〜根室駅間の開業には、20年以上の年月を要したことが分かる。難工事の末に完成した、いわば先人たちの苦労が実った一大路線だったわけである。
【根室本線の旅②】ルート変更と石勝線開業で変化が現れる
400kmを越える長大な根室本線を少しでも便利に快適に、また到達時間を短くする工事がその後も進められた。そのひとつが狩勝峠を越える新ルートの建設だった。地図を見ると、旧線は今の国道38号に沿って走っていた。このルートは勾配もきつく、最小180mという半径のカーブが連続する難しい線形で、列車で越えるのは一苦労だった。列車のブレーキが利かなくなり暴走するなどの事故も起きたとされる。
この路線を少しでもなだらかに、カーブも緩くした新ルートが1966(昭和41)年10月1日に造られている。峠は新狩勝トンネルで越えた。
この新ルートにより列車の運行がスムーズになった。旧狩勝峠の路線は廃線後に、そのカーブや勾配を活かし、狩勝実験線として利用され、その後の車両開発に役立てられている。
狩勝峠の新ルートに加えて根室本線を大きく変えたのが1981(昭和56)年10月1日に開業した石勝線(せきしょうせん)だった。石勝線は千歳線の南千歳駅と根室本線の新得駅を結ぶ132.4kmのルートで、北海道の中央部をほぼストレートに通り抜ける。
石勝線の開業までは富良野経由で大回りしなければいけなかったが、石勝線に完成により43.4kmものショートカットが可能となった。道央の札幌と、道東の釧路間の特急の到達時間も約1時間短縮された。特急列車の運行だけでなく、貨物列車も石勝線経由の運行に変更されている。
石勝線が一躍、幹線ルートとなる一方で、富良野を経由した優等列車は一部を除き消滅し、富良野駅〜新得駅間を利用する人は徐々に減っていく。さらに追い討ちをかけるような大きな災害が路線を襲ったのである。
【根室本線の旅③】台風により南富良野町内の路線が運転休止に
2016(平成28)年8月31日に列島に上陸した台風10号による豪雨災害は甚大なものとなった。根室本線では富良野駅〜新得駅〜音別駅(おんべつえき)間が不通となった。その年の暮れまでに石勝線トマム駅〜根室本線の音別駅との間は復旧工事が進み、特急の運転が可能となった。ところが、東鹿越駅〜上落合信号場(新狩勝トンネル内の信号場)間では多数の被害箇所が生じてしまい、とてもJR北海道一社では復旧できないと判断され、工事は手付かずの状態になった。そして列車の運行が休止した東鹿越駅〜新得駅の間には2017(平成29)年3月28日から代行バスが運行されるようになった。
JR北海道では「線区別の収支状況」を毎年発表しているが、運行休止後の状況悪化が目立つ。富良野駅〜新得駅間の輸送密度(旅客営業キロ1kmあたりの1日の平均旅客輸送人員)を見ると、運行休止前の2015(平成27)年度の輸送密度が152だったのに対して、2019(令和元)年度が82、最も新しい発表の2021(令和3)年度になると50まで落ち込んでいる。2021(令和3)年度の同区間の営業損益は6億6100万円の赤字と発表された。
東鹿越駅〜新得駅間の復旧に関しては、地元自治体との話し合いの場がたびたび持たれた。廃止が予定されている富良野駅〜新得駅(上落合信号場)間の路線と駅は、ほぼ富良野市と南富良野町の2市町の中にある。
富良野市、南富良野町の両市町とも、人口減少にあえでいる。富良野市の場合、2000(平成12)年には2万6112人だったのに対して、今年の4月末の人口は2万397人と2万人を割り込みそうだ。一方、南富良野町は2000(平成12)年が3236人だった人口が今年4月には2337人と大幅に減ってきている。過疎化が進み自治体の財政状況も厳しさを増している。昨年11月にJR北海道は、地元自治体に対して鉄道を残す場合には、維持管理費として年間11億円の負担を要請したものの、自治体からは今年の1月に「負担は困難」と回答、鉄道存続が断念されることになった。
富良野市、南富良野町ともに、住む人たちの移動はマイカーが基本で、鉄道・バスを利用するのは、中・高校生ら学生がメインとなる。人口減少が著しいこともあり、学生数の増加は見込めない。地方鉄道の難しさが凝縮されたような根室本線の一部廃線化の道筋であった。
【根室本線の旅④】たびたび訪れた映画の舞台・幾寅駅はいま?
