人は、とりわけ女子という生き物は、「共感」が命、みたいなところがある。
話の内容が自慢でも悩みでも取るに足らない出来事でも、まずは「わかる!」とか「そうなの? すごいじゃん!」などと共感を示すことで、相手との距離はぐっと縮まるものだ。
これはあらゆるシーンで活かせるテクニックで、どんなに反りが合わない相手との会話でも、共感する言葉や表現、仕草を交えると、不思議と角が立たない。「共感」は、おそらくコミュニケーションにおいて、1、2を争う重要度だと思う。
以前読んだ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』でも、カギとなるのはエンパシー(empathy/共感・感情移入・自己移入の意)だった。
いま話題の小説『アーモンド』(ソン・ウォンピョン・著、矢島暁子・訳/祥伝社・刊)は、そんな「共感力」を生まれつき持たない少年が主人公の物語だ。
感情を持たない少年と、感情が激しすぎる少年の出会い
扁桃体(アーモンド)が生まれつき人よりも小さく、喜怒哀楽をはじめとした「感情」がわからないユンジェ。
どんな出来事が目の前で起こっても、喜んだり悲しんだりするどころか、怒り、恐れなどの感情も湧いてこない。自らの感情がわからないのだから、他人の感情も当然わかるはずもない。
一度も笑ったことのない、いわばロボットや怪物のようなユンジェを、人は気味悪がり、コソコソと嘲笑う。
その無表情さ、(いわゆる普通の感情を持ち合わせている人にとっての)異質さは、本書の表紙を見れば一目瞭然だ。一切の感情を持たない、黒く暗い瞳。その視線の先にあるのは色を持った世界なのか、はたまた仄暗い世界なのかを思わず問うてしまう。イラストでありながら、こちらの心をわしづかみにする、インパクトが大きすぎる表紙。
物語は、ユンジェがもうひとりの怪物・ゴニと出会って一気に進んでいく。ゴニは、感情の起伏が激しすぎる、他人から見たら「扱いづらい」少年だ。まさに、ユンジェの対局に位置する存在。
ゼロの感情と、針が振り切るほどの感情がぶつかり合うと、どのような化学反応が起こるのか。『アーモンド』ひとつめの読みどころは、この点にある。
綺麗事かもしれないけれど、この世は愛がすべてだということ
もうひとつの読みどころは、感情を持たないユンジェが語り手であるがゆえに、起こった出来事が淡々と、事実だけで述べられている点だろう。
語り手の感情が盛り込まれていないからこそ、わかりやすく、読みやすく、読み手の心を大きく揺さぶる。読み進めていくにつれて、ユンジェ自身も気づいていない細かな心の機微が浮き出てくるような感覚だった。
そして、本書で強く感じたのが、やっぱり、結局は、愛が大切だということ。
ユンジェを心から愛し、他人とうまく生きていけるようにあらゆる力を注いでくれたのが、彼の祖母と母だった。
肉親でも、友人でも、偶然出会った他人でもいい。誰か一人でも自分の存在を愛おしく想い、愛を持って接してくれる存在がいるのであれば、この世のあらゆる事件は解決してしまうのではないか。
でも私は、人間を人間にするのも、怪物にするのも愛だと思うようになった。そんな話を書いてみたかった。
(『アーモンド』作者の言葉より引用)
著者がこの『アーモンド』を、出産直後から子育てをしながら3年間かけて完成させたという背景もまた興味深く、作品により深みをもたせているように感じる。
本書の挿絵の色合い(濃淡)などにも注目しながら、ぜひ読んでほしい一冊だ。
【書籍紹介】
アーモンド
著者:ソン・ウォンピョン
発行:祥伝社
扁桃体が人より小さく、怒りや恐怖を感じることができない十六歳の高校生、ユンジェ。そんな彼は、十五歳の誕生日に、目の前で祖母と母が通り魔に襲われたときも、ただ黙ってその光景を見つめているだけだった。母は、感情がわからない息子に「喜」「怒」「哀」「楽」「愛」「悪」「欲」を丸暗記されることで、なんとか“普通の子”に見えるようにと訓練してきた。だが、母は事件によって植物状態になり、ユンジェはひとりぼっちになってしまう。そんなとき現れたのが、もう一人の“怪物”、ゴニだった。激しい感情を持つその少年との出会いは、ユンジェの人生を大きく変えていく—。怪物と呼ばれた少年が愛によって変わるまで。