もう20年も前のことになる。私は『博士と狂人』(サイモン・ウィンチェスター・著/早川書房・刊)という本に夢中になった。「オックスフォード英語辞典」(略してOED)の編纂にまつわる驚くべき出来事を描いた物語だ。あまりにも壮大で希有な話なので、最初はよく出来た小説かと思った。しかし。19世紀後半に実際に起こったまぎれもない実話だという。
『博士と狂人』の著者
『博士と狂人』は、綿密に調べ上げた史実がきっちりと書かれたノンフィクションだ。そのため、古文書資料館に出向き、門外不出の貴重史料を読んでいるような気持ちになる。それも当然だろう。著者サイモン・ウィンチェスターは、オックスフォード大学出身の新聞記者で、ワシントン、ニューヨーク、ニューデリーなどの特派員をつとめ、30年にわたって活躍してきたジャーナリストだ。史料の扱い方が正確で綿密なのも、新聞記者としての力量を考えれば、当然のことかもしれない。
最初、この本に出会ったとき、映画化されたらいいのになと思った。複雑で怪奇なストーリーだからこそ、映像化すると、よりわかりやすく魅力を増すに違いない。映画やドラマの原作として、これほどふさわしい本はないだろう。
現に、フランスのリュック・ベッソン監督が、権利を得て、主人公をメル・ギブソンがつとめるとも聞いた。「メル・ギブソン、なるほどね」と私はうなずいた。同時に「博士と狂人のどちらを演じるのだろう。どちらもいけそう」と楽しみにしていたのだが、待てど暮らせど、なぜか映画にならないまま年月ばかりが過ぎて行った。
正反対な二人の主人公
2019年の秋、とうとう映画が上映されると知った。監督はP.B.シェムラン、出演はメル・ギブソンとショーン・ペン。『博士と狂人』は、そのタイトルが示すとおり、二人の人間が主役だ。どちらが欠けても、物語は精彩を欠く。二人揃ってこその物語なのだ。それだけに、配役も二人のアカデミー賞俳優を揃えたのだろう。
メル・ギブソンが演じるのは、ジェームズ・マレー博士。マレー博士は、スコットランドの奥地・ホーイックという小さな町で生まれた。仕立て屋と織物商を営む家の長男だが、高等教育を受ける余裕はなかった。しかし、マレーは努力家であり、さらには、興味の範囲が広い少年だった。知識欲も強く、地質学や植物学、天体や自然現象など、ありとあらゆるものに興味を示した。
貧しさゆえに、14歳までしか学校に通うことが出来なかった。生活のために知的好奇心を断念して、働かざるをえなかった。それでも幸運に恵まれて、いや、彼の熱心さとひたむきさが伝わったのか、OEDを編纂する仕事が舞い込んだ。難しい仕事とわかってはいたが、マレー博士は喜んで引き受け、水を得た魚のように動き出す。
ショーン・ペンが演じるのは、ウィリアム・マイナー。マイナーの両親は宣教師で、セイロンに赴任中にウィリアムが生まれた。マレー家とは異なり、マイナー家はアメリカの由緒ある上流階級に属していた。ウィリアムも優秀な少年で、十分な教育を受けている。エール大学の医学部を卒業して医者となり、将来は希望に満ちているように見えた。
しかし、ここに大きな壁が立ちはだかる。南北戦争が勃発したのだ。軍医として赴いた戦地で、マイナーは壮絶な経験をする。元々繊細な彼は、このときの体験によって精神に異常をきたし「モノマニー」を患っていると診断された。
モノマニーとは、ただ一つの問題に異常に取り憑かれる一種の精神異常である
(『博士と狂人』より抜粋)
アメリカで治療を受けた彼は、やがてロンドンで新しい生活を始めることになった。休養し、本を読み、絵を描いて暮らすことによって、モノマニーから解放され、元の生活を送ることができると期待されてのことだ。もちろん、生活を支える経済的余裕もあったのだろう。
しかし、そうはいかなかった。ロンドンで、彼は自らを奈落の底へつき落とすような最悪の行動を起こしてしまう。狂気と不安が彼を追いつめ、とうとうマイナーは犯罪者となる。
二人を結びつけたもの、それはOED
二人の主人公はまったく正反対の人物に見える。片や、貧しい生まれながらも努力によって見事な仕事を成し遂げる博士。片や、裕福な家に生まれ教育を受けながらも、精神を病む患者として病院に収容された人物。普通なら会うこともなく、その存在さえ知らず、生涯を終えたことだろう。
しかし、二人は出会い、互いを認め、一緒に仕事をしたのである。これはやはりひとつの奇跡と言うべき出来事だ。二人を結びつけたもの。それは、OEDの編纂という気の遠くなるような仕事であった。何しろ、着手してから全巻の編纂が完了するまで、なんと70年もの歳月を要したというのだから……。
マレー博士はこの仕事を始めるにあたって、広く一般の人々の協力を求めた。そうでなければ、到底、着手できなかったであろう。その協力者の中にマイナーがいた。
二人は互いのことを何も知らなかった。OEDの編纂という仕事が、20年もの長きにわたって、二人を結びつけたのだ。これほど長い間、手紙で編纂に関する意見を交換していたのにもかかわらず、二人は会ったこともなかった。マレー博士が招待しても、マイナーはいつも丁重に断ってきたからだ。
しかし、ある日、マレー博士は決心する。マイナーに会い、直接お礼を言おうと思い立ったのだ。晴れた空の下、マレー博士は出発し、あらかじめ練習しておいた挨拶を目の前にいる紳士に述べた。「はじめまして。ロンドン言語協会のジェームズ・マレーと申します。『オックスフォード英語大辞典』の編集主幹をつとめている者です。ようやくお目にかかれまして、まことに光栄に存じます……」しかし、挨拶が終わった途端に知ることになる。マイナーとは何者であるのかを。
このシーンは何度読んでも痺れる。そして、ぞっとする。映画ではどう描かれているのか、楽しみでたまらない。けれども、20年も待っていたくせに、私はまだ映画を観ていない。コロナの影響で、映画館に行きづらいのも一つの原因だ。
しかし、それだけではない。あまりにも楽しみにしていたため、観るのがこわくなってしまい、グズグズしているうちに、日がどんどん経っているのが本当のところだ。とりあえず、もう一度本を読み返してから、映画を観たいと思う。
【書籍紹介】
博士と狂人
著者:サイモン・ウィンチェスター
発行:早川書房
41万語以上の収録語数を誇る世界最大・最高の辞書『オックスフォード英語大辞典』(OED)。この壮大な編纂事業の中心にいたのは、貧困の中、独学で言語学界の第一人者となったマレー博士。そして彼には、日々手紙で用例を送ってくる謎の協力者がいた。ある日彼を訪ねたマレーはそのあまりにも意外な正体を知る−−言葉の奔流に挑み続けた二人の天才の数奇な人生とは? 全米で大反響を呼んだ、ノンフィクションの真髄。