ワールド
2020/10/15 10:00

【世界手洗いの日】日本発の「正しい手洗い漫画」が世界へ――途上国での感染症予防に新たなアプローチ、その制作背景に迫る!

毎年10月15日は「世界手洗いの日」。不衛生な環境や水道設備の不足により感染症にかかるリスクの高い途上国の子どもたちにも、予防のための「正しい手洗い」を普及したいと、2008年にUNICEF(国際連合児童基金)などによって定められました。

 

石鹸を使った正しい手洗いは、感染症から身を守る、最もシンプルな“ワクチン”ともいわれています。特に今年は新型コロナウイルス感染症の収束が見通せない状況のなか、「手洗い」への関心が世界的に高まっています。

 

この機会に途上国の子どもたちに広く手洗いについて知ってもらおうと、漫画を使った取り組みが行われています。これはJICA(独立行政法人国際協力機構)が世界手洗いの日にあわせて実施する「健康と命のための手洗い運動」キャンペーンの一環で、漫画は翻訳され、世界各国の関連施設や現地の小学校へ配布されるほか、漫画を動画化してテレビCMやYouTubeで配信するなど多角的に展開されます。

この「手洗い漫画」を描いたのは、国際協力やジェンダー問題などをテーマに取材漫画家として活動する井上きみどりさん。制作過程では、途上国特有の手洗い事情への配慮はもちろん、技術的な側面でも新しい発見が多かったとか。そうした裏話を含め、井上さんに制作の背景や国際協力に対する想いなどをうかがいました!

<この方に聞きました>

井上 きみどり(いのうえ きみどり)

仙台在住の取材漫画家。与えられたテーマで描くより、自身が本当に描きたい「震災」「ジェンダー問題」「国際協力」等に注力したいという思いから取材漫画家として活動をスタート。2020年4月には「「コロナを『災害』として見る場合の災害時に子どものメンタルを守るために気をつけたいこと」と題した漫画を自身のSNS上で発表し、JICAの協力で33言語に翻訳され世界中で話題となる。仙台での震災の経験から、【震災10年】の作品制作活動にも取り組んでいる。「自由な場で自由に描く」が方針。

https://kimidori-inoue.com/bookcafe/

 

きっかけはコロナ下で大きな話題となった子どものメンタルケア漫画

――今回の手洗い漫画は世界展開を前提にしたものですが、井上さんが4月に発表された漫画「【コロナを『災害』として見る場合の】災害時に子どものメンタルを守るために気をつけたいこと」も、翻訳されて世界的な広がりを見せるなど話題になっていましたよね。

↑井上さんが自身のブログに掲載した日本語版(左)。タイ語版(右)に翻訳された後、33言語に翻訳され世界的に広がった

 

井上きみどりさん(以下、井上):あの漫画は当初、個人的に自分のブログにアップしただけだったのですが、以前に別のプロジェクトでお世話になったJICAタイ事務所の職員の方が見つけてくれて、「タイ語版にさせてほしい!」と連絡をくださったんです。その後はもう、私の手を離れ、漫画がひとり歩きしていった感じでした。そういった縁もあって、今回JICAさんからお声がけいただいたのだと思います。

 

――そのほか、アフガニスタンの女性警察官支援に関する漫画など、国際協力をテーマにした作品も多く描かれています。こうした分野にはもともと興味があったのでしょうか?

 

井上:以前は出版社の商業誌で育児漫画を描いていたのですが、その頃から国際協力に興味があったんです。「育児」というのは編集長から与えられたテーマでしたが、次第にジェンダー問題や途上国の事情について自分自身で取材して描いてみたいという気持ちが大きくなりました。でも、どうアクションしたらよいかわからず……。

それでグローバルフェスタJAPAN(※)の会場に押しかけたんです、「私に描かせてください!」って。ザンビアのHIV予防プロジェクトに自費で同行取材したことも。押しかけ女房状態ですよ(笑)。

 

※国際協力にかかわる政府機関、NGO、企業などが一同に集まり、世界のことをもっと知ってもらうことを目的とした展示やステージを行うイベント。毎年、「国際協力の日」の10月6日前後の週末に行われている

 

――熱意がすごい! それがいつの間にか、JICAさんのほうから今回のような企画依頼がくるようになったんですね。

 

井上:本当にうれしく思っています。

 

日本とは異なる手洗い事情――途上国に向けて描くなかで得られた気づき

――制作にあたって苦労された点などはありますか?

