本・書籍
2019/9/26 21:45

19世紀オーストリアを代表する画家・クリムトーーその美と半生を堪能する

今年の4月23日から7月10日まで、東京都美術館で「クリムト展 ウィーンと日本1900」が行われていました。過去最大級の油彩画が来日する展覧会で、観にいらした方も多いでしょう。

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本で出会うクリムト

私自身は、行きたい思っているうちに日々は過ぎ、結局、観ずに終わりました。あまりにも残念だったので『もっと知りたいクリムト 改訂版』(千足伸行・著/東京美術・刊)を眺めて楽しむことにしました。

 

著者は千足伸行。広島県立美術館の館長をつとめる美術史家で、ドイツ・ルネッサンスに詳しく著書も多数あります。

 

見返しの写真にまずノックアウトされました。クリムトを含め、12人の男達の記念写真が掲載されています。1902年に開かれた分離派展のメンバーが、てんでばらばらにポーズをとっている写真です。

 

クリムトは一人、肘掛け椅子に座り真っ正面を向いています。不思議な写真で、クリムトとその時代が漂ってくるようで、なぜか鳥肌が立ちました。

 

 

グスタフ・クリムトというヒト

グスタフ・クリムトは1862年、ウィーン郊外の町でボヘミア出身の金細工師の家に生まれました。後に、クリムトは金箔を貼った黄金の絵で知られるようになりますが、彼には生まれながらにして家業である金細工師のDNAが刷り込まれていたのかもしれません。

 

クリムトが11歳のとき、ウイーン万博が開かれます。皮肉なもので、ちょうどそのころからオーストリアはきびしい不況と戦う毎日となりました。クリムトの家も貧窮に陥り、クリスマスだというのにパンも買えないような有様でした。

 

それでも、クリムトの才能は不況の中でも開花します。できたばかりのウィーンの美術学校に入学し、挿絵などの仕事を得て家計を支え、着実にキャリアを重ねます。弟エルンストも画家になり、二人で「芸術カンパニー」を作り、ともに仕事をするようになりました。

 

 

弟の死を乗り越えて

グスタフ・クリムトが30歳のとき、弟のエルンストが若くして急に亡くなってしまいます。グスタフにとって愛する弟であり、仕事上も大事な存在であったエルンストの死は大きな痛手でした。それでも、悲しみのなかウィーン大学大講堂の天井画制作にとりかかり、必死の思いで仕事を続けます。

 

そして、1897年。グスタフが35歳になったときにウィーン分離派が結成され、クリムトが初代会長となります。『もっと知りたいクリムト 改訂版』の写真に、肘掛け椅子に座っている彼の姿が写し出されていたことは既にお伝えしましたが、あれはグスタフ・クリムトの決意表明の表れだったのかもしれません。分離派とはその名の示すとおり、保守的な芸術から離れ、独自の道を行くという決心をした芸術家の集まりだからです。

 

 

「裸の真実」という絵の真実

今回、来日した絵画の中に「裸の真実」という絵があります。髪にヒナギクをさした裸婦が、なんとも表現しがたい「ゆるーーい」表情で、こちらを見つめています。右手には鏡、脚元には蛇のまきついていますが、この絵には次のような説明がなされています。

 

あたらしい芸術とその伝播という象徴性を帯びているが、同時に「真実は大地から萌え出る」という聖書の言葉(「詩編」85:12)とも関連づけられている。

(『もっと知りたいクリムト 改訂版』より抜粋)

 

「裸の真実」。美しくも不思議なこの絵に、聖書の言葉に通じる思いがこめられていたとは……。驚きとともに、この絵に一歩近づけたような気がして、私は本に顔を埋めたくなりました。

 

 

クリムト、黄金の時代のエピソード

38歳から48歳まで、金箔を駆使した「黄金様式の時代」が始まります。彼の本領が発揮された作品が数多く発表されました。「黄金様式の時代」に、クリムトは「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ」や「接吻」「ユディトⅠ」「金魚」「べートーヴェン・フリーズ」「希望」「女の生の三段階(「女の三世代」)」「生命の樹」など、数々の名作を描きました。

 

タイトルだけではピンと来なくても、実際に絵を観れば「ああ、この絵ね」と納得がいくでしょう。

 

なかでも「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ」は、逸話が多い作品です。モデルの遺族が「この絵はナチスが不当に押収したのだから返すべきだ」と主張し、裁判を起こしました。難しい裁判でしたが、結局、遺族側が勝訴し、絵は遺族に返却されました。そして、156億円という史上最高額で化粧品メイカーであるエスティ・ローダーの一族に売却されたのです。

 

このエピソードは『黄金のアデーレ』という映画にもなり、ヘレン・ミランが主演をつとめました。

 

 

晩年のクリムトは、さらに輝く

クリムトは55歳で脳卒中のため亡くなります。晩年はさすがの彼も創作力が衰えたと伝えられます。新しい作品を創り出そうともがくように制作を続けてはいましたが、若者達から取り残される恐怖を感じ、苦しんでいたといいます。

 

けれども、全盛期にはなかった魅力がある絵を制作していたことを『もっと知りたいクリムト 改訂版』で教えられました。死の数年前に書いた「夢と無意識」という作品には、金箔にまさる輝きを感じることができます。

 

 

まだ間に合うクリムト展

現在、豊田市美術館で「クリムト展 ウィーンと日本 1900」(2019年7月23日~10月14日)が、大阪の国立国際美術館では「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」(2019年8月27日~12月8日)が開催中です。『もっと知りたいクリムト 改訂版』に繰り広げられていた世界を自分の目で見ることができます。

 

 

【書籍紹介】

もっと知りたいクリムト 改訂版

編集:千足伸行
発行:東京美術

象徴派、デカダン派、印象派など多彩な顔を持つ世紀末ウィーン最大の画家クリムトの生涯を忠実にたどります。重要作品はクローズアップし、近年注目の叙情的な風景画や斬新な肖像画も数多く収録した充実の入門書。

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