【ばたでん旅が続く⑤】駅前に足湯がある松江しんじ湖温泉駅
松江しんじ湖温泉駅はJR山陰本線の松江駅に比べて、市内の主な観光スポットに近い。まずは松江しんじ湖温泉街がすぐそばだ。加えて宍道湖畔の千鳥南公園までは徒歩3分あまり。同公園内には「耳なし芳一」像や、松江と縁が深い小泉八雲文学碑などが立つ。
松江のシンボルでもある、現存天守が残る国宝「松江城」には駅から市営バスの利用で約5分(徒歩で17分ほど)、松江城を囲う堀をめぐる「堀川遊覧船」の大手前広場乗船場までは徒歩で約15分ほどだ。
観光よりも鉄道に乗る旅を中心に楽しみたいという方には、次の電車が折り返すまでの約15〜30分の時間を利用して、松江しんじ湖温泉駅のすぐ目の前にある無料足湯を利用してはいかがだろう。「お湯かけ地蔵足湯」と名付けられた湯で、泉質は低張性弱アルカリ性高温泉で浴後には肌がすべすべになるだろう。毎週、月・火・木・土曜の朝6〜8時までが清掃時間の足湯で、清掃日であっても朝10時ごろには湯が満ちて使えるようになる。
【ばたでん旅が続く⑥】大社線高浜駅近くで見つけた赤い鳥居群
ここからは川跡駅に戻って大社線の沿線模様を見ていこう。大社線を走る電車は土日祝日と平日でかなり異なるので注意が必要になる。土日祝日の日中は、松江しんじ湖温泉駅と電鉄出雲市駅から出雲大社前駅行きの直通電車が多くなる。一方、電鉄出雲市駅から松江しんじ湖温泉駅へ、また松江しんじ湖温泉駅から電鉄出雲市駅へ向かう場合には、川跡駅での乗換えが必要になる。平日は川跡駅〜出雲大社前駅間を往復する電車が大半となる。
川跡駅を発車した大社線の電車は、北松江線と分かれ西へ向かうと、広がる水田と点在する集落が連なる。次の駅は高浜駅だ。電車好きは高浜駅に到着する前、進行方向左手に注目したい。ここに一畑電車の往年の名車、デハニ50形2両が停まっている。保育園内で静態保存されているもので、一両はオレンジ色に白帯、もう一両はクリーム色に水色帯という、それぞれ出雲路を飾ったデハニ50形カラーで残されている。
高浜駅を発車したら進行方向左手に注目したい。小さめの赤い鳥居が並ぶ一角がある。筆者も気になり帰りに訪ねてみた。最寄りの高浜駅から徒歩10分、距離で800mほどある粟津稲生神社(あわづいなりじんじゃ)の赤い鳥居だった。
参道には赤い鳥居が20数本連なっている。その先に警報器・遮断器のない踏切があり、踏切を渡って社殿へ向かう。この赤い鳥居越しの写真が“映える”と話題になり、筆者が訪れた時にも写真を撮りに来た人たちが見受けられた。ちなみに、粟津稲生神社は京都にある伏見稲荷神社の分社として建立されたと伝えられる。伏見稲荷神社も境内に多くの赤い鳥居が立つことで知られるが、こちらもそうした歴史が息づいているわけだ。稲荷神社は全国に多く設けられるが、稲生と書いて「いなり」と読ませる神社は全国で約20社しかないそうである。
なお、粟津稲生神社の赤い鳥居は今年の6月15日に建て直された。本数も増え赤さが増し、より“映える”と思う。
【ばたでん旅が続く⑦】出雲大社前駅近く背景の山地が気になる
赤い鳥居が見えた次の駅が遙堪駅(ようかんえき)だ。難読駅名で、語源はどこにあるのか調べてみた。このあたりは、進行方向右側に山地が連なって見えてくるようになる。北山山地と呼ばれる低山帯で、そこにかつて菱根池という大きな池があった。“遙かに水を湛(たた)える”が変化して遥堪となったそう。駅名はこの地名に由来する。ちなみに駅は現在、出雲市常松町にある。
遥堪駅の次は浜山公園北口駅で、駅名どおり南側に競技場、野球場などが設けられた浜山公園がある。遥堪駅の駅名の元になった北山山地が北側に連なっている。この山地の特長として麓まで平地が広がり、すそ野から急に盛り上がるように急斜面の山々がそびえ立っているところである。
