元NHKアナウンサーで、現在はTBSでアナウンサーを務める南波雅俊さん。アナウンサーとしてのスキルは勿論のこと、「日本一B’zに狂わされた男」として物まね番組にも出演し視聴者を驚かせた。レギュラー出演する『ラヴィット!』でもB’zでも熱唱を披露している。2024年の「好きなアナウンサーランキング」では2位に輝いたいま最も注目のアナウンサー、南波雅俊アナウンサーに単独インタビューを慣行。半生をたっぷり振り返ってもらった。

【南波雅俊さん撮り下ろし写真】
しゃべることと、“野球実況ごっこ”が大好きな少年だった
──第20回「好きな男性アナウンサーランキング」で2位にランクインされたTBSの南波雅俊アナウンサーです。おめでとうございます。結果を知った時、どんなお気持ちでしたか?
南波 率直にうれしかったです。2023年に初めてランキングに入りさせていただいたのですが(4位)、その時は、自分には縁がないと思っていたので、本当に驚いて「え!?」っていう感じで、うれしさよりも、驚きが勝った感じでした。
『ラヴィット!』で、歌いまくって名前が知られるという、特殊な認知度の上がり方だったので、1年だけランクインして外れていたら「一発屋アナウンサーだなあ」とも思っていました。
そんなことを考えているなかで、『ラヴィット!』で赤荻 歩アナウンサーと一緒に順位発表のコーナーをやってくれまして。名前を隠して昇順に3位まで紹介していったんですが、そこまでに自分の名前が出てなくて「うわ、これ入ってないわ……」と思いました。でも、隠しテープを剥がしたら自分の名前があって、その瞬間はすごくうれしかったし、ホッとしました。相当あおってましたから(笑)。
2位という順位には自分でも驚きましたし、選んでくれた視聴者の皆さんや起用してくれた制作陣に感謝しかないですね。
本質的には、ランキングを追い求めるよりも、きちんと日常の仕事と向き合えるかが大事だと思うんですが、2024年は、日本シリーズやプレミア12の実況に関わることができ、『Nスタ』金曜日での役割が増え、アナウンス業務に真剣に臨んだ一年でした。そんななかで、選んでもらえたこともうれしかったです。
──南波さんがアナウンサーになろうと思ったきっかけを教えていただけますか?
南波 ちゃんと目指そうと思ったのは大学生の就職活動のときです。ただ、子どもの頃からずっと野球が好きで、テレビの野球中継を見て、終わったらラジオに切り替えて聞くといった生活をしていたので、気づいたら野球実況のまね事のような”実況ごっこ”をしていました。ちょうどこのインタビューの前日に、高校の野球部のメンバーで集まったんですけど、「おまえ、高校生の時も練習しながら実況してたよね」と言われました(笑)。
アナウンサーのなかには「小学生の頃、誰々というアナウンサーを見て自分もなりたいと思った」というような強い気持ちをずっと持っていた人もいます。でも、自分はそういう感じではなくて、しゃべることとか、野球実況の真似事が漠然と好きだったという感じでしたね。
進路を決めるうえで大きかったのは、大学1年生の頃からやっていたニッポン放送のアルバイトです。報道局で原稿の仕分けのアルバイトだったんですが、近くにアナウンサーもいましたし、局では常に『ニッポン放送ショーアップナイター』が流れていました。その番組をずっと聞いていたので、日常の中に野球放送があったんですね。それで就職活動の時期になった時、自分がやってきたことや社会に出てやりたいことについて自己分析をして、やっぱり野球に関わる仕事がしたいなと思いました。
記者やディレクター、広告関係など、いろいろな形で野球に関わる仕事を考えていったとき、好きな”しゃべる”という要素があるアナウンサーもいいかなと思ったんです。
そんな意識ですから、キー局のアナウンサー試験は、3年生の10月ぐらいにあったんですけど、漠然とラジオのナイターでしゃべりたいと思いながらも、特に準備もせずに試験を受けてしまいました。ただ、TBSとフジテレビは選考が進み、TBSに至っては、最終試験の一歩手前まで残ることができたんです。当時の人事は、現在はもう会社にいないので、ゴマをするわけじゃないのですが、すごく信頼できる方で、試験が進むたびにTBSに入りたいと思いました。
残り数人まで残ったので、淡い期待をしましたが、電話で不合格通知を受けました。その際、自身の良かったところや足りないところをフィードバックしてくれて「君なら頑張ればアナウンサーになれるよ」というようなエールをもらったんです。感謝の気持ちとともに、もっと本気で準備すればよかったという後悔や悔しさで涙しました。
これがきっかけで、「本気で目指したら、もしかしたらアナウンサーになれるかもしれない」と思い、TBSをはじめ、複数のアナウンススクールに通って、準備を始めたという感じです。そして、翌年にNHKの採用が決まりました。
──NHKでアナウンサーとして働き出してみて、どうでしたか?
