書評家・卯月鮎が選りすぐった最近刊行の新書をナビゲート。「こんな世界があったとは!?」「これを知って世界が広がった!」。そんな知的好奇心が満たされ、心が弾む1冊を紹介します。
ちっとも隠れていない隠居生活!?
「老後資金には2000万円必要」と金融庁の審議会の報告書にあったことが少し前に話題となりました。そんなに老後は大変なの? と心がザワザワしたのを覚えています。一昔前は、老後は悠々自適でのんびりなんてムードもあったのに今はどこへやら……。「老後の沙汰も金次第」とはシビアですね。
今回の新書『お殿様の定年後』(安藤優一郎・著/日本経済新聞出版・刊)は、大名5人の隠居後の生活を紹介した歴史本。現役時代よりも好き勝手に活動し、歴史書作りや歌舞伎見物に没頭する様子はうらやましい限りです。
著者は歴史家の安藤優一郎さん。『お殿様の人事異動』『相続の日本史』『河合継之助』など、日本史関連の著作が多数あります。今回は「定年後」という面白い切り口で、江戸時代の元お殿様の暮らしと江戸の文化に迫っています。
御老公の発案で藩の財政がひっ迫……
まず第1章は「大名のご公務―江戸と国元の二重生活」。お殿様は花のお江戸に出かけては、町娘をからかったり、悪を成敗したり……というのは時代劇だけのお話。現実には大変な思いで参勤交代をして江戸に着き、そこでも堅苦しい生活を送っていたそうです。江戸城登城に遅刻したら懲罰。毎日のタイムスケジュールも決められ、幕府の監視下にあるも同然の状態でした。これなら早く家督を譲って隠居したくなるのもうなずけます。
第2章「水戸藩主徳川光圀―水戸学を作った名君の実像と虚像」では、ご隠居の代表格、水戸黄門こと水戸藩主・徳川光圀のエピソードが語られます。正式ではない側室の子として堕胎を命じられながらも密かに育てられ、剛毅な性格から兄たちを差し置いて想定外の世継ぎとなり、30年以上藩政に従事しました。
隠居後は、若いころに改心するきっかけとなった中国の『史記』をお手本にした歴史書「大日本史」の編纂に注力。各地へ学者を調査に向かわせるなど、年間経費はなんと8万石! 水戸藩の石高は28万石(後に35万石)だったことを考えると、とんでもない出費と言えそうです。
隠居後、庭いじりと歌舞伎三昧という趣味の毎日を送ったのが大和郡山藩主の柳沢信鴻(のぶとき)。東京都内屈指の名園として知られる六義園(りくぎえん)に居を移し、自らの手で美しく整備しました。また、ときには江戸市中を歩き回って世間で評判の茶屋娘を訪ねていたとか。その様子は「宴遊日記」に事細かく記されています。芝居が好きなあまり、屋敷に舞台を作り自分で台本を書いて侍女たちに演じさせたという逸話にも驚きました。もちろん採用の際には歌舞音曲の腕前を信鴻がチェックしたというから、まるでアイドルプロデューサーですね(笑)。
そのほか、出世争いに挫折して隠居するも文章に生き甲斐を見出し、江戸の名随筆「甲子夜話」を書き上げた肥前平戸藩主・松浦静山。(有名な「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」は静山の名言です)。幕政からの引退後、文化事業に力を入れた白河藩主・松平定信などが取り上げられています。
藩の舵取りから解き放たれて、やりたいことができるようになったお殿様は最強のオタクといったところでしょうか。そんな老後に憧れますね。
【書籍紹介】
お殿様の定年後
著者:安藤優一郎
発行:日本経済新聞出版
江戸時代は泰平の世。高齢化が急速に進む中、大名達は著述活動、文化振興、芝居見物などで隠居後の長い人生を謳歌した。権力に未練を残しつつもそれぞれの事情で藩主の座を降りた後、時に藩の財政を逼迫させながらもアクティブに活動した彼らの姿を通じ、知られざる歴史の一面を描き出す。
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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。