この独特な地形はどこかで見た記憶があると思ったのだが、新潟県を走る越後線でも同じような地形を見ることができた。山の麓には彌彦神社(やひこじんじゃ)という古社があった。一畑電車大社線でも同じようにこの先、出雲大社という古社がある。
神が造りあげたような神々しい山の造形美があり、その麓には古社が設けられているのである。ご神体との絡みもあり、後ほど山と古社の関係を明かしてみたい。
連なる北山山地のなかで大社線からも良く見える山が、弥山(みせん)だ。出雲大社の東側に弥山登山口がありハイキングに訪れる人も多い。
【ばたでん旅が続く⑧】登録有形文化財でもある出雲大社前駅
川跡駅から11分で出雲大社前駅に到着する。1930(昭和5)年2月2日に開業した駅で、当時の名前は大社神門駅(たいしゃしんもんえき)だった。駅舎は当時のままの洋風な造りで、待合室は上部の明かり取り用のステンドグラスが取り付けられている。こうした姿が歴史的・文化的にも貴重とされ、1996(平成8)年12月20日には国の登録有形文化財に登録された。
出雲大社前という駅名どおり、出雲大社の最寄り駅だ。神門通りに面していて、この通りを北に徒歩で5分ほどのところに、出雲大社の正門にあたる「勢溜の大鳥居(せいだまりのおおとりい)」が立つ。
【ばたでん旅が続く⑨】旅の定番といえば出雲大社に出雲そば
出雲大社は「神々の国」ともいわれる出雲の象徴である神社だ。「古事記」「日本書紀」などでも触れられ、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)を祀る。まるで大社を守るように周囲は北山山地の緑におおわれている。
背景を山に囲まれた古社は、他にも新潟県の彌彦神社、広島県の宮島・厳島神社などが挙げられる。厳島神社は弥山(みせん)、彌彦神社は弥彦山である。出雲大社の北東側にも弥山という山がある。
みな「弥」が付く山に守られ鎮座していた。神社は神が降臨して宿る物が「ご神体」とされ、欠かすことができない大切なものとされる。彌彦神社のご神体は弥彦山(神体山とも呼ばれる)、厳島神社は宮島自体、とりわけ弥山がご神体とされる。すると、出雲大社のご神体は弥山かと思いきや、こちらはご神体は明らかにされていない。
古くから偉人英傑たちが出雲大社を訪れ、ご神体を見せて欲しいと願ったが、これまで明らかにされなかった。出雲大社のご神体は剣やアワビ、蛇、鏡という説が伝わる一方で、山や木といった森羅万象自体がご神体とも言われている。神社の裏手には八雲山という名の山がそびえ、ここは神職すら入ることができない禁足地となっていて、こちらがご神体なのではとも言われている。いずれにしても、古社を取り囲む山との関係はより緊密であることは間違いない。
そしてご神体が明らかにされないことも出雲大社を神秘的にさせている一つの要素なのかもしれない。
出雲大社の門前町にあたる神門通りは700mほどの通り沿いに老舗宿や食事処が建ち並ぶ。食事処で人気なのはやはり出雲そばだろう。出雲大社の門前町のみに限らず、出雲地方で親しまれる郷土料理で、日本三大そばの一つとされる。
出雲でそばが広まった理由としては、松江藩の初代藩主の松平直政(まつだいらなおまさ)が、三代将軍家光の時代に国替えされたことに起因するとされる。直政はもと信州松本藩の藩主だったこともあり、蕎麦好きが高じて信濃からそば職人を連れてきた。もともと奥出雲(出雲の南側一帯)は痩せた土地が多かったことも、そば栽培を盛んにさせた理由だとされる。
出雲そばでは割子そば、釜揚げそばといった独特な食べ方が広まり、もみじおろしや、辛味大根の大根おろしを薬味にして楽しまれる。