南波 最初は間違い連発で悩んでいました。当時のNHKでは、1か月半の研修を経て地方局に配属され、5月くらいにはすぐに現場に出たり、スタジオでニュースを読むんです。いきなりはうまくはできないですから、やっぱりたくさん噛んだり、読み間違えたりするんですね。それで視聴者の方から局に苦情も来ましたし、早朝のニュースでぼーっとして簡単な漢字を読み間違えてしまった時は、本番後にニュースデスクに思い切り怒られました。当時の自分は、岡山の皆さんには多大な迷惑をかけたし、お聞き苦しい放送をしていたと思います。
そういう感じで、最初のうちは「自分はアナウンサーに向いてないな、向いてない仕事を選んでしまったな」と思っていたんです。
初めて楽しいと思えたのは、1年目の夏の高校野球の地方予選の実況をやらせてもらったときです。ニューススタジオに入るのは暗い気持ちになるくらいでしたが、実況はめちゃくちゃ楽しかったんです。初めて「生き生きと仕事してる」と感じました。やっぱり野球に関われるアナウンサーの仕事はすごく楽しいから、ここを目指して頑張っていこうと思いました。
NHKの地方局の場合、夕方のニュースで5分くらいの中継をするにしても、自分でネタを探して、企画書や構成を書きます。出演者との交渉や車両の手配、どこに車を止めるのかという導線までアナウンサーが担当します。インタビューもすれば、ニュースも読めば、実況もすれば……という具合で、いわゆる基礎トレーニングを数年間繰り返すんです。
当時は、面倒なこともありましたが、その経験はすごく生きています。中継やプレゼンで、どうやって物を見せようとか、どういう動きでカメラをいざなうとか、語順をどうすれば伝わるとか、どこを強調しようとか、そういうことをひたすら繰り返し考えていたことが、いまの仕事にも繋がっていると思います。
野球やサッカーの実況でも、忙しい先輩たちが、時間を取って1試合丸々聞いて、すごく丁寧にアドバイスをしてくれました。課題を修正して、練習を繰り返し、2局目の大分局では、スポーツアナウンサーのスタートでもある甲子園のラジオ実況を担当しました。3局目の広島局では、目標だったプロ野球実況も出来るようになりました。当時は自分でうまくなった気でいましたが、いま思うと、先輩に育ててもらったんだと強く感じています。
辞めたうえでいうのはおこがましいですが、NHKや当時の先輩に対しては、感謝の気持ちがめちゃくちゃあります。NHKの地方局で、いろいろな経験をさせてもらったことは、TBSで様々なジャンルの仕事を担当するうえで、本当に役に立っています。
WBCにベイスターズ戦、自分のやりたいことが出来るのはTBS
──NHKでアナウンサーとしての力量を伸ばしつつあった頃、TBSのキャリア採用枠で転職されるわけですが、これはTBSだから転職したっていう理由があったのでしょうか。
南波 それは大きいですね。やっぱりWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)やプレミア12といった、侍ジャパンのコンテンツがTBSにあるというのが一番大きかったです。しかもTBSは、横浜DeNAベイスターズの主催公式戦全試合を中継しています。地上波中継がたくさんあるわけではないですが、BSとCSのコンテンツでベイスターズの全試合の中継があるというのは、野球中継をやりたいアナウンサーからすると、めちゃくちゃ魅力的なんです。
それに、地元が東京なので、地元で暮らしながら、やりたい野球中継を年間通してやれるのは、とてもいいなと思いました。
あとは、目先の仕事だけでなく、将来的な最高到達点も比較して考えました。NHKには甲子園の決勝の実況という高い目標があるけど、TBSにも、WBCという野球の最高峰の舞台がある。日本シリーズやオリンピックの実況のチャンスはどちらにもあるし、TBSには、NHKにはない世界陸上や世界バレーといった世界大会のコンテンツもある。アナウンサーとして成長し、高みを目指していくという長期的なキャリアを考えても、魅力のある放送局だと強く思いました。
──キャリアプランとしてはそのように考えられたとして、気持ちの面で、最終選考まで行って落ちたTBSにもう1回挑んでやろうというようなところは?