 

井上:これまでは、例えば途上国での取り組みを日本の読者に紹介するなど、当事者の話を当事者ではない方に向けて描くことが多かったのですが、今回は届ける先が途上国の方自身だったので、そこはまた違った難しさもありました。

あとは、漫画は「会話劇」なので、伝えるべきことをどう会話に落とし込んでいくかは毎回山場になりますね。今回は「手洗い」とはっきりシーンが絞られていましたが、それでもいただいた資料や自分が蓄積してきた情報を会話と絵にしてラフを作るまでに1週間ほど温めました。

 

――途上国では、水道などの設備や手洗いに対する意識なども日本と異なると思います。その違いに配慮して、描くうえで意識されたことはありますか?

 

井上:まずは“正しい”手洗いの仕方を正確に描くことでしょうか。ウイルスやバイキンを落とすには、水でしっかり洗い流すことが重要なのですが、途上国では水道設備のない地域もあり、桶に水を溜めてすすいだりするそうです。でもそれだと、溜まった水が汚染されるので感染症対策にはならないと。ですから、少ない水でもきちんと洗い流すことができる「Tippy-Tap」などの方法や簡易な手洗い装置を紹介するコマを作りました。

↑漫画内では、少ない水でもきちんとバイキンやウイルスを洗い流せる手洗い方法も紹介

 

井上:JICA地球環境部のご担当者とやりとりをするなかでは、手洗いのシーンには「石鹸」というワードを必ず入れ込んでほしいともいわれましたね。いわれてみればなるほどですが、石鹸がない環境で育っていると、石鹸を使わずに水洗いだけで済ませてしまうことが習慣になっている子どもたちもいるんです。また、洗ったあとは「乾かす」ことも大事だと。清潔な手拭きタオルがない環境では、自然乾燥でもよいとうかがい、パッパと手をはらって乾かす絵柄を入れました。

それから、日本ですと「家に帰ってきたら」「食事をする前に」手を洗う習慣がありますが、途上国の場合は事情が違う。「家畜の世話をした後に」や「ゴミを触った後に」にという表現を加えるようにアドバイスしていただき、なるほどなぁと感じました。

↑手を洗うタイミングについても、途上国の生活スタイルを考慮したシーンを取り入れている

 

井上:水道から水が流れるシーンには、「ジャー」という擬音語の描き文字を何気なく入れていたのですが、「途上国では水道の蛇口があっても、ジャーというほどの水量が流れないことがありますし、水が足りなくて節約しながら大事に使っている人もいます」とアドバイスいただきました。指摘されるまではその不自然さに気がつきませんでしたね。

↑最初の下書き段階では、水が流れる「ジャー」という擬音語が入っている(左)。完成版ではその擬音語が外され、タオルを使わず手を乾かす描写も描かれている(右)

 

翻訳や動画などの二次展開は、巣立つ子どもを見送る母のきもち

――今回の漫画は翻訳されることを前提に描かれたと思うのですが、その点で意識されたことはありますか?

 

井上:いつもは日本語ですから右→左にコマが流れるように描きますが、今回は横書きの言語にも対応できるようにと、左→右に描くことになりました。吹き出しも、横文字が入りやすいように横長にしています。

↑井上さんの制作風景。吹き出し内のテキストや、描き文字は翻訳用に外せるようレイヤー分けされている

 

――この漫画は、動画化も予定されているそうですね。こうした展開・拡散についてはどう思われますか?

