4年に一度の祭典、サッカーW杯2022が11月20日に開幕しました。今年はカタールが開催国となり、史上初の中東開催として注目を集めています。カタールの首都ドーハは以前日本代表が1994年W杯本大会への出場を逃した「ドーハの悲劇」の場所でもありますが、今大会は無事に予選を通過して本大会に出場。前回ロシア大会で惜しくもベスト8入りを果たせなかった日本代表ですが、今回はどうなるか注目です。
試合に使用される8つのスタジアムのうち7つがドーハ市内かその近郊に位置し、コンパクトなW杯開催となりますが、市内での公共交通の要となるのが2019年に開通したドーハの地下鉄こと「ドーハメトロ」です。今回のW杯で観戦客の重要な足となるであろうドーハメトロを解説していきます。
カタール初の鉄道路線開業への道
ペルシャ湾に囲まれ、サウジアラビアと隣接するカタールは人口260万人と小さい国ですが、20世紀半ばに石油の輸出が始まってから急速な経済成長を遂げました。首都ドーハでは人口の過半数が在住し、バスはあるものの基本的には車社会を前提としていました。しかしながら増加する人口と慢性化する渋滞に対応するため、2000年代後半から都市鉄道整備の構想が立ち上がりました。そして何より2010年12月に発表されたカタールの2022年W杯開催決定が公共交通機関として必要性が確固たるものとなり、プロジェクトが積極的に進められました。
2012年10月には地下鉄ネットワークの中核となるムシュレイブ駅が着工され、ドーハメトロの建設が始まりました。メトロの建設は2つのプロジェクトに分かれており、現在完了している第1部ではレッド・ライン、グリーン・ライン、そしてゴールド・ラインの3路線が2019年に開業しています。旅行者に一番馴染みがあるのはカタールの空の玄関口であるハマド国際空港と都心のアクセスを担っているレッド・ラインかもしれませんが、3路線とも沿線にスタジアムがあります。建設プロジェクトの第2部は4つ目の路線となるブルー・ラインの建設を視野に入れており、2027年に開業予定となっています。
メイド・イン・ジャパン:近畿車両製の地下鉄車両
あまり日本には馴染みのないカタールの地下鉄ですが、使用されている車両は三菱商事と近畿車両が共同製造したものになります。合計で3両編成の車両が75本発注され、2017年8月に最初の4本が納品されました(後に35本が追加発注されて合計110本に増備されています)。車両のデザインは近畿車両デザイン室とドイツのデザイン企業であるトリコンデザインAGが共同で設計しており、アラビアの馬をモチーフとした流線形が採用されています。ちなみに近畿車両は同じアラビア首長国連邦のドバイメトロ向け車両も製造しており、中東の都市鉄道システムでは2回目の受注となりました。
3両編成はA・B・C号車と振り分けられており、A号車が半室ゴールドクラブ、半室ファミリークラス、そしてB・C号車がスタンダードクラスとなっています。A号車の先頭寄り半室のゴールドクラスはいわゆる一等車の扱いで、普通運賃と比較して値段が高く設定されています。ひじ掛け付きの個別座席がロングシート風に並べられており、後ろのファミリークラスとの仕切りがあります。特徴的なのは一番先頭に配置されているクロスシート部分です。ドーハメトロは全線自動運転で運転席もないため、ここで前方(または後方)の景色が「被りつき」で楽しむことができます。
ファミリークラスのほうはその名の通り家族連れや女性専用車両となっており、男性が一人で乗車することはできません。イスラム国では公共の場で男性と女性の場を分ける国もあり、それを反映したルールとなっています。ファミリークラスの内装はセミクロスシートになっていて、子供用座席など家族連れに優しい仕様になっています。
B・C号車のスタンダードクラスは日本でもよく見られるようなロングシート形式になっており、先頭車側にはゴールドクラブと同様に「被りつき」用の座席があります。車内にトイレの設備はないですが、充電用のUSBポートがあったり、荷物置き場、車いす・ベビーカー向けのスペースや車内Wi-fiなど充実しています。
ドーハメトロは駅舎にも拘りがあり、カタールの伝統的な文化と近未来感を融合したデザインとなっています。伝統的なイスラム建築で使用されるヴォールト天井のデザインを元にモダンデザインを取り込み、駅舎内を牡蠣の貝の中にいるような居心地を目指して作られました(ヴォールト天井は聞きなれない言葉ですが、小田急ロマンスカーのVSEの略称にもなり、アーチを平行に押し出した形状を特徴とする建築様式です)。
ドーハメトロを利用してみよう