南波 転職時はもう社会人8年目だったので、落ちたことへのリベンジという気持ちは大きくなくて、純粋にキャリアプランや働き方を比べた時に、魅力的だなっていうことが転職を決めた理由ですね。
──スポーツ中継に定評がある南波さんですが、一方で『ラヴィット!』でも抜群の存在感を発揮しています。バラエティ番組でもやっていきたいというお考えはあったんでしょうか。
南波 バラエティは全く考えてなかったですね。そもそもバラエティ番組の経験はなかったですし、未知の世界で怖いとすら思ってました。見るのは好きですが、自分が出演者側として関わることは全く想像してなかったです。
──『ラヴィット!』に溶け込めるスキルは、どうやって得られたんでしょうか。
南波 『ラヴィット!』での歌唱や振る舞いは、MCの川島(明)さんをはじめ、出演者の皆さんのおかげで成立させてもらっているところがあるので、自分では、本当に何もわからないですね。
ただ、昔からどこか抜けてるというか、素でおかしなことをしちゃうところがあるんです。犯人が誰か言っちゃいけないルールのゲームでつい犯人を言っちゃうみたいな、そういうちょっとダメなところがあるんですね。アナウンサーとしてはダメなんですが、皆さんがそういうところを拾ってくださるので、すごく助けられています。ただ、終わった後は「なんであんなことしてしまったんだ……」とめちゃくちゃ反省してます。
──アナウンサーの先輩から、バラエティに出る時のアドバイスというか、助言とかはあったりするものなんですか?
南波 アナウンサーの先輩からはないですね。実況やニュースと違って、アドバイスどうこうではない分野だとも思いますし。でも、すごく役に立ったことを挙げるなら、物まねでバラエティ番組に出始めた頃、当時のアナウンスセンター長からもらったアドバイスです。アナウンサーではなく、制作から来た人で『学校へ行こう!』など様々な看板番組を作ってきた人でした。『アナウンサーとしてのスタンスは崩さずに殊勝にやりなさい。でも、パフォーマンスは、恥ずかしがらず、やりすぎくらいやりきれよ』とアドバイスされました。
学生時代、物まねショーパブでアルバイトをしていましたが、アナウンサーとして出演するバラエティは初めてで、どういうスタンスで臨めばいいのかがわからなかったので、すごく助かりました。そのアドバイスはずっと忘れないようにしています。
物まねのプロも公認! これが南波アナの「物まね履歴書」
──いまお話に出ましたけど、物まねショーパブのアルバイトをしてたというのは、どういったきっかけからなんでしょうか。
南波 きっかけは、物まね番組への出演ですね。学生の頃に、高校の文化祭のカラオケ大会に出て、B’zを歌って3連覇したんですね。大学に入ってから、それを知ってる友人や先輩と食事をしていた時、「フジテレビの物まね番組に応募してみたら?」って話になったんです。それで応募したら、オーディションを通過してテレビに出たんですけど、その時にフジテレビの廊下で麻布十番の物まねショーパブのオーナーさんから「他でやってないなら、うちでちょっとバイトしてみない」って声をかけられたんです。それで物まねショーパブでアルバイトをすることになりました。
──つまり、物まねのプロにスカウトされたわけですか。もしかすると、アナウンサーではなくて、物まねタレントの道もあったかもしれませんね。
南波 そうですね(笑)。でも、スタート地点が、たまたま応募して、声をかけてもらったという偶然ですし、もともと物まね芸人さんを目指していたわけではなかったですからね。ショーパブで出会ったプロの皆さんの仕事を目の前で見て、生半可な覚悟やスキルでやれる仕事じゃないと思いましたし。特に、ほいけんたさんとは、大学生の頃、当時同じ舞台に出たり、一緒にカラオケに行ってコツを教えていただいたりしたのですが、研究熱心さと器用さ、幅広さを見て、本当にすごいなと思いました。
あと、自分場合は、父がサラリーマンなので会社員志向が強かったですし、そういう人間が物まね芸人さんの世界で活躍できるとも思わなかったです。
──クールですね。人によっては、人生のターニングポイントになりそうなエピソードですよ。ショーパブで物まねを披露するのは、アナウンサーとは全然違う経験ですけど、何か得るものはありましたか?