すでに列車が走らなくなった駅で筆者が良く立ち寄る駅がある。それは幾寅駅(いくとらえき)だ。この幾寅駅は幌舞駅(ほろまいえき)の〝別名〟でも知られている。
幾寅駅は1999(平成11)年6月に公開された映画「鉄道員(ぽっぽや)」の舞台として使われた。監督は降旗康男氏、主演は高倉健である。仕事一筋で無骨な鉄道員・佐藤乙松を高倉健が好演した。
映画の中で幾寅駅は幌舞駅とされ、行き止まり式のホーム(実際の駅は行き止まりではない)にキハ40形が到着する姿が描かれた。懐中時計を見つつ遅れを気にする健さん演じる幌舞駅長。列車が駅へ到着すると「ほろまい、ほろまい」と駅名を連呼する姿が筆者の記憶にも残っている。
幾寅駅は、すでに列車が走らない。今年6月、10年以上ぶりに訪れたが、走らないことにより周囲の自然が駅を飲み込んでいくような印象があった。ちょうど地元の方が草刈りをしていたものの、駅のホームなどの施設も劣化が進んでいた。代行バスが通り、映画ファンたちが多く訪れ、駅は末長く〝幌舞駅〟として残るであろう。だが、幾寅駅としての姿は徐々に消えていき、ホームの案内板などは、見る人もなく風化していくことになりそうだ。
【根室本線の旅⑤】富良野駅は観光拠点として活気があるものの
ここからは、現在列車が走るものの、廃線となる予定の区間の沿線や駅を訪ねてみたい。まずは富良野駅から。北海道のほぼ中央にある富良野は、〝北海道のへそ〟とも呼ばれている。富良野、そして北にある美瑛(びえい)にかけては、道内でもトップを争うほどの人気観光地となっていて、6月から7月にかけて、名物のラベンダーが咲くエリアは観光客で賑わう。
根室本線の滝川駅〜富良野駅間では、札幌駅から直通で運転される特急「フラノラベンダーエクスプレス」が今年の8月28日まで走る(詳細は後述)。運転にはラベンダーのイメージにあわせたキハ261系5000番台ラベンダー編成が使われている。
特急「フラノラベンダーエクスプレス」の運転に合わせて、富良野駅と美瑛駅、旭川駅間を走る「富良野・美瑛ノロッコ号」も8月28日までほぼ毎日に運転されている。詳細は後述するとして、北海道の宝物はやはり観光資源ということがよく分かる両列車である。
さて、富良野駅からは根室本線の下り列車が東鹿越駅まで走っている。現在の列車本数は少ない。下り東鹿越駅行きが1日に4本、東鹿越駅発の上り列車は1日に5本だ。すべての列車が東鹿越駅〜新得駅の間で代行バスに連絡している。走るのは朝と、学生たちの帰宅時間に合わせるかのように14時台〜19時台という運転体系となっている。ちなみに同列車は富良野駅〜東鹿越駅間を約45分で走る。
【根室本線の旅⑥】人気ドラマの最初の舞台となった布部駅
富良野駅〜東鹿越駅間を走る列車は、JR北海道のキハ40形で、ほぼ1両で往復している。途中駅の様子を見ていこう。なかなか魅力的な駅が連なる。
富良野駅を発車した東鹿越駅行きの列車は、富良野盆地の水田を左右に見て進む。走り始めて約7分、最初の駅、布部駅(ぬのべえき)に到着する。ホーム一面、線路2本の小さな駅だ。駅前に立つ1本の松、その前に木の看板がある。そこには「北の国 此処に始まる」倉本聡とあった。
連続ドラマ『北の国から』の主人公らがこの駅に降り立つことから、このドラマが始まった。初回放送は1981(昭和58)年10月9日のことになる。41年前に放送された『北の国から』のドラマが始まった駅がここだったとは、すっかり忘れていた。現地を訪れて改めて駅前に立つと、さだまさしさんが作られた「あ〜ぁ、あぁ……」という歌詞のないドラマの主題歌をつい口ずさんでしまうのだった。
