明治が初めて現在の「明治ブルガリアヨーグルト」の前身にあたる「明治プレーンヨーグルト」をリリースしたのが今から50年前の1971年のこと。明治のスタッフが前年に開催された大阪万博のブースで、ブルガリア共和国の本格的なヨーグルトを試食し、感銘を受けたことがキッカケだったそうです。開発や浸透には相応の苦労があり、以降の日本のヨーグルト市場を変えた大きな功績があります。今年で50周年を迎える節目の年に、明治のマーケティング本部・田中陽さんに話を聞きました。
当時は慣れない味に消費者からクレームもあった
--まず、現在の「明治ブルガリアヨーグルト」のような本格的なヨーグルトが日本市場に登場する以前のお話からお聞かせください。
田中陽さん(以下、田中):弊社が1971年に販売を始めた「明治プレーンヨーグルト」以前にも、市場にはヨーグルト製品がありました。ただ、プリン同様、デザートの一種として親しまれた甘いヨーグルトが多く、弊社でも「明治ハネーヨーグルト」という商品を販売していました。
しかし、1970年に開催された大阪万博のブルガリア館で弊社の社員が、甘味などが加えられていないプレーンヨーグルトを試食し、「これこそが本物のヨーグルトなのか!」と感銘を受けたそうです。これは主観ですが、それまで親しんでいたデザートのような甘いヨーグルトと比べて、おそらく衝撃があったのではないかと思います。
正直言うと、当時の担当者は「おいしい」というより「食べにくい」と思ったかもしれません。しかし、「ヨーグルト発祥の国・ブルガリアのものだから、こういう本物の商品が浸透していかないと、日本のヨーグルト市場は成長しないだろう」と考えたようで、そこから開発に取り組んだと聞いています。
--しかし、その担当者の方が「食べにくい」と感じられたのだとしたら、消費者も同様に思ってしまいそうです。
田中:それまでの日本の甘いヨーグルトはあくまでもデザートの一種でした。実際に1971年に「明治プレーンヨーグルト」の販売を開始した際には、相応のクレームを頂くこともあったそうです。「腐ってる」「おいしくない」といった声が多く、初年度は全然売れなかったと聞いています。
--それでもめげずに販売し続けた理由はなんだったのですか?
田中:当時の弊社がこういったプレーンのヨーグルトに可能性を感じていたからです。「健康的である」ことはもちろんですが、ヨーグルトそのものを食べるだけでなく、食材に混ぜて使うなど、様々な可能性をこの時点で見抜いていたそうです。
また、一方で少数ですが、海外の食にも詳しい方、リテラシーの高い方からは絶賛の声もあり、様々なご意見が開発をし続けることを後押ししてくださったとも思っています。
ブルガリア大使館が明治の商品に「ブルガリア」の冠を認めた理由とは!?
--ただ、1971年当初は「明治プレーンヨーグルト」という商品名で「ブルガリア」という冠がありませんでした。また、パッケージも現在のオープンタイプではなく、牛乳パックのようなパッケージだったようです。
田中:当初よりブルガリアの大使館の方を通じて「『ブルガリア』の名を使わせて欲しい」と交渉していましたが、ブルガリア共和国の方は自国の食文化をとても大切にしており、交渉したものの難航したようです。
それで、まずは「明治プレーンヨーグルト」という商品名にして販売をスタートし、合わせて我々の製造体制や品質、流通の工夫などもブルガリア大使館の方に確認していただき、2年後の1973年より「ブルガリア」を商品名に冠しても良いという許可をいただき、改めて「明治ブルガリアヨーグルト」としての販売をスタートさせたという経緯です。
田中:何度も交渉を重ねることで感情的にブルガリア大使館の方に認めていただけたというよりは、製造工程の信頼性をご理解いただけて、「ブルガリア」の名を使わせていただけたのだと弊社では思っております。
また、牛乳パックのようなパッケージについては、弊社が牛乳製品を扱っていたことで、それを転用したという理由です。市場開拓には自信がありましたが、急にたくさん売れ始めるとも考えられなかったそうで、ある意味でリスクを軽減させる意味での牛乳パックだったようです。
--これは牛乳パック同様、口を開いて、その中からヨーグルトを出すというものだったのですか?
田中:そうです。「明治プレーンヨーグルト」の販売を始めた1971年から10年間は牛乳パックのままで流通していました。
販売中も数年間かけて品質の改良、乳酸菌の研究を重ねた
--販売中の間も品質の改良は常時行われていたのでしょうか。
田中:ヨーグルトそのものもそうですし、容器に関してもそうです。いずれも1~2年でできるものではなく、実は商品として市場に出すまで数年間をかけて品質の改良を行うこともあります。もちろん乳酸菌の研究は今も常時行っています。
--特に1971年からの10年間で、他社も類似商品を出していたと思いますが、焦るようなことはありませんでしたか?
