『愛の不時着』というドラマがNetflixで配信されるや、大変な人気を集め、堂々のランキング1位に輝いたことは知っていました。すぐに観たいと思いましたが、観ては駄目よと自分に言い聞かせてました。いったん見始めたら止まらないとわかっていたからです。
毎日、雑用に追われているのに、全部で16話もあるドラマにはまってしまったら、睡眠時間が削られるのは明らかです。そこで、設定に無理があるから辞めておこうと自分に言い聞かせました。韓国の財閥令嬢が、パラグライダーに乗っているときに突風に遭遇して、あろうことか北朝鮮領内に不時着し、そこで出会った兵士と恋に落ちるなんて、あまりにも荒唐無稽で、無理があると思うことにしたのです。
ドラマ『愛の不時着』にはまりました
それでも、1話くらいは観てみようと思ったのが運のつき……。結局、どっぷりとはまってしまい、ほぼ一気に観るという暴挙をおかしてしまいました。もちろん、寝不足となりましたが、ハラハラドキドキのドラマ展開に魅了され、先がどうなるのか知りたくて、観るのを我慢することができなかったのです。最初はあり得ないと思った設定も、人生は何が起こるかわからないのだから、こういうことも充分にあり得ると、納得するようになりました。何よりも、胸がキュンとなるシーンが満載で、主人公のジョンヒョクとセリのふたりから目が離せなくなりました。
作り話とわかっていながら、登場人物に感情移入しないではいられなくなる、それが『愛の不時着』の魅力です。それにしても、なぜここまでこのドラマに惹かれたのか、自分でもよくわかりませんでした。あまりに夢中になっていたので、最終回が来るのがこわかったのですが、最終回を見終わっても、「不時着ロス」にはなりませんでした。もう一度、観ればいいからです。実際、ゆっくりと味わいながら観ると、1回めは気づかなかった面白さを確認できます。たとえ結末がわかっても、くり返し観て楽しむことができる。それがこのドラマの不思議なところです。
「『愛の不時着』論」(本橋哲也・著/ナカニシヤ出版)は、『愛の不時着』というドラマが、なぜ世界中の人びとを虜にしたのかを考察した本です。著者は本橋哲也。東京経済大学教授であり、国際演劇評論家協会日本センターの会長をつとめるカルチュラル・スタディーズの専門家です。たくさんのドラマや演劇を観てきた著者が、『愛の不時着』を史上最高の韓流ドラマであると考えていると知り、「『愛の不時着』論」を手に取りました。
朝鮮半島の分断体制を日常的に意識しないで済んでいる日本の私たちは、そうした彼我の距離ゆえに『愛の不時着』のようなドラマを通して、こうした不条理についてより冷静に考えることができるのではないでしょうか。なぜなら、このドラマはそのような厳しい現実を、温もりとユーモアをもって描くことによって、私たちに優しさと勇気を与えてくれるからです。
(「『愛の不時着』論」より抜粋)
魅力の秘密を探るために
著者は、『愛の不時着』の魅力がどこにあるのかを深く掘り下げるため、次のような構成を用いています。
まず、各話ごとに総括する大きなテーマを設定し、それを軸として考察を進めます。冒頭にあらすじを置くことによって、読者が物語と一緒に進んでいくよう導きます。さらに、本論とも言うべきクリティーク、つまり批評へとつながるのですが、その際、鍵となる台詞を3つ選び、その言葉をモチーフとして、いくつかの場面をみていくという手法を用います。そして、最後にコラムを設け、背景として役に立つ知識や文脈を示してくれるので、私たちは物語をより深く味わうことができるのです。
既にドラマを全部観ていた私ですが、なぜあれほど深く感動したのか、自分でもわからないところが数多くありました。観ることに集中するあまり、物語を分析する余裕などないからです。ところが、「『愛の不時着』論」を読み、『愛の不時着』のどこが一番、心に響いたのか、改めて考えることができました。
