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2020/7/9 21:45

2020年12月に一般公開! 聖骸布が私たちに問いかけること−−『キリストと聖骸布』

今年のはじめのことです。突如、イタリアのトリノに行かねばという思いにとりつかれました。ローマ教皇庁が、トリノの聖骸布(せいがいふ)を一般公開するというニュースを読んだからです。

 

「ついにこの日が来たか」と、私はひとり興奮しパソコンの前で拳を握りしめるや「行くぞ、トリノへ!見るぞ、聖骸布! エイエイオー!!」と、ときの声を挙げました。生きているうちに「トリノの聖骸布」なるものを見たいと、ずっと思い続けてきたからです。

 

 

不思議な布、聖骸布

聖骸布とは、イエス・キリストが磔刑に処された後、遺骸を包んだとされる布のことです。キリスト教の聖遺物の一つで、トリノにある聖ヨハネ大聖堂に厳重に保管されています。一般の訪問客への展示は、10年に一度、あるかないかです。

 

ところが、今回は2020年にトリノで大きな集まりがあり、それに併せて一般公開が決まったといいます。この先、いつ聖骸布が公開されるかわからないことを思うと、まさに千載一遇のチャンスではありませんか!

 

私が聖骸布に興味を持ったのは、『キリストと聖骸布』(ガエタノ・コンプリ・著/イースト・プレス・刊)という本を読んでからです。著者であるガエタノ・コンプリ神父は、イタリアのヴェローナに生まれ、25歳のときに来日してから、日本の中学や高校で青少年の教育に力を注ぎ続けてきた方です。現在は、調布のチマッティ資料館の館長をつとめています。

 

忙しい毎日を送るなか、コンプリ神父は70年もの間、聖骸布の研究に打ち込んできました。まだ大学生だったときにトリノで聖骸布と出会い、その魅力に夢中になったといいます。それからというもの研究に研究を重ねました。それだけではありません。私たちに新しい情報を発信し続け、数え切れないほどたくさんの講演を行い、テレビにも出演し、聖骸布とはどういうものかを追求し、啓蒙活動に励んでいます。

 

『キリストと聖骸布』の始めに、コンプリ神父は提言しています。

 

聖骸布には先入観なしに挑戦してください。聖骸布は、信仰の問題ではありません。信仰のない著名な学者もこれを研究し、その信憑性を認めています。その反面、実物を見ないまま、迷信であるかのように拒む聖職者もいます。聖骸布は、冷静に考えるべきです

(『キリストと聖骸布』より抜粋)

 

 

謎が謎を呼ぶ……

カトリック教会では、聖人の遺骨や衣を聖なる遺物として敬う伝統があります。聖骸布も聖遺物のひとつとして認識されています。

 

ハリソン・フォードが主演し、一世を風靡した映画「インディ・ジョーンズ・シリーズ」で、聖遺物が取り上げられたことがあります。シリーズ最初の作品『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』で、インディ・ジョーンズが追い求めたのは、聖遺物であるアーク(聖櫃:セイヒツ)でした。モーゼの十戒が刻まれた石板を収めた聖なる箱・アークは、大切な宝物なのです。

 

聖骸布もアークと同じ聖遺物ですが、その存在が特に注目されるようになったのは、ある一枚の写真がきっかけでした。

 

1898年、トリノ大聖堂の落成400年を記念する典礼美術展が開催されたとき、後のイタリア国王となる皇太子のご結婚を祝うため、聖骸布が公開。そのとき、聖骸布の写真が初めて撮影されることになりました。

 

それまでは聖骸布が営利目的に使われることをおそれ、撮影許可がおりなかったのです。けれども、利益をサレジオ会という修道会に寄付するという条件のもと、史上初の撮影が実現しました。撮影したのは、弁護士で写真家でもあったセコンド・ピア。ピアは苦心の末、二枚の写真を撮りました。撮影後、暗室に走りこみ、ガラス感光板を現像液に浸した彼は、自分の目の前でありえないことが起こったことを知ります。

 

その「ネガ」に写った人物の姿は「ポジ」だったのである。つまり、その布の上に見えるあの様変わりの、ぼんやりとした人物の姿は、写真機なしでできた等身大の「ネガ」であったことがわかったのである。

