おもしろローカル線の旅46 〜〜JR東日本只見線(福島県・新潟県)〜〜
福島県の会津若松駅と新潟県の小出駅を結ぶ只見線。2011年7月末に起きた豪雨災害で、現在も一部区間が不通となっている。列車本数が少なく、また不通区間があり不便であるのにもかかわらず、列車を乗りに、撮影に、観光にと、魅力を楽しもうと訪れる人が絶えない。
会津若松駅と会津川口駅の福島県側の路線と、只見駅と小出駅との間の新潟県との県境を越える区間の魅力を2回にわたり、レポートしていきたい。
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【只見線じっくり探訪記①】全線開通まで45年の歳月を要した
まずは筆者の個人的な思い出から今回はスタートさせていただきたい。母が会津地方の出身ということで、子どものころから会津若松周辺の列車をよく乗り歩いた。今でも磐越西線のSL列車に乗った記憶が鮮明によみがえる。
ところが、只見線は乗った記憶がほとんどなかった。田舎のすぐ近くを走っていたのにもかかわらず。初夏、私事で会津へ行く機会があり、それならば只見線に乗ってみようか、となった。「まあ、1度乗れば十分かな」と思っていた。ところが、その後、短期間に4回も沿線を訪れることになってしまった。そこには磁力のような強い魅力があった。なぜ、そこまで引きつけられたのだろう。
路線の魅力に触れる前に、まずは只見線の概要に触れておこう。
路線と距離 | JR東日本 只見線/会津若松駅〜小出駅135.2km(会津川口駅〜只見駅間27.6km区間が豪雨災害により不通に) |
開業 | 1926(大正15)年10月15日、会津若松駅〜会津坂下駅(あいづばんげえき)間が会津線として開業、徐々に延伸、1971(昭和46)年8月29日、只見駅〜大白川駅間が開業、只見線となる |
駅数 | 36駅(起終点を含む) |
最初の会津若松駅〜会津坂下駅間が開業してから、なんと45年という歳月をかけて只見線は全線開通に至った。
只見線に乗車すると、かなりの難路を走っていることがわかる。福島県側は阿賀野川の上流部、只見川に沿って走る。新潟県側では信濃川上流部の破間川(あぶるまがわ)沿いを走る。単に渓谷に沿うばかりでなく、何度も川を渡る。さらに県境は長いトンネルで抜ける。
日本列島に数多くの路線があるなかで、ここまで橋梁、トンネルが続く路線も珍しいだろう。車窓からの風景は秀逸で、日本経済新聞社「NIKKEIプラス1」の「紅葉が美しい鉄道路線」「雪景色のきれいなローカル線」などの調べではトップ、あるいはランク上位に上げられている。難路は裏腹の美しさを生み出しているとも言えるだろう。
しかし、難路が生まれるなかで、多くの苦難が秘められていた。そして今も、山間地ならでは線路の維持の難しさ、そして再興のための苦闘が続けられている。
【只見線じっくり探訪記②】電源開発用の専用鉄道だった区間も
最初に開業した区間から全通まで45年という歳月がかかった理由。一言で言えば、鉄道の敷設が非常に難しい地域だったから、と言うことができる。太平洋戦争前に福島県側では、会津若松駅〜会津宮下駅間(1941年)が、新潟県側では小出駅〜大白川駅(1942年)の区間が太平洋戦争中に開業している。
しかし会津宮下駅〜大白川駅間の開業までにはその後、かなり時間を要した。
太平洋戦争後、会津宮下駅から会津川口駅まで路線が延びたのは1956(昭和31)年のことだった。その翌年には会津川口駅〜只見間の線路が延ばされた。ただし、この区間は旅客営業区間でなく、電源開発株式会社が着手した路線で、当初、専用貨物列車を走らせる貨物線として造られた。
只見線の敷設は一部線区を開業した当時から、将来、只見川の水源開発のため、という政治色の濃い路線開発でもあったのだ。
会津川口駅〜只見駅間の線路はダム工事などに使われたのちの1963(昭和38)年に電源開発株式会社から国鉄に譲渡され、旅客路線として営業を始めた。