毎日Twitterで読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史作家・谷津矢車さん。今回は「桜」をテーマに様々なジャンルから5冊を紹介してもらいます。
あたなの心の「桜」を満開にさせる一冊が必ず見つかるはずです。
『春は曙』とは清少納言の評言だが、春といえば桜を連想するという方も多いだろう。
実はわたしもそのクチである。
わたしが酒好きだということはこれまでの選書連載で何度か匂わせたところだが、春は桜にかこつけて酒を飲める天国のような季節である。花粉症を我慢しながら満開に咲き誇る桜の花を見上げ、お重に入った煮物をつまみつつ真昼間からビールを喉に流し込む。今日も元気だお酒がうまい!
……これでは「花より団子」そのまんまだ。というわけで今回は、「花より団子」な作家が贈る『桜』選書である。
植物学から眺めた「桜」とは?
桜といえばソメイヨシノ、これに異存はあるまい。だが、この品種が生まれたのは江戸時代。ついついわたしたちは桜に関する詩や創作物に触れるとソメイヨシノを想像してしまうが、それは必ずしも正しくない。意外にわたしたちは桜のことを知らない。
そんなわたしたちが読んでおきたい本がこちら。「桜」(勝木俊雄・著/岩波新書・刊)である。本書は植物学者である著者が、桜という植物を植物学的見地から追った本である。日本人にとって桜は文化と切り離せないものであり、それゆえに文化的アプローチから桜を捉えた一般向け書籍は多く出ているが、植物学から眺めた一般向け書籍は案外珍しい。本書は知ってるつもりになっていた桜という植物の豆知識がちりばめられている。
本書で紹介されている桜への誤解について一つご紹介しよう。
「ソメイヨシノは種を作らない」という説が一般に流布している。実際わたしもそういう風に理解していたのだが、本書によれば誤解であるらしい。実はこれはソメイヨシノを巡る環境によってそう見えているに過ぎないとのことである。それがどういうことなのかは本書を手に取りご確認いただきたい。
ちりゆく「桜」が生きざまと重なる時代劇マンガの傑作短編
桜と聞いて個人的に外せないのが、『佐武と市捕物控』(石ノ森章太郎・著)所収「花祭り」である。このシリーズは下っ引き(岡っ引きの手足となって町方の事件を捜査する小者)の佐武と、盲目の按摩師にして居合の達人である市のコンビが光る有名時代劇マンガである。江戸の歳時記や文物を作品内にちりばめ、江戸という町特有のもつ暗さを描き出しているシリーズで、時代劇がお好きな方にはぜひともお勧めしたい作品である。
今回ご紹介する「花祭り」はまさに『佐武と市』シリーズの典型作といってもいい。
ある日、花見に来た佐武たち一行は、ひらひらと舞う桜の花びらをすべて一刀両断にする大道芸、落花狼藉の剣を見せる丹羽竜次郎という浪人と知り合い、その粋な姿に意気投合するのだが、そんな竜次郎にある不幸が降りかかり……という筋である。ほんのひと時、ぱっと咲いて散ってゆく桜の姿と竜次郎の意気の重なりが非常に印象深い。本シリーズはこうした道具立てが非常にきりっとハマっている。時代物をよく読む身としては、こうした趣向にグッとくるのである。
桜の季節を縁に「花祭り」を手に取ってみていただき、石ノ森ワールドに足を踏み入れていただければ、ファンとしてはこれ以上の喜びはない。
「葉桜」が意味するものとは? 平成を代表するミステリの傑作
桜と聞いて思い出す名作といえばこちら、『葉桜の季節に君を想うということ』(歌野晶午・著/文春文庫・刊)であろう。本書は発売年の本格ミステリ大賞や日本推理作家協会賞といったミステリ賞を総なめにした傑作ミステリとして知られている一作である。今更紹介するのも気が引けるほどの有名作だが、もし本書を読んでいない方がいたとしたら損失であるからしてここで紹介する次第である。