 

井上:もうどんどんやってください! という気持ちです(笑)。心のケア漫画のときもそうでしたが、私の手を離れて、後は皆さんの手によって新しく展開されていくことは、とてもうれしいです。動画化は初めてですし、漫画が動いたり、音がついていったり変化するのは楽しみ。後は巣立つ子どもを見送る母親の気持ちです。

↑モルディブの小学校で「心のケア漫画」が授業で使われている様子。今回の「手洗い漫画」も 小学校での利用のほか、ボリビアのコチャバンバ市ではCMで配信される予定(写真提供/JICA)

 

「手洗い」って、「教育」だったんだ! 日本の子どもたちにも読んでもらいたい

――手洗い漫画を描いてみて、「手洗い」に対する考え方に変化はありましたか?

 

井上:ありましたね! 手を洗うことは自然に身に着くものではなく、「教育」なんだ、と気が付いたのです。日本だと、家庭や学校で子どもに手の洗い方を教えてくれますから、自然と習慣化されている。でも、それは当たり前のことではないんですね。

以前、ベトナム取材に行った際に、「ベトナムでは多くの人が俯瞰地図を読めない」というお話をうかがって、とても驚いたんです。タクシーに乗った際、ドライバーに地図を指し示して「ココに行って」と場所を伝えても、確かに理解してもらえませんでした。地図の読み方を、日本だと小学校で教えますが、そうではない国もあるのだと知りました。私にとって、それが大きな発見だったんです。「手洗い」も同じ。今回は途上国向けの手洗いの方法を、途上国の子どもたちに向けて描いていますが、日本の子どもたちにこの漫画を読んでもらっても意味深いと思うのです。「日本とは手を洗う環境が違うんだ!」って。それもまた大きな学びですよね。

 

漫画の利点を生かして「声を上げられない方の声」を届けたい

――社会課題を漫画で伝えることのメリットは何でしょうか?

 

井上:私が初めて「漫画家になってよかった!」と思えたのは、女性の医療問題を取材して単行本を2冊出したときでした。声を上げることができなかった女性たちの声を、漫画で伝えることができた、ということがうれしく、やりがいを感じた瞬間でした。ようやく「人の役に立つものが描けた」と。漫画だと、人の感情や声にならない声を、顔の表情などの非言語でも伝えることができるんですよね。

また、「恐怖」もデフォルメして伝えられると思うんです。途上国の事情も写真や映像だと、つらすぎる場合がある。私は仙台に住んでいますが、震災時のニュース映像などはリアルすぎて恐怖を感じる方も多いと思います。そういうときに、漫画というツールが、緩和してくれるといいますか。漫画を媒介にすることで届けやすくなるのかもしれませんね。

 

――取材漫画家として、今度取り組みたいテーマはありますか?

 

井上:社会課題を漫画にすることは今後も続けていきたいです。また、2011 年の東日本大震災で被災した仙台や福島の「震災の10年」をまとめたいと考えています。石巻の防災教育施設からのご依頼で、子どもの視点で震災漫画を描く試みもしています。東北では今、震災を知らない子どもたちも増えきているので、震災当時には子どもだった方々に取材をさせていただき、企画を温めています。

 

――最後に、改めてこの漫画に込めたメッセージをいただけますか?

 

井上:今はコロナ対策として手洗いがフューチャーされていますが、「世界手洗いの日」はコロナ以外の感染症にも取り組んできた日です。衛生管理は、健康の基本中の基本で、それで防げることはかなりある。下痢等の感染症で亡くなる子どもの死亡率も、手洗いで減らしていけるとうかがったことがあります。読んだ人全員が手洗いを励行はできないかもしれませんが、10人のうち1人でも2人でも頭の中に入れてくれたらな、と。その子どもたちが大人になったときに、今度は自分の子どもに手洗いの大切さを伝えていく、そうやって繋げていっていただけたらと願っています。

 

<JICA 健康と命のための手洗い運動プラットフォームとは>

民間企業、業界団体、市民社会、大学、省庁、海外協力隊などの団体又は個人の方に協力の輪を広げ、情報や経験の共有、衛生啓発イベントの開催、共同活動の企画などを通じて、様々な連携事例、アイデア、ナレッジ、ツール等を生み出し、開発途上国の感染症予防、健康の増進、公衆衛生の向上に貢献することを目指します。

https://www.jica.go.jp/activities/issues/water/handwashing/index.html