乗り物
2016/12/17 15:00

広島なのに京都市電、大阪市電! 被爆電車も走る「広島電鉄市内線」はまるで路面電車の博物館だ

全国を走る路面電車の旅 第19回 広島電鉄【前編】

 

広島電鉄は日本最大の軌道事業者だ。路線の総延長は約35キロ(うち鉄道線は15キロ)、車両総数とともに路面電車では日本一の規模を誇る。広島駅電停の1日の乗降客数は、JR広島駅とほぼ拮抗しており、路面電車の電停としてはケタ違いの数字である。

 

120万人近い人口の広島市だが、地下鉄の路線はなく、市内を路面電車の路線が網羅している。いまなお路面電車が交通の主役であるという都市は、全国でも広島だけしかない。そんな広島の路面電車の魅力を、前編・後編の2回にわたってお届けしよう。まずは、市内線の魅力から紹介していく。

↑広電本社前に設置されたプレート。爆心地から約1.9キロ離れていたにも関わらず社屋が倒壊した
↑広電本社前に設置されたプレート。爆心地から約1.9キロ離れていたにも関わらず社屋が倒壊した

 

【歴史】復興のシンボル“被爆電車”650形がいまも元気に活躍!

広島の路面電車の歴史は1912(大正元)年に始まった。広島電鉄の前身・広島電気軌道が広島駅前(現・広島駅)〜相生橋(現・原爆ドーム前)と、紙屋町〜御幸橋西詰(現・御幸橋)、八丁掘〜白鳥間を開業させたことからスタート。その後、1931(昭和6)年には、西広島と宮島口を結ぶ宮島線が開業している。1942(昭和17)年には、会社名が現在の広島電鉄に改められた。

 

広島電鉄を語るうえで忘れてはならないのが、昭和20(1945)年8月6日の出来事。原子爆弾が広島市に投下され、その惨禍に多くの市民が巻き込まれた。だが、わずか3日後、焦土と化した広島の街中を路面電車が走ったのである(※)。しかも電車を運転したのは、当時広島電鉄が経営していた家政女学校に通う十代の女学生たちだった(戦時下、人手不足から女学生が一部の電車の運転を代行していた)。

※)走った区間は己斐(こい)電停〜西天満町電停間。現在の広電西広島駅〜天満町間にあたる

 

広島電鉄にはいまもなお、原爆投下時に街中を走っていた“被爆電車”650形が在籍し、営業運転に就いている。“被爆電車”は、悲惨な歴史をいまに伝える貴重な証人だ。さらに、惨劇にもめげることなく3日後に走り始め、広島を復興へ導いた路面電車は広島カープとともに、広島の人々にとって誇りとなっている。

↑原爆により全車が焼損、全半壊した“被爆電車” 650形。5両が製造され、いまも3両が現役として活躍する
↑原爆により全車が焼損、全半壊した“被爆電車” 650形。5両が製造され、いまも3両が現役として活躍する

 

【車両】元京都市電、大阪市電以外にも多くの希少車が街中を走行

広島電鉄の車両は大きく2タイプに分かれる。市内線のみを走る単行車と、宮島線にも乗り入れる低床の連接車だ。連接車は、3連、5連と長い編成の車両が連なり街中を走るため、かなり目立つ。一方の単行車は、1両のため、見た目、迫力というポイントでは劣る。だが、市内線の主役はやはりこの単行車といって良いだろう。

 

単行車の中で最も“大所帯”なのが1900形で、いまも計15両が在籍している。この1900形は元京都市電の1900形。1970(昭和45)年に造られ1978年に京都市電が廃止されたときに、最後まで走っていた電車だ。市電廃止前後に広島電鉄に移籍した。15両はそれぞれ「嵐山」「舞妓」など、京都に縁が深い愛称が付けられ、京都市電の塗装そのままのレトロな姿で広島市内を走っている。

↑1900形同士のすれ違い。1902号車「桃山」、1909号車「清水」のように京都に縁の深い愛称が付く
↑1900形同士のすれ違い。1902号車「桃山」、1909号車「清水」のように京都に縁の深い愛称が付く

 

↑側面には元京都市電であったことを示すプレートと、逆三角形の元京都市電の社章が付けられている
↑側面には元京都市電であったことを示すプレートと、逆三角形の元京都市電の社章が付けられている

 

焦げ茶色とクリーム色に塗り分けられた900形も、街中で良く見かける。この900形は元大阪市電2601形で、1955(昭和30)年から1961(昭和36)年の製造と、1900形に比べて車歴は長い。1969年に広島電鉄に移籍、現在も9両が活躍している。

 