本書は『何でもやってやろう屋』の看板を出して活動している主人公が、ひょんなことからあるマルチ商法の会社の不正を暴くことになったところから始まる物語である。だが、本書はこのメインの筋だけではなく、主人公がかつて遭遇したやくざ組織内部での殺人事件や、件のマルチ商法企業に絡め取られて犯罪行為に協力せざるを得なくなった女性、仲の良かった男に頼まれてその男の娘を探す物語など、一見すると本筋に関係のないストーリーが語られていく。だが、読み進めるうちに、これらの様々な要素が意外な形でメインのストーリーに接続されていき、やがてわたしたち読者が予想だにもしなかった全体像が立ち上ってくることになる。
すべて読み終えた後には、すっかり騙されていた! と悔しい思いとともに本を閉じることになるだろう。そうして表紙を見返したとき、あなたはこのタイトルの本当の意味に気づかされることになる。かなり分厚い本だが、分量を全く感じさせず、一見すると無関係に見える脇の筋も楽しく読める。大満足の一冊となること請け合いである。
あなたの心の「桜」を咲かせる短編集
古典(というか、少し前の刊行作品)が続いてしまった。というわけで、最近の本も紹介しよう。『桜の下で待っている』(彩瀬まる・著/実業之日本社・刊)である。人の心を深く捉えた『くちなし』が直木賞ノミネートするなどこれからの活躍が大いに期待される著者の短編集で、震災を経た東北を遠景に、遅くやって来た春の景色と主人公の思いがほどける瞬間を瑞々しく切り取っている。
本書の魅力は、人の心を切り分けて提示する鋭い筆力と、登場人物を包み込むような優しさが同居していることだ。人は普段、心の奥底にきしみを覚えながらもその痛みから目を背けて生きている。本書の著者は見逃してしまうような小さな痛みすらもその筆で感知して抉り出す。だが、それと同時に傷つき疲れている魂を浄化してくれる。遅い春がやってくる東北の風景、各短編の主人公の魂が少し救われた瞬間に訪れるほのかな温かさ。この絶妙な筆運びが本書の核であり、美点である。
新しい季節特有の切ない日々にこそ読んでほしい。あなたの心の中の桜の木も、きっと満開の花を咲かせることであろう。
「桜」の紀章の下で働く者たちの苦悩と矜持
さて、最後は新刊から。
桜は我々にとって身近な花であるがゆえに潔さの象徴となったり、学校や企業などのトレードマークとしても用いられるようになった。行政機関においても同様である。桜をトレードマークにしている行政組織といえば、そう、自衛隊である。
『桜と日章』(神家正成・著/宝島社・刊)は、これまで二作に渡り自衛隊を材に取りミステリを描いてきた著者による長編第三弾である。だが、今回、著者は新たな挑戦に挑んだ。自衛隊と警察の軋轢を描いたのである。
この驚きは、あるいは作家にしかご理解いただけないものかもしれない。警察ものは特に専門性が高いとされており、ミステリ作家といえどもうかつに手を出すことができないジャンルであると了解されているのである。
本書は千葉県警の警備部長が誘拐されるところからスタートする。この誘拐事件に自衛官が関与している可能性が判明したあたりから、様相は警察と自衛隊との対立と腹の探り合い、メンツ争いになってゆく。と書くと何やら小難しい印象を受けるかもしれないが、警察に出向している自衛官でありオネエ口調がトレードマークの植木が、わたしたち読者にとって納得できる目的意識で作品内を動き回っている、つまりは共感性を担保してくれるため、普段警察ものになじみがない人でもストレスなく読むことができるだろう(ちなみにわたしも警察ものはそこまで読み慣れていないが、楽しく拝読した)。
桜の紀章の下で働く者たちの苦悩と矜持をうかがうことができる一作である。
桜の花は古来より春のイコンであった。
わたしたち一人ひとりが日本文化の衣鉢を継ぎ続ける限り、桜はずっと春の晴れがましい季節を告げる花として愛されてゆくのだろう。今日紹介した本はいずれも、そんな桜の魔力――言い換えるなら文化的な文脈――によって誕生したものたちなのかもしれない。
【プロフィール】
谷津矢車(やつ・やぐるま)
1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新作「奇説 無残絵条々」(文藝春秋)が絶賛発売中。