ドラマの舞台となった、麓郷(ろくごう)に向けて、かつて東京帝国大学(現・東京大学)の北海道演習林用の森林軌道線が走っていたとされる。1927(昭和2)年から1947(昭和22)年まで走ったそうだが、今はその面影はない。だが、地元を走る道道544号線が「麓郷山部停車場線」の通称名があるように、この道が森林軌道線の走っていた跡と思われる。
【根室本線の旅⑦】ルピナスの群生に大感動の新金山駅
布部駅の先、国道237号がより近づいて走るようになる。国道が根室本線をまたいだら、まもなく山部駅(やまべえき)だ。富良野駅〜東鹿越駅の間では駅周辺に最も民家がある駅だ。それでも駅前通りに商店はなく閑散としている。北海道では都市部の主要駅を除いて駅前商店のない駅が目立つ。やはり列車で通勤する人がほぼいないせいなのであろう。
さて、山部駅から南下した根室本線の車窓から川の流れが見えてくる。こちらは空知川(そらちがわ)で、この川と国道に沿って山間部を抜ければ南富良野町へ入る。そして最初の駅が下金山駅(しもかなやまえき)だ。この駅、初夏は花の名所になっている。
下金山には誰が植えたのかルピナスが群生していて、6月下旬から7月上旬にかけてピンクや紫色の花を咲かせる。廃線になったら、二度と見ることができなくなる列車とルピナスの花を見て、良い思い出ができたように感じた。
下金山駅にも布部駅と同じように、1952(昭和27)まで東京大学農学部北海道演習林用の森林鉄道が設けられていた。駅の北側には貯木場があったそうである。予想以上に駅構内が広いのはそうした森林鉄道があった名残なのだろう。ただし駅構内が広いだけで、森林鉄道の痕跡は何も残っていない。
撮影に訪れた日の17時11分着の下り列車から降りた乗客は学生1人。森林鉄道が原野の中に消えていったように、根室本線の思い出も、廃線になって時がたてば、風化していってしまうものかもしれない。
【根室本線の旅⑧】金山駅はすでに駅名標が無かったものの
下金山駅を発車した列車は国道237号沿いに走り、空知川を2本の橋梁で渡る。2本の橋梁とも赤く塗られたガーダー橋で、渡る列車が絵になる。このあたりになると建ち並ぶ民家も減っていき、山の中に入ってきたことが強く感じられる。
国道沿いにある金山の集落を過ぎたところに金山駅がある。こちらにも他にない〝お宝〟があった。まず駅舎の入口にあるはずの金山駅という駅名標がもうなかった。ホーム側には付いているのだが、駅名標を掲げていないのは、駅名を知っている人しかふだんは乗降しないからなのだろう。
駅舎の近くにレンガ建ての古い「ランプ小屋」が残されていた。ランプ小屋とは灯油などを保管した危険物収納倉庫のこと。電気照明がなかった客車には室内灯としてランプが天井からつるされていた。1900(明治33)年12月2日と富良野駅(開設当時の「下富良野駅」)と並び根室本線の中で最も古い時代に開設された金山駅には、ランプ用の灯油などを保管する施設が必要だったということが分かる。
こちらにも1958(昭和33)年まで金山森林鉄道という森林鉄道が走っていたそうだ。場内に上り下り交換設備などもある広い金山駅だが、まったく人の気配がない駅で、かつての栄光の時代を考えると、かなり寂しく感じられた。
金山駅を過ぎると路線は山中へ入る。今、運転される金山駅〜東鹿越駅間は、路線の開設当初とは異なっている。路線と並行して流れる空知川に金山ダムという多目的ダムが造られたためで、現在は「かなやま湖」の湖底に沈んだところに鹿越駅(しかごええき)という駅があった。ダムが造られたことによる水没した地区には261世帯700人が住んでいたというから、現在の「かなやま湖」の湖底には、大規模な集落が広がっていたわけだ。
かなやま湖を見下ろす高台に路線は移され、現在の終着駅である東鹿越駅が設けられた。今、駅を取り巻く施設は木材関係のプラント工場のみで民家はない。終着駅というにはあまりに寂しい駅である。