南波 ショーパブでの経験はすごく生きてます。知らない人の前で気持ちのスイッチを入れて何かをやるということは、いまの仕事にも通じる部分があると思うんです。物まねショーパブって、日によってはお客さんが3人だけ、みたいな時もあるんですけど、その状況でステージに出ていって本気で物まねをする。慣れるまではすごく恥ずかしいですが、その経験を積み重ねたおかげで、メンタルが鍛えられたと思いますね。
ジャンルは違えど、人前に立つ、人前で何かやるという行為への耐性がついたし、なおかつ超アウェーなシチュエーションでもやりきる度胸とか、舞台慣れはめちゃくちゃしました。ショーパブのバイトをやっている時は、「この経験って社会人になって、なんの役に立つのかな」と思っていたんですけど、意外にもすごく繋がってます。
あとは、Gたかしさんやモリタク!さんなど、当時ご一緒させていただいていた物まね芸人のみなさんと、仕事でご一緒させていただけるのがすごくうれしいですね。
──物まねショーパブで鍛えた技術を、テレビで披露することになったきっかけは何だったのでしょうか。
南波 TBS入社後、『スイモクチャンネル』というBSの番組でB’zの曲を歌う企画がありまして、それが最初ですね。その番組を見ていた『歌ネタゴングSHOW 爆笑!ターンテーブル』のプロデューサーが、「変なアナウンサーがいるから使ってみるか」という話になり、さらに別の番組でも……と、繋がっていきました。
──その渦中にいた南波さんご本人はどういうお気持ちでしたか?
南波 複雑な気持ちでしたね。実はNHKでも、経歴を面白がってくれたディレクターがいて、2局目の大分放送局にいた時まで、番組で物まねをする機会がありました。ただ、3局目の広島放送局に転勤になってからは「自分はスポーツ実況で生きていく」という気持ちで仕事をしていましたし、TBSにも「スポーツ実況のために転職した」という思いでした。正直な気持ちとして、最初は「なにやってるんだろうな」という感じでしたね。
ただ、『爆笑!ターンテーブル』に出ていくなかで、プロデューサーが、物まねだけではなく、ナレーションでも起用してくれて、信頼関係も生まれてきました。そうすると、自分の中でも、この番組でもっと良いパフォーマンスをしたいと考えるようになりました。同時に、物まねを披露していた学生時代の感覚も徐々に思い出してきて、心境が変化していき、もっとうまくならなきゃと思うようになりました。
アナウンサーがああいうことをやると、最初は「おっ」となるじゃないですか。ある程度うまければ、「アナウンサーの割に似てるね」と注目される。でも、それだけだと、そこで終わりだなと思い、そのレベルを超えていかなきゃと練習を繰り返しました。
その流れのなかで、『ラヴィット!』にも起用してもらえるようになり、歌唱の機会が圧倒的に増え、『ラヴィット!』と共に成長させてもらったと思っています……いや、アナウンサーのインタビューで、これはなんの成長なんだって感じですが(笑)。
──ちなみに2024年暮れの紅白歌合戦に、B’zのサプライズ出演がありました。ご覧になりましたか?
南波 もちろん見ました。紅白歌合戦は、群馬県高崎市のカラオケボックスで見たんです。元日はニューイヤー駅伝の実況担当でして、その練習で大声を出すので、迷惑にならないよう、カラオケボックスに行って実況練習をしていました。
休憩時間に「そろそろB’z出演かな」と、紅白歌合戦をスマホで流していたんです。『イルミネーション』を演奏するのを見て喜んでいたら、『LOVE PHANTOM』のイントロが流れて、その瞬間、会場の人と一緒に自分も「えー!」ってなりました。そこからもう30分、ひとりB’zカラオケですよ(笑)。
──その歓喜に満ちた南波さんのB’z、聴きたかったです!
