約3年ぶりに来日したAppleのCEO、ティム・クック氏——。「Apple 表参道」にサプライズ登場し、星野源と居酒屋にいる様子などもTwitterで投稿され、話題になった。
こうした振る舞いが華やかに注目されるが、実は彼の来訪はトレンドを追う上でも重要な意味合いを持つ。例えば、2016年の来日で、iPhone 7で改札を通過する様子がアピールされ、その後Apple PayのSuicaを当たり前に使える世界が実現したのは記憶に新しい。そんな視点で、今回の来日のキーワードの一つだったと思われる「Apple Watch」について焦点を合わせたい。
Apple Watchを活用したデジタル診療とは
クック氏は12月9日、慶應義塾大学病院を訪れた。応対したのは、同学の循環器内科・不整脈先端治療学の特任講師である木村雄弘 医学博士。木村先生は慶應義塾大学で研究をしつつ、小川聡クリニックにてApple Watchなどのデジタルヘルス機器を活用したデジタル診療を実施している。
そもそもApple Watchシリーズはケース裏面に、光学式の心拍センサーを搭載しており、手首で脈拍数を終日測定できる。仕組みとしては、光電式容積脈波記録法 (フォトプレチスモグラフィ)という測定方式を採用。「血液が赤いのは緑色の光を吸収するから」という特性を利用したもので、緑色の光を当ててその吸収量から血流量の増減を検出し、脈拍数を算出する。
こうした脈拍数の測定は、運動時だけでなく、安静時にもバックグラウンドで実行される。測定データは加速度センサーの値と照らし合わされ、歩行時と安静時のそれぞれの平均値も算出可能だ。なお、バックグラウンドでの測定頻度は活動状況に応じて変動するため、一定ではない。
木村先生が小川聡クリニックで行っているデジタル診療では、患者に継続的にApple Watchを装着してもらい、普段の生活時の脈拍数を測定する。なお、デジタル診療はあくまで保険診療の補助的な手段として実施され、共有されたデータによって診察レベルを高めるために活用される。
Apple Watchが測定したデータは、ペアリングしているiPhone内のアプリへと自動的に吸い上げられ、そこからクラウドを通じてクリニック側の管理アプリへと共有される。当日の変化——例えば「〜の時に気分が悪かった」といった情報も、Apple Watch向けのアプリから音声入力でメモでき、クリニックからはこの情報も参照できる。
患者がApple Watchを持っている場合には、所持するデバイスをそのまま利用可能だ。また、患者がデジタルヘルス機器を持っていない場合には、クリニックからの貸与も可能な範囲で検討してくれる。木村先生曰く、基本的には朝起きたら装着し、寝る前に充電するように指導するという。
「Apple Watchを2個使って、朝晩交互に使っている患者さんもいらっしゃいます。その患者さんは、真夜中に数時間、脈拍が急上昇していて、お手洗いに行ったのか、悪夢をみたのか確認しましたが、そうではありませんでした。そこで心電図をとったら心房細動という不整脈が発見されました」
Apple Watchで測定した脈拍数は診察に役立つ、と木村先生は断言する。脈拍の不規則な変化を検知できれば、不整脈があるかもしれないと判断できるからだ。そこから心電図を測定すれば、どんな不整脈があるのかを診断できることにつながる。
「不整脈にも様々な種類があるので、一概には言えませんが、生活習慣が原因となっているケースもあります。運動指導をする上でもリングを完成させる仕組みがわかりやすく、患者さんのモチベーションにつながりやすい点もApple Watchの良いところです」
「不規則な心拍の通知」と「心電図」機能上陸への期待
心房細動は心原性脳塞栓症の原因ともされる。しばしば報道で目にする「Apple Watchが命を救う」という表現も大袈裟ではない。電極をテープで固定してつかう専門的な心電計と比べて、腕時計として装着すればよいだけのApple Watchは敷居も低く、汎用性もある。Appleとしても、こうした伸び代に着目し、堅実に医療シーンにおける価値を高めようと取り組んできてきた。
例えば、「不規則な心拍」を通知する機能が追加されたのは重要な変化だ。安静時に脈拍数が急上昇するなど、心房細動や頻拍症などの兆候があった際に、それを検知して知らせてくれる。つまり、まさに小川聡クリニックで実施されているデジタル診療のような恩恵が期待できる。何より、通院していない未診療のユーザーにも恩恵がある。
さらに、Apple Watch Series 4以降のモデルは、脈拍数を計測できるだけでなく、心電図を測定できる機能も備えた。デジタルクラウン(リューズ部)とケース背面に電極を内蔵しており、デジタルクラウンに指を乗せることで、両手が回路の役割を果たし、心臓の電気的な動きを計測できるという仕組みだ。
ただし、心電計が医療機器として規制される事情により、これら2つの機能が使えるかどうかは、各国の認可状況によって異なる。例えば、米国ではすでにFDA(米国食品医薬品局)の認可を取得し、これらの機能が利用できる。また、当初は米国のみの対応だったが、2019年の春からヨーロッパや香港などでも使えるようになった。
本記事の執筆時点において、日本ではまだ「心電図アプリ」と「不規則な心拍の通知」は利用できない。これは、心電計が薬機法における管理医療機器(クラスⅡ)の規制に該当し、Apple Watchがまだ認証されていないためだ。しかし、今回の来日で、クック氏は“日本でもECG機能を使えるよう取り組んでいる”と話しており、今後の進展について期待は高まる。
PHR時代に向けたApple Watchの可能性
ところで、個人の医療情報を一元的に管理する電子カルテの仕組みを、「PHR(パーソナルヘルスレコード)」と呼ぶ。小川聡クリニックで利用された「The Diary CarePro」も、病院が使用する電子カルテ(EMR)とは連動しないものの、広義ではこのPHRのプラットフォームの一つだ。
PHRの推進については、6月に閣議決定され、2019年9月からは厚生労働省が「国民の健康づくりに向けたPHRの推進に関する検討会」を開催しているところ。2020年度早期には、今後の方策が固められる予定だ。
PHRでは、病院での診察結果だけでなく、患者自身がデジタルヘルス機器を活用して日頃のバイタルデータ(血圧、心拍数、歩数など)を記録し、スマートフォンをハブとして医療機関に共有できることが重要だとされる。このようなトレンドを背景に、ウェアラブルデバイスの重要性は今後高まっていくと思う。
将来的に日本の医療業界においてPHRの仕組みが成熟した際には、センサーデバイスはどうするのか、プラットフォームのサービス・アプリはどれにするのか——という話も個人単位できっと出てくる。そのときには、手首に何を装着するのかはある程度自由度があるはずだ。いまどきApple Watch以外にも心拍数を測定できる安価なデバイスはたくさん存在する。
しかし、Apple Watchなら心拍数を測定できるだけでなく、異常な心拍も検知してくれて、心電計も備える。音声でメモをとれ、しかもApple Payで公共交通機関の乗り降りや店頭での支払いまでできる。iPhoneユーザーなら——という条件こそ付いてしまうものの、現時点で他社のウェアラブルとは一線を画す魅力あるデバイスだと思う。