さっき朝食を作ったと思ったら、もう昼が来る。後片付けをする余裕もなく、シンクが荒れたまま放置していると、あっという間に夕食の準備をしなくては。
緊急事態宣言が解除になり、ようやく小学校や保育園に行けそうな気配だ。長かった。休校になって何がしんどかったって、毎日の食事である(いや、その他にもしんどかったことは多々あるが)。
自分で作った料理はやっぱりおいしいし、素材や調味料に気をつけられるから安心なので手作りにはわりとこだわっているが、そもそも料理がさほど好きではない。必要に迫られているからやってるだけ。誰かが作ってくれるなら、喜んでキッチンをお譲りしたい。
そんなテンションなので、もういい加減、料理にウンザリしていたころだった。この本に出会ったのは。『カレンの台所』(滝沢カレン・著/サンクチュアリ出版・刊)、4月に発売以来、爆発的に売れているレシピ本だ。
こんなの見たことない! 超感覚レシピ
著者の滝沢カレンさんといえば、独特な日本語を使うことで有名であろう。私が最初にカレンさんをテレビで見たとき、そのぶっとんだ言葉の言い回しにおののいた。摩訶不思議にもかかわらず、案外的を射ている表現は、なかなかの中毒性がある。
『カレンの台所』は、料理好きのカレンさんによるレシピ本。載っているレシピは至って一般的なものばかりなので、ある程度の料理経験がある人であれば、大方は作ったことがあるだろう。
だが、決定的に違うのは、使う食材や調味料の分量が載っていないこと。大さじ1とか、塩ひとつまみとか、水200mlとか、そういう数字が一切出てこない。
ならばどうやって料理の工程が書かれているのかというと、まさに「カレン語」が炸裂しているのだ。ああ、これこれ、私が求めてたやつ!
たとえば、サバの味噌煮を作るとき。最初に入れる水と酒の量は、「水二口で飲むくらいの量と、お酒一口飲むくらいの量を入れます(飲まないでください)」ときたもんだ。
続けて投入する醤油と砂糖は、「透明の液体たちが、やや茶色が勝つけどまだ透明っぽさもあるよねと決着つかないギリギリに言われるくらい入れ、なんの色の変化も出さないお砂糖は、きっとここを踏んだらややジャリジャリしそうな程度入れます」。
もしかしたら、料理をまったくやったことがない人にとっては「なんのこっちゃ!」かもしれないし、反対に「なんか感覚でわかる!」という人もいるだろう。そう、この本は、超感覚レシピなのだ。
野菜の切り方もしかり。串切り、短冊切り、みじん切り、千切り、ざく切りなどなど、切り方だけでもかなり種類があるので、毎度「で、今回は何切りなの?」とレシピを見ていた人は、衝撃を受けるに違いない。
「包丁を信じてそれぞれ思い思いに好きに切っていきます。口にこんな形だったら運んでもいいなを見つけてください」(すき煮のレシピより)と、この上なく気楽である。自分の口に運びたくなる形なら、なんでも良いのだ。
どうしても同じ大きさに切るべきレシピの場合は、「誰もが同じレベルであるように、細い棒切りしてください。1人だけひいきするとそれはそれで実力派の気を曲げますからご勘弁ください」(春巻きのレシピより)とあるので、普段は面倒だなーと思うところ、同じ大きさに切ろうとポジティブに思えるから不思議である。
食材にも調味料にも意志があったのか!
カレンさんのレシピは、どれもストーリー仕立てだ。
ロールキャベツは、包まれたい欲の強い乙女なひき肉と、包みたい欲が強い男気溢れるキャベツとのウェディングストーリーだし、豚の角煮は圧力鍋との小旅行。肉じゃがは、「カレーかと勘違いされがちメンバーも行き先変えたらこんなに違うんだぞ」(肉じゃがレシピより)と大御所の本領を発揮するベスト料理。
そうか、これまで無機質に扱っていた食材たちには、じつはそれぞれに意志があったのねと気付かされた。カレンさんの感覚で改めて料理をしてみると、途端に食材たちが生き生きとして見えるのだ。
昨日の夕食はとんかつを作ったのだが、油で揚げている最中「誰(どの豚肉)が、一番先に油を吸収できるかな? お、一番体が大きい父さんが一番早いとは、伊達に年を重ねてないね!」的な妄想をしながら揚げていた。すると、面倒だと感じていた夕食作りが、少しだけ楽しいものになった。
冒頭で、『カレンの台所』はレシピ本だと述べたが、訂正する。これは、レシピ本であり、珠玉のエッセイ本だ。おそらく、どれだけ素晴らしい日本語のスペシャリストでも、カレンさんがつむぐ日本語や表現を生み出すことはできないだろう。いわゆる国語のテストではバツをもらうかもしれない。けれど、こんなにもクスリと笑えて、共感できて、他の人には真似できない、何度も読み返したくなる文章を書ける人は、そうそういない。
それでいて、料理もちゃんと完成するからレシピとして成立するし、カレンさんが玉ねぎのみじん切りを苦痛としていること、肉の火の通り具合には人一倍慎重な様子も、しかと伝わってくる。
自粛生活で料理が心底嫌になった人や、料理に対して毎日のルーティーン以上の何も感じないという人にこそ、おすすめしたい一冊だ。
さあ、我が家もそろそろ夕食の準備の時間。今日は冷蔵庫の中のどの子を主役にしようかな。
【書籍紹介】
カレンの台所
著者:サンクチュアリ出版
発行:読むだけで作れる、自由で楽しい魔法のレシピ。しゅうまい、ラザニアなど30品以上掲載!