日本カミソリ市場の中で、トップを走り続けるブランド、シック。男性はもちろん、女性も多くの人がシックのカミソリを手にしたことがあるのではないでしょうか。
シックは本国・アメリカでのスタートから今年で100周年。一大ブランドとして定着するまでの間には、度重なるイノベーションと、ユーザーの立場に立ったシックの思想がいくつもありました。今回はそんなシックの100年を、各時代の歴史的カミソリと合わせて辿ります。ご紹介してくださったのはシック・ジャパン マーケティング本部・古川滋子さん。初耳ばかりの話が連発して、非常に知的好奇心をくすぐる内容となりました。それでは行ってみましょう。
「ライフル銃」の構造をそのまま転じたカミソリの大革命
――今から100年前、シック・ブランドが誕生した経緯からお聞かせください。
古川滋子さん(以下、古川) 創業者はヤコブ・シックというアメリカの軍人でした。彼は2度フィリピンに出兵したようですが、現地で病気をわずらい帰国。長きにわたって病気に苦しみました。「寒冷地で過ごしたほうが良い」という医者の勧めもあったそうで、1910年の中頃まで諸外国に行き、金鉱を探すなどの活動をしていたようです。しかし、このときも足首をひどく捻挫したそうです。
古川 マイナス40度という極寒の中でのテント生活だったようで、足を痛めながら髭を剃ることは容易ではなく、「なんとかしたい」と思ったようです。軍人ですから連発式のライフル銃を持っており、この構造をヒントに、まずマガジン・リピーティング・レザーというマガジン式連続装填型カミソリを発明しました。
古川 それまでは「刃そのものを持って髭を剃る」「刃に取手のようなものをつけて使う」といったものが主流でした。しかし、このマガジン・リピーティング・レザーは、鋭利な刃を直接指で扱わないよう、替刃をハンドルクリップに収納させ、ヘッドの中心を合わせてレバーを押し、シェービング・ポジションに送るという構造を持っていました。
――まさにライフル銃の弾丸が、カミソリの刃に替わったような構造だったわけですね。
古川 そうです。これこそがシックのカミソリの礎となったインジェクターの発端です。これが今から100年前の、シックの出発点となりました。
1960年、日本国内でも輸入販売がスタート!
――シックのカミソリは、本国アメリカで絶大な支持を得ました。日本に入ってきたのはいつなのでしょうか。
古川 1960年です。戦後の自由貿易化が始まる前後、当時の三宝商事の担当の方が、日本橋の百貨店で駐留軍人用に販売されていたシックのインジェクターを見たそうです。
古川 「0.13mm」という厚い片刃が、髭が濃い「日本人に向いている」と思ったようで、本国のシックと契約し、正式に輸入販売するようになりました。この時代のインジェクターはありがたいことに今でも愛用してくださっているお客さまもいらっしゃいます。
――当時の商品をですか?
古川 はい。残念ながらホルダー自体は生産中止になっていますが、替刃は現在でも弊社で販売しているため、そのまま引き続きお使いくださっているということです。とてもありがたく思っています。
後に復刻するなど根強いファンを持つモデル・ダブルエッジ
――日本市場にも入ってきたシック製品のなかで、革命的だったカミソリはどんなものだったのでしょうか?
古川 特に革命的だったのは「ダブルエッジ」という製品で、その名のごとく両刃を使えるタイプです。剃るのはちょっとコツがいるのですが、こちらも根強いファンの方がいらっしゃって、2019年に復刻版を出しました。
「刃の枚数競争」の初期モデル、スーパーⅡとウルトラ
古川 続く1972年に発売した「スーパーⅡ」という製品も斬新でした。実はこの頃より、カミソリメーカーはどこも「刃の枚数競争」の時代に入っていきます。刃の枚数が増えれば増えるほど、肌にかかる圧力が分散されますので、肌への負担が少なくなるわけですね。そこでまず弊社が出したのが2枚刃のモデル、スーパーⅡでした。
古川 さらに弊社では2枚刃でありながら、ヘッドを首振り式にしたウルトラというシリーズを1978年にリリースしました。首振り式になったことで、例えば、顎のラインなどに刃が密着。肌に優しく綺麗に剃れるものでした。
刃にワイヤーを這わせて、より扱いやすくしたプロテクター3D
――剃りやすさに加え、肌への負担を軽減するモデルが登場してきました。ウルトラの次に革命的だった製品はなんでしょうか?