広島市電は、ほかにもレトロな車両にはこと欠かない。先の“被爆電車”650形、改造されてはいるものの元の車体は1924(大正13)年製という570形電車(元神戸市電500形)、1958(昭和33)年製の350形など、バラエティに富む。連接車も含めれば、その車両の多彩さは類がなく、まるで路面電車の博物館のような印象があり、乗っていて見ていて飽きることがない。

↑元大阪市電の900形。1900形と同じように車体の側面に元大阪市電であること示すプレートが付く
↑元大阪市電の900形。1900形と同じように車体の側面に元大阪市電であること示すプレートが付く

 

↑570形は元神戸市電の500形。改造されているものの、元の車体は製造後90年以上の古参電車だ
↑570形は元神戸市電の500形。改造されているものの、元の車体は製造後90年以上の古参電車だ

 

古参の電車ばかりに触れたが、超低床の連接車の割合も高くなっている。市内線にもそうした新型車両が続々と導入。一方で、古参の電車が大事に扱われているところも、広島電鉄ならではの魅力といえるだろう。

↑2014年に運転開始した1000形「グリーンムーバー・レックス」。市内線で活躍する最新車両だ
↑2014年に運転開始した1000形「グリーンムーバー・レックス」。市内線で活躍する最新車両だ

 

こうした通常時に走る車両以外に、元ハノーバー市電の200形や、開業当時の車両を再現した100形、被爆当時の色に塗られた“被爆電車”650形653号車なども、週末や観光シーズンなどを中心にイベント電車として走っている。加えて、2016年夏から車内で飲食ができる観光電車「TRAIN ROUGE(トラン・ルージュ)」の運転も開始。広島の街並みを楽しみながら、車内で飲んだり食べたりができるとあって、早くも大人気となっている。

↑2016年の夏から走る「TRAIN ROUGE(トラン・ルージュ)」は車内で飲食が楽しめる観光電車だ
↑2016年の夏から走る「TRAIN ROUGE(トラン・ルージュ)」は車内で飲食が楽しめる観光電車だ

 

【沿線】JR広島駅から街の中心部へ便利な市内線の電車

広島市の玄関口といえばJR広島駅。この広島駅から街の中心でもある繁華街「紙屋町」までは約2キロ。この紙屋町まで広島駅から広電本線が走っていて、乗車すれば約15分の距離だ。紙屋町電停は、市街を東西に延びる「相生通り」上にある。

 

広島電鉄の路線は全部で9路線。このすべての路線が「相生通り」にあるいずれかの電停を経由、もしくは接続している。市内線のこうした路線の延び方を把握しておけば、非常に便利だ。市内線の料金は160円均一(白鳥線のみ利用は110円)とリーズナブルで使いやすい。

↑各電停に設けられる案内板、近づく電車の案内とともに、単行車か連接車かの案内も行われる
↑各電停に設けられる案内板、近づく電車の案内とともに、単行車か連接車かの案内も行われる

 

市内線に乗ったら、ぜひとも立ち寄りたいのは原爆ドーム前電停。その名前の通り、原爆ドームや平和記念公園に訪れるのに便利な電停だ。電停のすぐ西側を流れる太田川。そこに架かる相生橋は、路面電車と原爆ドームが一緒に撮影できる名物スポットにもなっている。あとは、横川駅電停も忘れてはならない。JR横川駅前に設けられた電停は、ドーム型の屋根が付き、ヨーロッパのお洒落なトラムの駅を彷彿させる佇まいだ。

↑ドーム型屋根が印象的な横川駅電停。ちょうど元大阪市電の900形が並び発着していた
↑ドーム型屋根が印象的な横川駅電停。ちょうど元大阪市電の900形が並び発着していた

 

路面電車好きならば、ぜひとも訪れたいのが広電本社前電停。名称どおり、広島電鉄の本社が目の前にあり、本社の裏手に車庫が併設される。イベント開催時以外は、車庫への入場は不可だが、停まる車両や電車の出入りを通りから見ることができる。平日の朝夕しか走らない希少車は、ここでチェックしたい。

 

【TRAIN DATA】

路線名:市内線/本線(広島駅〜広電西広島間)、宇品線(紙屋町〜広島港間)、江波線(土橋〜江波間)、横川線(十日市町前〜横川駅間)、皆実線(的場町〜皆実町六丁目間)、白鳥線(八丁堀〜白鳥間)。

鉄道線/宮島線(広電西広島〜広電宮島口間)

運行事業体:広島電鉄

営業距離:35.1km

軌間:1435mm

料金:160円(市内線・白鳥線のみ利用は110円)、宮島線は区間運賃制

開業年:1912(大正元)年

*広島電鉄の前身、広島電気軌道が広島駅前(現・広島駅)〜相生橋(現・原爆ドーム前)と紙屋町〜御幸橋西詰(現・御幸橋)、八丁掘〜白鳥間を開業