これからドラマを楽しむ方のために、ストーリーの展開や結末には触れないでおこうと思います。それでも、とりわけ私の心に残ったシーンを紹介しましょう。それは、村の女性たちに連れられて市場に出かけたヒロイン・セリが迷子になるシーンです。彼女は、最初のうち、村人を警戒し、仲よくしないようにしていたのですが、ようやく打ちとけ、一緒に市場に出かけるまでになったのです。
ところが、皆からはぐれてしまいます。不慣れな場所で、帰り道がわかりません。日が落ち、あたりが暗くなって市場に、ひとり取り残されたセリ。強がってはいても、心細くてたまりません。故郷の韓国にいるときから、彼女はひとりぼっちで生きていました。強がりもここまで、セリは今にも泣き出しそうになります。ところが、そこにジョンヒョクがセリを心配して、探しにやってきます。やっと手に入れた高価なアロマキャンドルを掲げて。
このシーンは胸キュンを通りこし、切なくて泣きそうになります。夕闇迫るなか、背の高いジョンヒョクが灯すキャンドルは、灯台のあかりのように、浮き上がって見えます。そして、道だけではなく、人生の迷子でもあったセリは、その灯火に導かれ、ジョンヒョクに歩みよるのです。
「『愛の不時着』論」のコラムにも、このシーンが取り上げられています。
暗い中、人びとが商品を求めて忙しく行きかい、喧噪の溢れる市場の中で、ロウソクに照らされて、二人のいる空間だけが明るく静謐に浮かび上がる—互いの安否を気遣うという愛情の基本が原初的な形で示される名場面だ
(『愛の不時着』論より抜粋)
まさにその通り。ドラマの中でも名場面中の名場面だと言えましょう。物語の前半部分は、このアロマキャンドルのシーンに向かって、まっしぐらに進んでいたと、私は信じています。
もちろん、現実の世界は過酷だとわかっています。とりわけ、朝鮮半島の問題は大変難しく、これからどうなるのか誰にもわかりません。わかり合いたいとどんなに願っても、思うようにことは運ばず分断化した状態のまま膠着しています。
それほど深刻ではないとしても、私たちの平凡な毎日でも、似たようなことは起こっています。理解し合っていると信じていた人に、突如、思ってもみなかった叱責を受けたり、知らないうちに恨みをかっていたと知らされたり、挙げ句の果てに、まるでたかられるような物言いをされたりと、情けない思いに唇を噛む人は多いことでしょう。そんなとき、私は憂鬱の底に沈んでしまいます。そして、もう誰とも会いたくない、自分をわかって欲しいと願うことにも疲れたと感じ、殻の中に閉じこもりたくなります。
反対に、自分も誰かを知らないうちに傷つけているのではないかと、こわくてたまらなくなったりします。もとより完璧な人間などいないのです。まして、欠点の多い私など、ひっそりと誰にも会わずに、迷惑をかけないように暮らしたい。他人のためにも、自分のためにも……。そうすれば、今よりもはるかにストレスの少ない穏やかな毎日を送ることができるでしょう。
けれども、それではあまりに寂しいと考え直します。もちろん、相手が私を嫌い、離れていった場合はそれを受け入れようと思います。けれども、傷つけられるのをおそれてばかりでは、他者への分断を自ら生み出すことになります。だから、私に向かってロウソクを掲げて救おうとした人には、疑うことなく手を振ってこたえたい。「『愛の不時着』論」を読んでから、そう思うようになりました。平凡な毎日を送っていても、財閥の娘でなくても、人はいつも不時着する場所を探しているものです。
「『愛の不時着』論」の巻末には、「朝鮮半島の歴史と文化と人びとを、より知るために—書籍・映画リスト、それに私が選んだ韓流ドラマ」として、作品リストが掲載されており、私たちを新しい韓流文化へ誘います。ますます睡眠不足になりそうではありますが、韓流ドラマへの招待状として、受け止めてみてはいかがでしょう。
【書籍紹介】
『愛の不時着』論
著者:本橋哲也
発行:ナカニシヤ出版
あらゆる分断を乗り越えて、「会いたい」と願い続ける人びとへーー朝鮮半島の二つの国家を舞台にした「史上最高」の韓流ドラマの魅力を、心に響く数々のセリフと、ピアノ、ロウソク、腕時計といったモチーフから浮き彫りにする。巻末には朝鮮半島の歴史と文化と人びとをより知るための書籍・映画・ドラマリストを収録。