かなやま湖畔のレジャー施設は、駅の対岸エリアにあり、駅からはかなり遠い。この1つ先の駅が前述した幾寅駅で、こちらのほうが南富良野町の中心部にあたる。2016(平成28)年8月末の台風災害により大規模な土砂崩れが起こり、路線は寸断されてしまった。幾寅駅まで通じていれば、まだ救いがあったのかも知れない。現在の東鹿越駅の静けさを思うと、残念でしかたがない。
【根室本線の旅⑨】末端の〝花咲線〟は乗車客も多めだった
根室本線の富良野駅〜新得駅間は一部が代行バスによって運行され、かろうじて存続されている。しかし、近いうちに廃止される。ところで、根室本線の他の線区の存続は大丈夫なのだろうか。
石勝線を含め、新得駅〜釧路駅間は特急列車が走る幹線として機能している。釧路駅〜根室駅間はどうなのだろう。筆者は最東端区間への興味もあり、別名・花咲線とも呼ばれる釧路駅〜根室駅間を訪れてみた。
釧路駅〜根室駅間は135.4kmある。特急列車は走っていない。現在は釧路駅発列車が1日に8本、うち夜に走る列車2本は、途中の厚岸駅(あっけしえき)止まり。上りは同じく8本で、朝と夜の2本は厚岸駅〜釧路駅間を走る。要は釧路駅〜根室駅間を走る列車は1日に6往復ということになる。往復6往復のうち一部駅を通過する快速列車「はまさき」と「ノサップ」(下りのみ)が走る。釧路駅〜根室駅間は約2時間半弱とかなりかかる。
この路線には、列島の最東端にあたる鉄道の駅・東根室駅と、最東端の有人駅である終着駅の根室駅がある。ともに最果ての駅である。この花咲線の列車はどのような具合なのだろうか。
訪れてみると、意外に週末の列車の乗車率が高めだった。例えば、釧路駅始発の下り列車の乗車率は7割ぐらい、さらに根室駅折返し8時24分発の発車時間が近づくと、改札口には30人近くの乗客の列ができていた。とはいえ、1両のみの運行が主なので、乗る人が多いとはいっても延べ乗客数ともなると限りがあるのだが。
終点の根室駅の駅スタッフに聞いてみると、「週末はいつもこんな感じです」とのことだった。多くが鉄道ファンらしき様子。ただし、釧路駅から始発列車でやってきて、そのままの折返し列車に乗って戻る人の姿が多かった。
花咲線の〝盛況〟ぶりは、鉄道ファン効果が大きいように思えた。でも、せっかく根室駅まで乗ってきているのだから、根室駅から東端の納沙布岬をバスで目指すなり、根室市の観光をしても良いのではないだろうかと思った。乗車するのは路線存続のために良いことだと思うのだが、どうも鉄道ファン(筆者も含めてだが)は、一般の観光に興味を示さない人が多いようである。
前述したJR北海道が発表した2021(令和3)年度の「線区別の収支状況」を見ると花咲線の輸送密度は174で、富良野駅〜新得駅間に比べると3倍の数字が出ている。とはいえ路線距離が長いためか、営業損益は11億6000万円の赤字となる。
赤字にはなっているものの、根室という東端の町まで通じる路線ということで、国防という意味合いでも路線を存続させる意味は大きいのであろう。富良野駅〜新得駅間とはちょっと状況が異なるようにも感じた
【根室本線の旅⑩】北海道の宝物を見事に生かす2本の観光列車
根室本線の富良野駅〜新得駅の現地を訪れてみて、乗客も少なく、また住む人も徐々に減ってきていて、廃止は致し方ないように感じた。国や道が支援をしない限り、JR北海道一社や地元自治体の力ではどうにもならないように思う。こうした北海道の閑散地区の鉄道はどう残していけば良いのだろうか。好例を、富良野および釧路で見ることができた。