(『キリストと聖骸布』より抜粋)

 

私は写真に詳しくないので、最初、この部分がすぐには理解できませんでした。けれども、写真機なしで確かに「ネガ」はできません。では、浮かび上がった人物は、いったいどうやってできたものなのでしょうか。謎は謎を呼び、世界中を巻き込んでいきます。

 

 

大騒動の行方は……

聖骸布をめぐっての論争は、多くの人をまきこみ、大騒動になりました。聖職者はもちろんのこと、有名な科学者や生物学者や化学者、そして、市井の人々も、それぞれの立場から謎の解明に挑みます。しかし、研究は進みませんでした。聖骸布を取り巻く状況が深刻なものとなっていたのも一つの理由です。

 

第一次大戦の爆撃から守るために、聖骸布は避難する必要に迫られていました。そんな中、写真を撮影する余裕はなかったのでしょう。結局、許可がおりないまま、聖骸布をめぐる論争もいったんは小休止となります。

 

1931年、20世紀になって初めて、聖骸布が久々に公開されることが決まりました。その時、聖骸布の本格的な写真撮影をすることになり、プロの写真家であるG・エンリエがその任務を託されます。撮影を許され、12枚の写真を撮影しました。

 

当時としては最高水準のカメラと技術を駆使しての仕事となりました。そして、その結果、布上の人物が以前撮影したときと同じやはり「ネガ」の状態であることが確認されたのです。

 

しかし、ではどうやって、布の上に人物の姿が写し取られたのか、という疑問は解明されず、聖骸布は謎のまま、存在し続けます。やがて、聖骸布を写真からではなく、実物そのものを観察し、分析する必要があると考えられるようになります。

 

1970年、とうとう科学調査が行われました。布の性質や保存方法を調べ、布の上に見える姿がいったい誰なのかを知り、血痕の性質を解明するなど、多方面からアプローチすることを目的として、7人の専門家が聖骸布に向き合いました。けれども、調査結果が発表されるまで、なんと7年もの歳月が費やされます。それだけ難しい謎だったということなのでしょうか。

 

『キリストと聖骸布』には、今もなお続いている聖骸布の研究について、膨大な情報が書かれています。学者たちが精魂こめて研究し、長い時間を経てもなお謎が残る聖骸布……。この存在をどう捉えたらいいのでしょう。トリノまで出向いて、実際にこの目で見たいと夢みるのも当然だと思いませんか?

 

 

正しい答えを出す努力を続けよう

けれども、この夢は果たされそうもありません。新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、年末の旅行が可能だとは思えないですから。そもそも公開があるのかどうかも、よくわかりません。おそらく、私がトリノへ行くのは無理でしょう。

 

聖骸布の研究家でもなく、ただ単に見てみたいだけの私が、軽々しく「行ってみようかな」などと願うべきではないでしょう。それでも関心を持ち続けること、それが大事なのだと私は信じています。聖骸布の研究に生涯を捧げ、今もなお勉強を続けているコンプリ神父は、あとがきの中でこう述べています。

 

正しい知識を身につけるためには、疑問を持つ必要があります。同時に、正しい答えを探す努力も欠かせません。これは、 聖骸布だけではなく、人生に関わる問題について、私たちがとるべき態度です。

( 『キリストと聖骸布』より抜粋)

 

たとえ、トリノに行くことができなくても、 聖骸布をこの目で見る日が来なくても、私はずっとこの布の存在を気にかけながら暮らしていきたいと思います。「正しい答えを出す努力」。この言葉を胸に抱いてさえいれば、いつの日か目の前に 「私の聖骸布」が姿を表してくれると信じるからです。

 

 

【書籍紹介】

キリストと聖骸布

著者:ガエタノ・コンプリ
発行:イースト・プレス

イタリアのトリノに保管されている「聖骸布」はゴルゴダの丘で十字架刑に処されたキリストの遺骸を包んだものと伝えられてきた。しかしながらこの宗教的遺産は20世紀初頭に世界から注目される存在となった。それはたった一枚の写真がきっかけであったー。真実か、ねつ造か。聖書学、歴史学、科学、さまざまな論点を巻き込んで次々とあらわれる謎と驚愕の事実。フィクションを超えた第一級のミステリー。

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