本・書籍
2020/7/1 21:45

「大阪ラリア人」チャド・マレーンから学ぶローカライゼーションの実践論――『世にも奇妙なニッポンのお笑い』

ここ3か月、放送時間の長いお笑い番組をよく見ている。劇場と同じくらいの尺のネタばかり集めたやつだ。外で大笑いできることがまったくないので、声が大きい笑い上戸の筆者としてはありがたい。大容量の外付けHDDを買ってきて、気になる番組はすべて録画している。

 

 

私的お笑い史

筆者のお笑い遍歴は、小学校時代に始まった。最初の大波は志村けんさんが新メンバーとして加入する前のドリフの『全員集合』だ。テレビ東京(まだ東京12チャンネルだった時代)で、たしか木曜日の夜11時から放送していた『ザ・ゴングショー』とか『モンティ・パイソン』といった番組を通して英米の笑いに初めて触れたのも同じころだった。字幕を追うのに精いっぱいで笑いのツボまではわからなかったが、見た目で笑えるネタも多かったので、それなりに面白かったのを覚えている。

 

次に大きな波が訪れたのは高校時代。毎週土曜日に欠かさず見ていたのが、とんねるずさんやブラザー・トムさん(当時は小柳トムという名前で出ていた)、そしてコロッケさんを輩出した日本テレビの『お笑いスター誕生』だ。

 

 

何回か来た大波

『お笑いスター誕生』をきっかけにお笑い番組を見る時間がかなり長くなったところで、『オレたちひょうきん族』が始まった。筆者にとっては一番の大波だ。タケちゃんマンやパーデンネンといった強烈なインパクトで輝くキャラは今でも面白いと思うし、女子アナを巻き込んで進むコントはあり得なかった。漫才ブームが爆発したのも同じ時期だ。このあたりから、筆者の自分内ポップカルチャーでお笑いが重要な部分を占めることになる。

 

そして2000年あたり、もう来ないだろうと思っていた新たなビッグウェーブが訪れた。“外国生まれのお笑い芸人”というまったく新しいジャンルの人たちをテレビで見るようになる。パックンマックンのパトリック・ハーランさんや超新塾のアイクぬわらさん、そして厚切りジェイソンさん。もう言語の壁がどうのこうのという次元を通り越したところにいる、抜群に面白い人たちだ。その人たちの代表格といえるチャド・マレーンさんが書いた『世にも奇妙なニッポンのお笑い』(チャド・マレーン・著/NHK出版・刊)という本を紹介したい。

 

 

チャド・マレーン:大阪ラリア人

とてもオーストラリア人とは思えない流ちょうな大阪弁を操るチャドさんは、松本人志さんに“大阪ラリア人”と呼ばれている。15歳のときに交換留学で日本に来て、お笑い好きのホストファミリーのおかげで『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』を見て衝撃を受け、日本でお笑い芸人になるために、高校卒業後に吉本興業のお笑い学校NSCに初の外国人として入学した。この流れ、もう前世の記憶みたいなものに衝き動かされているとしか考えられない。日本のお笑いに身も心も捧げているチャドさんの言葉には説得力がある。

 

僕は日本のお笑いは世界でも、もっともレベルが高いと声を大にして言いたい。それがこの本を書こうと思った動機です。

                     『世にも奇妙なニッポンのお笑い』より引用

 

ごく短い文章だけれども、異国のきわめて特徴的な世界に飛び込み、その中でさまざまな体験を積み重ねてきた人が発する言葉は、響きが違うと思うのだ。

 

 

お笑いだけじゃなく、日本そのものとの向き合い方

日本のお笑いに対するリスペクト、それと対峙する覚悟が、次の言葉ににじみ出ていると思う。シチュエーションを説明しておきたい。東日本大震災の後、オーストラリア大使館に電話をかけ、大使館員が全員帰国している事実を知ったタイミングだ。自分が、日本が、そしてお笑いがどうなっていくのかまったくわからないなか、チャドさんは悩みに悩んだ。

 

でも、さんざん悩んだ末に思ったのです。世界を見渡しても、「お笑いの世界でいちばんおもろいのはやっぱり日本だろう」と。日本でなんとかものになれば、海外でも通用するに違いない。もしこのまま日本があかんくなったら、アメリカでもメキシコでも、どこへでも行けばいい。ならばいちばんおもしろくて、いちばんやりたいことができる日本がある限り、日本でがんばろうと思ったのです。

                     『世にも奇妙なニッポンのお笑い』より引用

 

映画『風と共に去りぬ』第一部のラストで、ヒロインのスカーレット・オハラが夕焼けの空の下「もう二度と飢えに泣きません」と言うシーンを思い出した。なぜだろう。

 

 

超実践的ローカライゼーション論

章立てを見てみよう。

 

第一話 オーストラリアの田舎者、日本のお笑いにハマる

第二話 ツッコミは日本にしかないんかい!

第三話 ところ変われば笑いも変わる

第四話 若手芸人サバイバル・ハイウェイ

第五話 東京でお笑いをやるということ

第六話 師匠の背中と先輩の押し入れ

第七話 ここが違うよ、日本とオーストラリア

第八話 笑いを翻訳するのは難しい

第九話 日本のお笑いは世界に通じるか

 

実にもりだくさん。笑いを軸にするにせよ言語を軸にするにせよ、この本の核の部分にあるものはローカライゼーションの実践論だと思う。比較文化論なんていう安易なラベルで分類したら、持ち味が台なしになってしまう。

 

タイトルの「世にも奇妙な」という言い方は、異質さを強調することが目的では決してないはずだ。語感としては“strange”ではなく“amazing”なのではないだろうか。今年から小学校でも英語が必修科目になった。小学生にはまだちょっと難しいかもしれないけれど、前段階としてこういう本を読んでおくと、向き合い方もちょっと違ったものになるのでは?

 

【書籍紹介】

世にも奇妙なニッポンのお笑い

著者:チャド・マレーン
発行:NHK出版

笑いを求めて三千里。故郷オーストラリアから日本で芸人になるためにやってきた若者が飛びこんだのは、世にも稀なる芸道だった! 不自由にも見える芸人の上下関係の秘密から、「ツッコミ」「どつき」「ひな壇トーク」などの特殊性、そして“笑い”を翻訳して海外に届けることの難しさまで。苦節20年、お笑い界の荒波を生き抜いてきた外国人漫才師が、日本のお笑いの本領と秘めたる可能性をしゃべり倒す!

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