古川 ウルトラ誕生から20年後、1998年に発売したプロテクター3Dという製品です。
古川 3枚刃でより剃りやすくなったことに加え、刃にマイクロセーフティワイヤーというものを這わせることで、横滑りしにくくし、万一横滑りしたとしても肌を痛めつけないような工夫をしています。さらに首振りヘッドも進化させ、これまでのカミソリよりもさらに扱いやすくした製品でした。
ここまでに紹介したインジェクター、スーパーⅡ、ウルトラ、プロテクターといった製品は弊社内でも「レジェンド・シリーズ」という位置付けをしており、各モデルとも今なお多くのユーザーの方にご愛顧いただいている商品です。
ユニークな女性向けモデルと世界初のチタンコーティングモデルも!
――女性向けモデルでも画期的だった製品があるようですね。
古川 はい。2004年に発売した女性用モイスチャーソープ付3枚刃の「イントゥイション」という製品は特に画期的でした。
古川 形もユニークでかわいらしく人気を得た製品です。後に刃が3枚刃から4枚刃へと進化しましたが、基本コンセプトはそのままに現在も多くの女性ユーザーの方にお使いいただいております。
――2006年には、男性向け製品として世界初のチタンコートの4枚刃を使ったクアトロという製品も発売されますね。
古川 クアトロではチタンコートの刃を採用し、切れ味をよくしていることはもちろんですが、例えばアロエ・ビタミンE成分配合のスムーザーがついたり、簡単に外せるようになったりと細部まで進化させた製品で、現在までロングセラーとなっています。
剃り味と扱いやすさ双方を追求したハイドロ
――2011年には、なんとカミソリでありながら化粧品登録をしているという製品、ハイドロが登場します。
古川 「肌を潤して剃る」というコンセプトで、大きな特徴の一つがスキンガードです。1998年発売のプロテクター3Dに施したマイクロセーフティーワイヤーをさらに進化させたもので、刃の先にスキンガード機能を施しています。「肌に刃が入り込みすぎるのを防ぐ」というもので、より肌に負担なく剃れるのが特徴です。
古川 また、上部にあるジェルボックスが水に触れるとモイスチャージェルが溶け出してきて、シェービングをしながら肌を潤してくれるという画期的なものです。かつ5枚刃となっており剃り味を向上させながら、扱いやすさも追求した製品です。
シックの100年は【成長期】【安定期】【新時代】の3つのフェーズに分けられる!
――ここまで数多くの画期的カミソリを見てきましたが、振り返ってみてどんな風にお感じですか?
古川 大まかに3つのフェーズに分類できるのではないかと思っています。
初期のヤコブ・シックのブランド創業(1921年)やインジェクター(1960年)から始まり、ダブルエッジ(1967年)、スーパーⅡ(1972年)、ウルトラ(1978年)、プロテクター3D(1998年)は弊社内でも「レジェンド・シリーズ」という位置づけで考えています。
ここまでが第1のフェーズで【成長期】と言える時代だったのではないかと思います。
また、第2のフェーズは言わば【安定期】で、それまで培ったものをさらに扱いやすくした製品が多かった時代です。製品で言うと、イントゥイション(2004年)、「クアトロ」(2006年)、「ハイドロ」(2011年)などです。
そして、第3のフェーズがこれからお話する【新時代】です。昨年、シックでは大掛かりなリブランディング(再構築)を行いました。カミソリメーカーとしてのシックから、髭剃りをさらにワクワク楽しんでいただけるような、ライフスタイル全体をサポートしていけるようなブランドに変わっていきたいと思っています。その思いの中、シック史上最高峰モデルとして、今年発売したのが極になります。
古川 これまでのように新しい機能を持たせた製品を出すだけでなく、「さらにユーザーの方の視点に立った製品作りをしていこう」という思いのもと、「カミソリ習慣」「美容行動」を調査・分析した結果を反映させたものです。
チタンコート5枚刃で剃りやすさはもちろん、肌への圧力を分散させた衝撃吸収テクノロジー、もみ上げや鼻の下といったキワまで整えることができるフリップ式トリマーといった機能を搭載しています。定番モデルと敏感肌用モデルの2種類を用意し、約3か月で双方合わせて33万本出荷という記録的なヒットに至りました。
現在、日本でシック製品を使っていただいている方は全体の約20%前後です。言い換えれば日本人の5人に1人はシックのカミソリをご愛顧いただいているということです。本当にありがたいことですが、これから先もさらに多様化するニーズにご提供できるよう、様々なコミュニケーションをし、合わせてサステナブルな商品展開も今後開発していければ良いなと思っています。
100年以降のシックも新たな時代を作り続けていけば良いですね。ぜひ今後ともご愛顧いただければ幸いです。
古川さんのお話から思ったことは、シックは100年前のヤコブ・シックさんの革命的開発におごることなく、どの時代も常にイノベーション、創意工夫を行ってきたということです。このことから100年以降の新しい時代もさらなる革命的製品、ユーザーへのコミュニケーションを行ってくれるはずだとも思いました。