こんにちは、書評家の卯月 鮎です。室町時代なら能、江戸時代なら歌舞伎といった具合に各時代を代表する文化が歴史の教科書に載っていますよね。あと100~200年後には昭和の文化として「アイドル」も掲載されることでしょう。そのとき、必ずや名前が挙がるのは松田聖子さん。未来の受験生は、観阿弥・世阿弥とともにその名前を暗記することになるかもしれません。
私は芸能人にそれほど詳しくありませんが、「聖子ちゃん」がある意味でアイドルの定義を確立し、のちの芸能文化にも大きな影響を与えたのは確かです。アイドルスターの誕生とは、ひとりの生身の女性が偶像として女神化、ミューズ化する、そういった不思議な現象でもあります。
“松田聖子”の仕掛け人がその誕生を語る
今回紹介する新書『松田聖子の誕生』(若松宗雄・著/新潮新書)は、いかにして「松田聖子」が出来上がったかを振り返った一冊。外側から芸能人を論評する本は多いですが、仕掛け人がその軌跡を語るというのは非常に貴重。
著者の若松 宗雄さんは、CBS・ソニーに在籍当時、松田聖子さんを発掘したプロデューサー。1980年代後期までのシングルとアルバムをすべてプロデュースし、その後ソニー・ミュージックアーティスツ社長、会長を経て、現在は芸能プロダクション「エスプロレコーズ」代表。今回が初の著書となります。
半年以上もかけて親御さんを説得!?
福岡県の高校2年生・蒲池法子さんが、日本屈指のアイドルスターとなるきっかけは両親に内緒で参加したオーディションのテープ。その歌声を聞いて、「全身全霊にショックを受けた」「聴いているだけで胸が高鳴り、どこか楽しい場所へと出かけてみたくなる」と運命の出会いを確信した若松さん。
第1章「父親の許しをもらうまで」では、若松さんが法子さんの父から芸能界デビューの許可をもらうまでの苦難の道が克明に語られます。国家公務員だったお父さんは娘をかわいがりつつも厳格に育ててきました。「許すつもりは一切ありません」という頑なな態度は直談判しても変わらず。今のように携帯やメールもない時代、連絡を取るのも一苦労。若松さんが初めてテープの歌声を聴いてからお父さんをどうにか説得した1979年1月まで半年以上かかったそうです。
『三国志』の三顧の礼ではないですが、まさに伝説の始まり、そんな空気をヒシヒシと感じる第1章です。
そして、第3章「難航するプロダクション探し」もドラマチックでした。どうにか実家の許しをもらうも、若松さんは有名プロダクション2社に立て続けに「ああいう子は売れないんだよ」と断られてしまいます。それでも彼女の可能性を疑わなかった若松さん。次に取った行動は……!?
芸能界でデビューし、成功するには多くの人々が関わっていることがわかる本書。当然ながら本人の資質とやる気・努力も欠かせません。若松さんに送られてきた聖子さんからの6通の真摯な手紙、本人が工夫したという聖子ちゃんカットの裏側、ブレイクのきっかけとなった『青い珊瑚礁』の誕生秘話など、驚きのエピソードも満載。
九州の女子高生がカリスマ・松田聖子さんに変貌していく魔法とはなんだったのか。時系列を詳細に綴った記録としての価値はもちろん、当時の状況や社会背景を踏まえて分析している箇所も多く、スター論、アイドル論としても読み応えがあります。「松田聖子」という存在に対しての深い愛を込めた手紙とも取れます。
松田聖子さんの数々のヒット曲を聞きながら、あの頃の扉を開ける。甘い記憶の奥にある秘密を覗いてみませんか?
【書籍紹介】
松田聖子の誕生
著:若松宗雄
発行:新潮社
「すごい声を見つけてしまった」。一本のカセットテープから流れる歌声が、松田聖子の始まりだった。芸能界入りに強く反対する父親、難航するプロダクション探しと決まらないデビューなど、相次ぐハードルを独特の魅力を武器に鮮やかにとび越えていく。地方オーディションに夢を託した、「他の誰にも似ていない」16歳の少女の存在がやがて社会現象になるまで、間近で支え続けた伝説のプロデューサーが初めて明かす。
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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。