南波 もう完全に紅白セトリを再現してましたね(笑)。あ、実況練習もしっかりやりましたよ(笑)。
アナウンサーとしてのこれから。目指すのは26年WBC、28年ロス五輪の実況
──その時の動画がないのがもったいないです。さてさて、このように南波さんはバラエティ番組でもご活躍しつつ、アナウンサーとしての賞(2023年の第49回アノンシスト賞で、「テレビ スポーツ実況部門」で優秀賞)も取られているのがすごいです。お仕事へのこだわりや、やりがいを教えてください。
南波 自分の中では、いまはすごくいいバランスで、すべてにやりがいを持ってやれていますね。そのなかでも、スポーツ実況はすごくこだわってやっています。アナウンサーの仕事は多々あると思うんですけど、特にスポーツ実況は、一番準備に時間がかかりますし、台本がないなかで、野球であれば3時間以上しゃべり続けなきゃいけない特殊業務です。しかも、それを全国の皆さんに責任もって伝えなくてはいけない。詳しいファンも見ている、時には選手も見ている、なにより楽しみにしている多くの人たちが見ている。そのなかでしゃべるのは、強烈なプレッシャーがありますが、同時にすごくやりがいもあります。
実況の際に意識していることは、いつもポストイットに書いて実況席に貼っています。「明るく明瞭に熱を持って伝える」「目の前のプレーに遅れず実況する」「試合の流れを感じ、先を読む」「プレーの質を伝える」「解説者の“ならでは”を引き出す」「自分もこの試合を楽しむ」。このほか、いくつかチェックポイントを書いて、毎回お守りのように貼っています。自分の視点や色を出しつつも、主役は試合であり、選手だということも、肝に銘じるようにしています。
スポーツ実況は準備が全てですが、それは『Nスタ』でも『ラヴィット!』でも同じで、どんな分野でも、主体的に準備をして、受け身にならず、中身を詰めてやっていくという点にはこだわっていると思います。
──スポーツ実況は野球を中心にいろんなスポーツを担当されていますし、バラエティや報道番組と多岐にわたるご活躍をされていますが、これからどんな番組を担当してみたいですか?
南波 アナウンサーのキャリアの大きな夢で言えば、2028年のロスオリンピックの実況です。ロスでは、野球が競技として復活するので、オリンピックで野球の実況がしたいというのがアナウンサー人生としても、大きな目標です。そして、2026年のWBCですね。前回は、夢の舞台に関わることができて、震えるくらいうれしかったですし、すごく良い経験になったのですが、自分の中ではうまくいかなかったこと多く、反省や悔しさも大きい中継でした。それ以来、いろいろな考え方を取り入れ、実況の中身を変えようと取り組んできたので、あと1年ほどですが、もっと成長して、良い実況がしたいという思いが強くあります。それに、今年は、世界陸上が東京で開催されるので、実況として関わりたいという思いも強いですね。どの仕事も、自分がやりたいというだけでやれる仕事ではありません。任せてもらえるように、信頼を積み上げていきたいと思っています。
──TBSはラジオもありますが、南波さんはラジオで自分の番組をやりたいとかってあったりしますか?
南波 やりたいですよ。メインじゃなくても、レギュラー番組をいつかやってみたいですね。「もっとラジオがやりたい」って言ってると書いておいてください(笑)。TBSの『JUNK』は子どもの頃から聞いてましたし、他局ですが、有吉弘行さんやオードリーさんのラジオも好きで聞いています。最近はポッドキャスト『永野はミスターTBS』にハマってます。ちょっと毒舌が入ってる番組がすごく好きですね。
──それがラテ局であるTBSの強みですよね。では最後になりますが、こんなアナウンサーになりたいなっていうような目標はお持ちですか?
南波 スポーツアナウンサーとして、その競技のファンからも、プレーしている選手からも信頼してもらえるアナウンサーになりたいです。そのために、しゃべりのスキルを高めるだけでなく、もっと取材をしなくてはいけないし、もっと勉強しなくてはいけないと思っています。やればやるほど、奥が深いですね。TBSアナウンサーとしても、存在感を高められたらと思っています。歌っているアナウンサーがきっかけでいいので、視聴者の皆さんに認知してもらったうえで、『Nスタ』をはじめ、様々な番組のなかで存在感を高めて、「TBSといえばこのアナウンサーだよね」と言ってもらえる中の一人になりたいです。
スポーツ実況と番組出演を両立したいと言いつつも、気持ちの上で中途半端になっていた時期がありました。そんなときに、実況の先輩である新タ悦男アナウンサーから「自分の目標があるなら、誰になんと言われようと、ブレずに覚悟を持ってやれよ」と言ってもらったことがあります。凄くハッとしたし、中途半端な気持ちでは無理だと気付かされました。以来、自分の中での取り組み方を変え、少しずつですが、手ごたえのある放送も出せるようになってきました。将来的に、絞るタイミングがくるかもしれませんが、いけるところまで、スポーツ実況も出演業務も両立させながら、本気で追い求めていきたいと思っています。
──南波さんのアナウンサーとして真摯な姿勢となんでもこなす応用力、類まれなタレント性があれば必ず実現すると思います。頑張ってください!
【INFORMATION】
ラヴィット!
TBS系 毎週(月)~(金) 午前8:00~9:55
公式HP https://www.tbs.co.jp/loveit/
構成・撮影/丸山剛史 執筆/牛島フミロウ