富良野や釧路では人気の観光列車が走っている。まずは、富良野線の旭川駅〜美瑛駅〜富良野駅を走る「富良野・美瑛ノロッコ号」。今年は6月11日(土)から走り始め、6月18日(土)〜8月14日(日)までは毎日、8月20日(土)〜8月28日までの土日に走る。運賃プラス840円の指定席料金で利用できる(乗車証明書付き)。列車は旭川駅〜富良野駅間が1往復、美瑛駅〜富良野駅間を2往復走る。運行中にはラベンダー畑で有名な「ファーム富田」の最寄りに「ラベンダー畑」という臨時駅も開設される。
ラベンダー畑駅で乗車する利用者の様子を見ていたところ、個人客よりも団体客の乗車が目立った。ラベンダー畑駅から美瑛駅までの乗車時間は約30分、富良野駅までは約25分。美瑛駅や富良野駅へ観光バスが先回りし、団体客を乗せてパッチワークの丘等の人気スポットを巡るのであろう。
一方の釧路では釧網本線の釧路駅〜塘路駅(とうろえき)間を「くしろ湿原ノロッコ号」が走っている。こちらの今年の運行は4月29日から始まり、5月のGW期間中、さらに5月28日(土)からはほぼ毎日、10月10日(祝日)に1往復、夏休みなどは2往復が運転される。一部の日は川湯温泉駅まで延長しての運転もある。この列車も運賃プラス指定席券840円が必要となる。
釧路駅から塘路駅までは約45分で、クルマでは入ることができない釧路湿原の魅力が観光列車の車内から楽しむことができる。運転日に塘路駅に訪れると、駅前で観光バスが数台、観光列車の到着を待っていた。これから先の道東観光の続きを、観光バスで楽しもうということなのだろう。
両列車の運行で良く分かったのは、観光バスとのコラボがより効率的で好まれているということ。さらに一般の利用者は長時間の乗車ではなく、最大45分ぐらいまでの乗車が飽きずに手軽ということなのだろう。さすがに花咲線のように2時間半の乗車となると、かなりの鉄道好きでないとつらいということなのかもしれない。
これらの観光列車は、北海道の最大のお宝である観光資源を上手く生かしている列車のように感じた。コロナ禍前に「富良野・美瑛ノロッコ号」は訪日外国人たちでかなりの賑わいをみせていた。今後、どのような人気観光列車を造り、活かしていくかが北海道の路線存続にとって大きいと思われた。
JR北海道では近年、廃止路線が毎年のように出てきている。2019(平成31)年4月1日には夕張支線が、2020(令和2)年4月には札沼線(さっしょうせん)の北海道医療大学駅〜新十津川駅間が廃止となった。2021(令和3)年4月1日には、日高本線の鵡川駅(むかわえき)〜様似駅(さまにえき)間が、根室本線と同じように災害による土砂流出による路線不通のまま、復旧することなく廃止に追いやられた。
さて根室本線の廃止はいつになるのだろう。札沼線廃止の時に、コロナ禍もあり、残念なことに混乱が起きてしまった。沿線は消えて行く列車に乗ろうとファンが殺到した。こうした前例があるせいなのか、今回巡った根室本線の富良野駅〜新得駅は廃止が決まっているものの、JR北海道からは運行終了日が発表されていない。
とはいえ、それほど先のことではないようだ。廃線となると札沼線であったように、最後の乗車をしよう、と訪れる人が極端に増える。札沼線の場合には、混乱を避けるために最終運転日を切り上げることになり、予定通りの最終日までの運行が敵わなかった。コロナ禍も引き続いているため、鉄道会社としては密を避けたいという思いが強いであろう。
鉄道ファンが集中すると、日ごろ乗車してきた利用者に迷惑がかかることになる。同じファンとして乗りたい気持ちも分からないわけではないが、長年の列車運行を感謝するとともに、静かに見守ることこそ、鉄道好きの〝使命〟なのではないだろうか。
120年以上前に先人たちによって作られた鉄路は、北海道の大自然のなかに静かにのみ込まれ、深い緑の中に再び還っていくことになる。