田中:なかったと聞いています。確かに他社でもヨーグルト商品は続々と出てきたようですが、シェアとしては弊社が一番でした。これには「最初にやった」強さに加え、「ブルガリア」の冠も大きかったようです。
このように常時品質改良の研究を行っていった結果、1981年にオープンタイプのパッケージが誕生し、1984年にはLB51乳酸菌というものを使用することになりました。
乳酸菌名・LB51、LB81などの由来とは?
--「明治ブルガリアヨーグルト」は1984年のLB51乳酸菌を使った後、1993年には乳酸菌・LB81に変更され、現在に至っています。「明治プロビオヨーグルトR-1(1073R-1)」もそうですが、素人には判別が難しいです。乳酸菌というのはいくつもあるものなのでしょうか。
田中:世界的に見ればヨーグルトは「ブルガリア菌」と「サーモフィラス菌」の2つの乳酸菌を使い乳を発酵させたものを指します。「ブルガリア菌」や「サーモフィラス菌」の中にも、さらに細かく「菌株」を分類することができるのですが、この菌株ごとに多様な特徴を持っています。そのため無数にあると言って良いです。
人間にたとえると、10人いれば10人の特徴があり、性格も異なりますよね。それと同じで様々な乳酸菌があり、うまく掛け合わせることで、様々な価値を付与することができるわけです。
こういった背景の中、80年代前半に特に腸の生理作用に効果をもたらすLB51乳酸菌を開発し、展開を始めたのですが、90年代にさらに腸に与える効果が高まったLB81乳酸菌を開発し、以降「明治ブルガリアヨーグルト」に採用するようになりました。
また、「明治プロビオヨーグルトR-1」で採用している1073R-1という乳酸菌は、「強さひきだす乳酸菌」というこれまでにない特徴を有していたため、別ブランドにて商品化した経緯があります。乳酸菌は様々ですが、それぞれの菌に対しLB51乳酸菌、LB81乳酸菌、1073R-1と名前をつけ、今では様々な商品に採用し展開しています。
明治の研究所には約6500ものの乳酸菌が存在する
--現在、明治の研究所ではどれほどの乳酸菌をお持ちなのですか?
田中:約6500種類以上の乳酸菌があります。おそらく食品メーカーの中で一番多く持っていると自負しています。
--こういった取り組みも、1971年の「明治プレーンヨーグルト」、1973年の「明治ブルガリアヨーグルト」の成功があったからこそですよね。
田中:もちろんそうですね。ヨーグルト市場を開拓したという意味でも弊社の「明治プレーンヨーグルト」「明治ブルガリアヨーグルト」は大きな役割を果たしたと自負しています。
ヨーグルトを口にするシーンをもっと広げていきたい!
--この50年を経て、現在・未来に向けての取り組みがありましたら、お聞かせください。
田中:まず、常に考えていることですが、「ヨーグルトを食べていただくシーンをもっと広げていきたい」ということです。ブルガリア共和国はもちろん欧米諸国に比べれば、まだまだ日本人がヨーグルトを食べる機会、シーンは少ないと思っています。
だいたい日本人は朝食に食べることが多いと思いますが、一方で「夕飯にヨーグルトを取り入れよう」と実践する方は少ないですよね。でも、たとえば「味噌汁にヨーグルトを入れれば、味噌の味を引き立てる」ことができたり、あるいは「サバをヨーグルトに漬けておくと臭みが取れ柔らかくなる」といった効果があります。こういった一般的にはあまり知られていないようなヨーグルトの使い方を訴求していきたいと思っています。
また、「明治ブルガリアのむヨーグルト」にしてもまだま楽しめるシーン、使い方があります。こういった提案を今後も行うことで、消費者の方々の健康に寄与しながら市場もさらに広げていけるのではないかと考えています。弊社のヨーグルト製品に対する取り組みは、50年を超えてからも、積極的に続けていきたいと考えています。
1996年、「明治ブルガリアヨーグルトLB81」は厚生省(現・厚生労働省)より特定保険用食品の表示許可を受けました。1日100g以上接種することで、腸内細菌のバランスを整え、お腹の調子を良好に保てる効果も科学的に証明されたからだそうです。
今から50年前の明治のヨーグルトへの挑戦は、市場開拓だけでなく、人々の健康に寄与してきたことを象徴するエピソードです。普段からヨーグルトを口にされている方はもちろん、「しばらく口にしていない」という方も本記事の歴史を参考に改めて味わってみてはいかがでしょうか。身近にあるヨーグルトのありがたさ、奥深さを改めて感じることができるかもしれませんよ。
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