だんだんと暑い日が続くようになってきましたが、汗をかいたときの必需品は言うに及ばずハンカチ、タオル、手ぬぐいです。特に手ぬぐいは近年、様々なデザインのものがあり、定番の「拭く」といった行為以外にも様々な使われ方をされるようになり、用途のバリエーションが増えているようです。ここでは、そんな手ぬぐいの秘密と新しい使い方について、てぬぐい専門店・かまわぬの秋葉美保さんにお話を聞きました。
手ぬぐいのはじまりは特別な神事につかわれるものだった
――まず、手ぬぐいの歴史から現代までの変遷をお聞かせください。
秋葉美保さん(以下:秋葉) 手ぬぐいは、平安時代からの法令「養老律令(ようろうりつりょう)」において、安い麻は庶民が、絹は高貴な者が身に付けるよう定められており、当時、綿は中国などからの輸入品しかなかったため絹よりも高価な存在でした。
それがやがて江戸時代に入り、庶民のあいだで使われるようになり、特に江戸中期は手ぬぐいが最も使われた時期だったようです。奈良時代のころにはまだ「手ぬぐい」という言葉はありませんでしたが、確かにそういった布の存在はすでにあったとされています。しかし、その手ぬぐいの用途は神仏の清掃や飾り付けなどに使用するものであり、特別な神事の装身具としても利用されていたそうです。
手ぬぐいのサイズは当時から一尺三尺です。これが六尺だと、ふんどしなどになるわけですが、当時は反物で生地を切り売りし、好きな長さで買って使うということが一般的だったようです。タオルがない時代ですから、手ぬぐいの用途は後のタオルでできること……拭いたり、汗を吸わせるために頭に巻いたりといったものが主だったようです。
一方でこのころは「手ぬぐい合わせ」という遊びごとも始まりました。複数の手ぬぐいの柄を掛け合わせて意味合いを作ったり、デザインもたくさん増えていったりした時代だったようです。この江戸時代からの流れが、昭和初期まで一般的だったのですが、やがてその役割はタオルに変わっていきます。せいぜい手ぬぐいを見かけるのは、お祭りとか、景品として作って配る程度で、常に生活の中にあるものではなくなってしまいました。
古い型を活かし、新しい色で染めることで手ぬぐいが再生された!
――手ぬぐいの支持が薄くなっていたころ、売られるお店も減っていったのでしょうか?
秋葉 昭和の末期でも浅草、日本橋には古くからやられている手ぬぐい専門店がありましたが、ほかではなかなか手に入れにくい状況でした。そんななか、当時の手ぬぐいは「注染」という技法で染められたもので、こんなに良いものが現代の人に知られていない、使う人も少なくなったのはもったいないということで、1987年代官山に1号店を開店しました。当時の代官山は雑貨屋さんが多く、そのなかの一つとして手ぬぐい専門店を始めました。
さきほど言った「注染」というものの型紙は和紙に柿渋を塗った型紙を使うのですが、これが非常に丈夫で、昭和初期からの型が残っていたんです。こういった型紙を活かし、従来にはなかった新しい色合いで染めることで、新しいお客さまに手にとっていただくきっかけになったのではないかと自負しています。
机も拭けて、顔も洗えて、手も拭けるものが、スカーフに!?
――やがて手ぬぐいが再評価され、いまではハンカチ、タオルと肩を並べるアイテムになりつつあります。
秋葉 当店では手ぬぐいの様々な使い方を提案させていただき、いまでは従来の「拭く」という用途以外の使われ方もされるようになりました。例えば、祝儀袋。従来の祝儀袋はいただいたあとに捨ててしまいますが、こちらは、いただいたあとも、さらに手ぬぐいとしても使えるというもので、サイズは従来のものの半分になります。あとは一番薄い生地を使って風呂敷にしたものや、女性向けのスカーフなどもあります。
――手ぬぐいをファッションに転じたものも店内に沢山ありますね。
秋葉 海外のデザイナーさんにデザイン協力をしていただいたものもあります。海外の方からすれば、手ぬぐいという定義がまったくわからないものなんです。机も拭けて、顔も洗えて、手も拭けて、キッチンでも使えるし、さらにスカーフにも……ということがまず伝わらない。
海外の方にとってのそれらは、すべてバラバラにあるものですが、日本にはこんなに素晴らしい手ぬぐいというものがある、しかも、見た目も美しくファッションにも使えるという意味で、海外展開をメインとした商品も作っています。