本・書籍
2022/4/28 6:15

絶望を乗り越え、前を向いてともに進む——『東大教授、若年性アルツハイマー病になる』

厚生労働省の発表によると、認知症を患う人の数は、2025年には700万人を超えるといいます。つまり、65歳以上の高齢者の5人に1人が認知症になるのですから、事態は深刻です。さらに、アルツハイマー病はその原因もいまだはっきりしない病です。誰もが罹る可能性があり、自分は関係ないと傍観しているわけにはいきません。若年性の場合、働き盛りの人がかかるため、社会的な損失も大きなものとなります。

 

東大教授が、若年性アルツハイマー病になったとき

東大教授、若年性アルツハイマー病になる』(若井克子・著/講談社・刊)は、東大教授として忙しい日々を送っていた若井晋先生が、五十代の若さで若年性アルツハイマー病におかされたことに気づき、悩み、いかにそれを受け入れたかについて書かれた本です。著者は、先生に寄り添い、看護を続けた奥様の若井克子さんです。

 

アルツハイマー病は、最初のころは、本人も気づかないことが多く、それがよけいに家族を悩ませます。自身の行動が変調をきたしていることに、なかなか気づきにくいのです。それでも、どこかおかしいと不安には思うので、イライラしたり、家族に当たり散らしたりもします。けれども、若井先生の場合は、ご自分が若年性アルツハイマー病にかかっているとわかっていました。脳神経外科を専門とする医師なので、人一倍、脳機能に詳しかったのです。そのため、自分の変化を見逃さなかったのでしょうが、これほど残酷なことはありません。他人は気がつかなくても、自分だけが自らの異常を認識して、苦しまなければならないのですから。

 

『東大教授、若年性アルツハイマーになる』には、そんな先生を見つめ、支え続けた奥様の日々が綴られています。先生ご自身が書かれた実際の日記も掲載されていて、読む者の胸を打ちます。それは、2001年6月9日、まだ奥様でさえ気づいていないころのことでした。深夜に一人で書いたという日記には、どこか頼りない文字で、先生の不安が記されています。

 

漢字を相当忘れるようになったため日記をつけることにする。単純な漢字がすぐに出てこない

(『東大教授、若年性アルツハイマー病になる』より抜粋)

 

このとき、先生はまだ54歳……。まだこれからという時に、信じられない事態が発生していたことになります。漢字を忘れるようになったと訴える先生に奥様は「私だってそうだよ。老化現象だから仕方がないんじゃない?」と、答えたのだそうです。先生はその言葉に救いを感じたのでしょう。「近頃はみんな、パソコンを使って文章を書くから、漢字が書けない人はごまんといるそうだよ」と、ご自分を慰めるようにつぶやきました。

 

けれども、先生は人知れず苦しみ、脳のMRI画像を撮るなど、医師としての確認を怠りません。さらに、漢字の練習をしなければいけないと思ったのでしょう。ノートに「振」「刺激」「改善」などの文字を何度も繰り返し書いています。けれども、文字には誤字がまざり、達筆だったころの面影はありません。そのページを読んだとき、私は歯をかみしめ、泣くのをこらえました。今は亡き母のことを思い出したからです。

 

私の実家の母も、若年性のアルツハイマー病に罹りました。診断を受けたとき、余命はだいたい7年だと言われましたが、その言葉のとおり、57歳で発病し、64歳で亡くなりました。遺品を片付けていたとき、私は母が漢字の練習をしたノートを見つけました。母はペン習字の先生でしたが、字は乱れ、間違えた漢字が並んでいました。おそらく、漢字を忘れていく自分を受け入れることはできなかったのでしょう。何度も何度も、同じ文字が書かれていました。

若年性アルツハイマー病は怖い病気か?

