『走ることについて語るときに僕の語ること』(村上春樹・著/文芸春秋・刊)について、「どんな本ですか」と尋ねられたら、筆者は自分なりに可能な限り圧縮した次のような言い方で説明を試みるだろう。
ランナーズ・バイブル的な体裁を取りながらの紀行文学であり、哲学書であり、そして小説家になって作品を書き続けるにはどうしたらいいかを教えてくれる一冊。いや、それだけじゃない。教育の仕組みやさまざまな仕事にも当てはまるマニュアル的な性格、あとは人生論的な要素が強く感じられる。それに、とにかく読みやすい。結局、全然圧縮できない。
多面的で多能的な一冊
この本は2005年夏から2006年秋という比較的短いスパンの中で書かれた文章をまとめたもので、ハワイ州カウアイ島、東京、マサチューセッツ州ケンブリッジ、北海道サロマ湖、湘南、そして新潟県村上市をステージにして文章が綴られていく。
まずは、小説を書くこととマラソンとの共通点について書かれた次のような一文に触れておきたい。
書いたものが自分の設定した基準に到達できているかいないかというのが何よりも大事になってくるし、それは簡単には言い訳のきかないことだ。他人に対しては何とでも適当に説明できるだろう。しかし自分自身の心をごまかすことはできない。そういう意味では小説を書くことは、フル・マラソンを走るのに似ている。
『走ることについて語るときに僕の語ること』より引用
筆者は小説家ではないので、小説家目線からものごとを見たり語ったりすることはできない。でもこの一文のエッセンスは、小説家以外の多くの仕事の内容とも共鳴する部分があるのではないだろうか。
自分のいろいろな時代を思い出した
教育の仕組みやさまざまな仕事にも当てはまるマニュアル的な性格も強く感じられる。そう書いた。それは、次のような一文に端的に表れていると思う。
僕が勉強することに興味を覚えるようになったのは、所定の教育システムをなんとかやり過ごしたあと、いわゆる「社会人」になってからである。自分が興味を持つ領域のものごとを、自分に合ったペースで、自分の好きな方法で追求していくと、知識や技術がきわめて効率よく身につくものだということがわかった。
『走ることについて語るときに僕の語ること』より引用
中学生のころ思っていたこと、大学に入って思ったこと、そしてフリーになったときに思ったことが甦る文章だ。
走ることと、その心得
哲学書としての側面は、次のような一文に表れていると思う。
ただ僕は思うのだが、本当に若い時期を別にすれば、人生にはどうしても優先順位というものが必要になってくる。時間とエネルギーをどのように振り分けていくかという順番作りだ。ある年齢までに、そのようなシステムを自分の中にきっちりこしらえておかないと、人生は焦点を欠いた、めりはりのないものになってしまう。
『走ることについて語るときに僕の語ること』より引用
そして、走るという行いを少しでも意識したことがある人には、次の一文が刺さるに違ない。
そのようにして走るという行為が、三度の食事や、睡眠や、家事や、仕事と同じように生活サイクルの中に組み込まれていった。走るのはごく当たり前の習慣になり、気恥ずかしさのようなものも薄れていった。スポーツ専門店に行って、目的にあったしっかりしたシューズと、走りやすいウェアを買ってきた。
『走ることについて語るときに僕の語ること』より引用
“No running. No life”。走るというのは、食事や睡眠、家事、そして何より仕事と同じようにとらえるべき行いなのだ。
すうっと、染み込むように入ってくるアイデア
走ることと生きることをクロスオーバーさせる文章が多いのだが、飲み込みにくさめいたものは一切感じない。
負けるのはある程度避けがたいことだと考えている。人は誰であれ、永遠に勝ち続けるわけにはいかない。人生というハイウェイでは、追い越し車線だけをひたすら走り続けることはできない。しかしそれとは別に、同じ失敗を何度も繰り返すことはしたくない。
『走ることについて語るときに僕の語ること』より引用
知っておくべきことが過不足なく語られる文章は淡々としていて、まったく押しつけがましくない。走ること、生きること、そして小説を書くことについてのさまざまな局面が、喉ごしのよい言葉で綴られていく。
村上作品は、この本から始めてはどうだろう。村上春樹という人の小説家、そしてランナーとしてのあり方を知ってから、ベストセラーとなっている数々のタイトルに取り組んでも順序として違和感はないと思う。5キロを30分切って走るくらいのスピードで一気に読みきった。
【書籍紹介】
走ることについて語るときに僕の語ること
著者:村上春樹
発行:文藝春秋
もし僕の墓碑銘なんてものがあるとしたら、“少なくとも最後まで歩かなかった”と刻んでもらいたい――1982年の秋、専業作家としての生活を開始したとき路上を走り始め、以来、今にいたるまで世界各地でフル・マラソンやトライアスロン・レースを走り続けてきた。村上春樹が「走る小説家」として自分自身について真正面から綴る。