東京大学名誉教授の養老孟司氏が、2023年に出版した『ものがわかるということ』(祥伝社)で述べているように、日本と西洋では「自分」に対する考え方が違います。明治時代まで日本人は自分をことさら意識してこなかったのに対して、西洋人は自己をはっきり意識します。理論的にそうだとすれば、実際に欧米の社会はどうなっているのでしょうか? フランスを調べてみると、学校や会社における人々の行動が日本と全然異なることがわかりました。
桜の開花とともに始まる日本の新年度は、社会全体が新しい生活を予感させるワクワク感に包まれているような気がします。そんな日本と違って、フランスの新年度は夏の気だるさを引きずりながら9月に始まります。
フランス人は入学式や入社式を人生の大事な節目と考えておらず、そのため、入学式や入社式といった、みんなが一緒に参加する儀式もありません。
新年度が始まる夏季休暇明けの9月に普段の職場の景色と違うことと言えば、こんがり日焼けした同僚たちと休憩時間にバカンスや夏の出来事についておしゃべりするぐらいです。
その一方、学校でも入学式や始業式はなく、子どもたちは普段通りに登校します。加えて、成長の早い子の飛び級は昔から特別ではないことが、日本の学校との違いとして挙げられます。
フランスの大学生には就職活動期間というものもなく、個人的に研修し会社側がタイミングを見て採用するのが一般的。転職やキャリアアップしてからの入社も多いため、新入社員の年齢や出社時期もさまざま。そのため、年度初日に新入社員が集団で出社するのは不要という考え方です。
このようなフランス人の行動の背後にあるのが、集団よりも個人を優先させる「個人主義」。フランスには日本のように社会全体で節目を大切にする習慣が特になく、それよりも個人の感覚や都合のほうが大切とされています。だから、新生活に向けた社会全体の高揚感や期待感もさほど高くはありません。
そんなフランス人に日本の入学式や入社式について説明すると、概ね反応は二通り考えられます。一つ目は「面白い」という反応。実際、フランスには日本の文化を紹介するウェブサイトがたくさんあり、その中には入学式を説明しているものもあります。もう一つの反応は「なんて大げさなんだ!」と驚かれること。フランス人はしばしば世界最高の「ペシミスト」と呼ばれますが、個人主義の対極にある考え方には悲観的なのかもしれません。
執筆者/Mayumi Folio