若年性のアルツハイマー病が、患者本人はもちろんのこと、家族をどれほど絶望に陥れるのか、私は身をもって知ってしまいました。母が亡くなってから26年も経つというのに、私はまだ立ち直れないままです。アルハイマー病について書かれた本を読んだり、映画を観たりするのもつらくてできませんでした。

 

ところが、『東大教授、若年性アルツハイマー病になる』は、手にとってすぐに読み始めました。表紙の『東大教授、若年性アルツハイマー病になる』のタイトルは、ショッキングですが、傍らに掲載された先生ご夫妻の写真が希望に満ちたもので、いまだに傷ついたままでいる私の心を癒やしてくれたからです。写真を撮影したとき、先生は既に発病し、苦しみのさなかであったはずなのに、お二人の立ち姿は、「大丈夫だよ。そりゃあ、大変なこともあるけれど、幸福だよ」という言葉を投げかけてくれたような気がしました。

 

彼は若年性アルツハイマー病になって、知識を、地位を、職を失った。世間からは「天国から地獄に落ちた」ように見えるのかもしれない。だが私には、むしろ、すべて失ったことで「あるがまま」を得て、信仰の、人生の本質に触れたように感じられるのだ」

(『東大教授、若年性アルツハイマー病になる』より抜粋)

 

私はなかなかこういう境地には達することができません。けれども、著者は、夫に徹底的に寄り添い、その希望をかなえるべく、様々な試みをしています。診断を受けた後、東大の宿舎を離れ、沖縄に引っ越したのも英断です。過去にしがみつくことなく、失ってしまった居場所を求めての行動したのですから。もちろん、沖縄に行ったからと言って、病気の進行を食い止めることはできません。けれども、あたたかな人間関係を築きながら、穏やかな日々を手に入れることができました。

 

困難は続くものの

少し生活が落ち着いたと胸をなでおろしたころ、夫婦で交通事故にあうなど困難は続きます。それでも、お子さんたちや周囲の方に支えられながら、そのとき、できることを精一杯しながら、夫婦の闘病は続きます。

 

診断から2年後、若井先生は日本キリスト者医科連盟の総会にあわせて、日本側の国際交流委員長になって欲しいと頼まれます。若年性アルツハイマー病であることを公表し、皆に承認されての就任となりました。委員長としての初仕事は、挨拶文を書くことでした。その時は、既に、読むことも書くことも難しくなっていたので、夫婦で考えながら発表することになりました。その挨拶文は、読む者の胸を打ちます。

 

これまで私は、たえず後ろを振り向くことなく走ってきた。しかし、アルツハイマー病と診断されて、これまでのように何でもできると思っていたことができなくなり、自分のありようが白日のもとにさらされた。そして、これまでの自分の信仰が、根源的に問われることになった。

『東大教授、若年性アルツハイマー病になる』より抜粋

 

なぜ自分はこんなことになったのかと、絶望する日々もあったでしょう。けれども、なんとかして、前進しようとする生き方に頭が下がります。

 

それから、13年後、2021年2月10日、若井先生は誤嚥性肺炎のため、亡くなりました。コロナ禍のさなかでの緊急入院で、お見舞いも許されない状態でした。奥様は家族で看取りたいと願い、退院を決断します。そして、その望み通りにお子さんたちの見守るなか、先生は静かに息を引き取りました。享年75。穏やかな最期だったといいます。

 

『東大教授、若年性アルツハイマー病になる』を読んだ後も、アルツハイマー病に苦しんだ母の記憶が薄れることはありません。けれども、おそれてばかりいないで、私なりに今を大切に前進しようと思うようになりました。寝たきりになった母も、外側からはわからなくても、必死に生きようとしていたに違いありません。やっとそう思えるようになったのです。それは私にとって、大きな救いとなりました。

 

【書籍紹介】

東大教授、若年性アルツハイマーになる

著者:若井克子
発行:講談社

無教会派クリスチャンの医師にして、世界を股にかけた「国際地域保健学」の専門家。5つの言語を学び、学会誌の編集委員を務め、最高学府の教授でもあった夫・若井晋。地位を、知識を、そして言葉を失うとき、彼は、そして家族はどうなるのか。最期まで歩みを共にした妻が、ありのままを描き出す!

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