ドーハメトロを利用するにあたって気になるのが運賃設定ですが、スタンダード・ファミリークラスは1乗車で2リヤル(2022年11月の為替では1カタールリヤル≒40円、約80円)、一日料金は6リヤル(約240円)となっています。一方でゴールドクラブのほうは1乗車10リヤル(約400円)、一日料金は30リヤル(約1200円)とスタンダードと比較して5倍です。為替の影響を受けることもありますが、基本的にはかなり良心的な値段設定となっています。
現在、紙の切符の発売は中止されており、SuicaやPASMOと同様のICカードの購入が必要となってきます。スタンダード用のカードは本体が10リヤル(約400円)で、駅の券売機や街中の店舗で販売されており、残額のチャージは券売機、またはオンライン・アプリで行うことができます。こちらのカードはドーハメトロと後述のルサイルトラム共通で使用できます。ゴールドクラブカード本体は100リヤル(約4000円)で購入はメトロ駅に併設されているゴールドクラブ専用オフィスのみで購入でき、特別感が増しています。
ICカード使用時に自動改札機でタッチする必要がありますが、自動的に各座席クラス分の運賃が差し引かれるような仕組みになっているので、乗車したいクラスのICカードを事前に購入しておく必要があります(例えばスタンダードのカードを持っている中、一回だけアップグレードしてゴールドクラブに乗車することはできません)。また、一回の乗車での制限時間が設けられており、最大90分となっています。入場と出場との間の時間が90分を超える場合、再度一回乗車分の運賃が引き落とされるので気をつけてください。最後に一日乗車料金に関してですが、別途そのような切符があるわけではなく、一日での請求額が一日料金に達するとそれ以降は自動で運賃が請求されなくなる便利なシステムとなっていますので、何回も気軽に乗ることができます。
通常のメトロの営業時間は土曜日~水曜日で午前6時~午後11時、木曜日には終電が午前0時までと営業時間が延び、金曜日の午前は運休となっており、午後2時~午前0時まで運行されています。イスラム教では金曜日の正午に「ジュマ」という特別な礼拝を行うことが義務付けられいて、金曜日の一見変則的な営業時間はこれを反映しています。
ワールドカップ中の利用に関して
今までドーハメトロの概要を説明してきましたが、カタール、そしてドーハに世界中から人が集まるW杯期間中は特別ルールが適用されるので、使用される際は注意が必要です。まず車内のクラス設定に関してですが、11月11日から12月22日の間は全ての列車でクラス分けがなくなり、全車スタンダードクラス扱いとなります。ですので、わざわざゴールドクラブ用カードを購入する意味はなくなります。恐らく混雑でそれどころではないかもしれませんが、スタンダードクラスの料金でゴールドクラブを体験できるいい機会かもしれません。
また、営業時間も変更となり、土曜日~木曜日は午前6時~午前3時まで、金曜日に関しても午前9時~午前3時と大幅に営業運転時間が拡大され、サッカーの試合が終わった後の遅い時間帯でも人が移動できるようになりました。W杯開催中は一日70万人の利用が見込まれており、通常時の6倍もの利用客が予想されています。
ルサイルトラム
ドーハの都市交通システムとしてもう一つ整備されているのがルサイルトラムです。こちらはドーハの北部のルサイル地区を中心に整備されており、2022年11月現在では同年1月に先行開業したオレンジ・ラインのレグタイフィヤ~エナジー・シティ・サウス間のみが営業運転しています。今後はオレンジ・ラインの全線開業、そしてピンク・ライン、ターコイズ・ライン、パープル・ラインと続けてトラムの路線網が増えていく予定です(現在開業しているオレンジ・ラインの区間は全て地下区間です)。ルサイルトラムの運賃体系や営業時間はドーハメトロと一緒で、同じICカードで使用できます。
ルサイルトラムの使用車両は仏アルストムの「シタディス」モデルを導入しており、35編成が配備されています。通常は電気を上空に張られた架線からパンタグラフを使用して集電しますが、一部区間ではアルストム独自のAPSという技術を使用して、地上に設置された第三軌条のレールから集電する区間もあります。こちらの特徴としては車両が給電レールを覆っているところしか通電しておらず、路面で使用しても安全なところが特徴となっています。
今回はドーハの新しい都市鉄道であるドーハメトロを紹介させていただきました。筆者は開業前の2014年にドーハに訪れたことがありましたが、その時と比べて格段に空港からドーハ市内へのアクセス、そして市内での移動が便利になったと感じました。今回のW杯でも大活躍することでしょう。