テネシー・ウィリアムズという劇作家がいます。いきなりその名を聞いても、ぴんと来ないかもしれません。けれども、『熱いトタン屋根の猫』や『欲望という名の電車』の作者と知れば、すぐに「あぁ、あの人ね」と、反応するのではないでしょうか。両作品はピューリッツアー賞を受賞し、映画化もされています。
アメリカを代表する作家として私たちの記憶に残る彼ですが、デビュー当時はなかなか世に出ることができず、苦渋の日々を送りました。そんな彼を一躍有名にしたのが、戯曲『ガラスの動物園』なのです。
テネシー・ウィリアムズ、その苦しみの人生
テネシー・ウィリアムズは、1911年、ミシシッピ州のコロンバスで生まれました。元々は名家として知られていたウィリアムズ家でしたが、やがて没落し、彼の代には貧乏にあえぎながら暮らすようになっていました。父は靴のセールスマンとして旅から旅への生活を続け、ほとんど家に帰ってきませんでした。それでも、彼の子ども時代は幸福でした。母の実家で母や姉と仲よく暮らしていたからです。ところが、1918年、父が栄転し、大都会セント・ルイスで暮らすようになると、生活が激変します。
父は酒乱気味で、暴君であったため、気の強い母と夫婦げんかが絶えませんでした。穏やかな南部での暮らしに慣れていた彼にとって、中西部の大都会での生活は過酷なものでした。南部訛りをからかわれ、いじめられたことも、彼の上に重くのしかかります。
そして、さらなる不幸が彼を襲います。繊細な性格の姉・ローズが神経を病んでしまったのです。姉を深く愛していた著者にとって、それは耐えがたい出来事でした。大学も中退し、勤めもうまくいかず、地獄のような日々が続きます。そうした生活から何とか抜け出そうと思ったのでしょう。彼は劇作に励むようになります。
一方、姉の容態は悪化の一途をたどりました。父親に殺されるという被害妄想に取り憑かれ、ヒステリックな発作を起こすようになりました。困り果てた家族は、彼女にロボトミー手術を受けさせることに同意しました。術後、彼女は廃人同然となり、死ぬまで元の姿に戻ることはありませんでした。テネシー・ウィリアムズがひどく心をいためたのは言うまでもありません。劇作家として成功してから、彼は姉を最高級の施設に入所させ、死ぬまで面倒を看たといいます。それが彼にできる精一杯のことだったのでしょう。
『ガラスの動物園』には、彼が送った悲惨な家庭生活が反映されています。もちろん、そっくりそのまま描かれているわけではありません。劇作家としての手腕を発揮し、つらい毎日を戯曲に反映させることによって、追憶の物語として昇華させたのです。狭いアパートの一室で繰り広げられる息がつまるような場面の連続は、私たちに「家族とは何か?」「愛するとはどういうことか?」を問いかけてきます。愛し合いながら苦しめ合うその姿には、心をえぐられるような悲しさに満ちています。そして、それは決して過去の物語ではなく、現代の私たちが抱える問題でもあるのです。
『ガラスの動物園』
『ガラスの動物園』は、今まで、多くの場所で上演されてきました。映画化もされており、主演はジョン・マルコビッチがつとめました。是非、観たいと思ったのですが、DVD化されていません。けれども、本で堪能することはできますから、それはそれでいいのかもしれません。心の中で映像化する楽しみがあります。
登場人物が暮らす場所が的確に描かれているため、読み進むうちに、頭の中に『ガラスの動物園』が構築されていきます。私は子どものころから、戯曲を読むのが好きで、台詞で物語を進めて行く手法に惹かれてもいました。普通の小説にはない、独特の進行に酔うことができるからです。今回、久しぶりに戯曲を読み、その面白さを再認識する結果となりました。
物語は主人公であるトム・ウィングフィールドが暮らすアパートの描写から始まります。
ウィングフィールド家の借り部屋は、アパートの建物の裏側にある。この建物は、下層中産階級が密集する都会の中心地にイボのような群生する細胞状の生活単位の巨大な蜂の巣のような集塊の一つであり、それはまた、アメリカ社会における最大にして基本的には奴隷化されているこの階層の、無意識に動く混然一体となった集団として存在し機能したい、そしてそこからの流出や分化は避けたい、という衝動を特徴的にあらわすものでもある
(『ガラスの動物園』より抜粋)
建物を小さな部屋がびっしりと覆う様子が見事に表現されていて、息をのみます。生あたたかく、すえたにおいが漂ってきそうなアパートの一室で、主人公たちは感情と言葉をぶつけ合い、愛憎まじった生活を繰り広げます。
主な登場人物は、母のアマンダ、その娘のローラ、そして、劇の語り手であるトムの三人です。アマンダは子供どもたちを心配する母親ではありますが、どこかが破綻しています。ところが、彼女は自分がおかしいと気づくこともなく、ただ、過去の華やかな生活を懐かしみ、現在の苦境を周囲のせいにして暮らしています。
娘のローラは極端に内気です。恋をすることもできず、働きに行くこともできないまま、ただ、ガラス細工の人形を集めては、磨くだけの毎日を送っています。彼女は自分がどこか壊れていると自覚してはいるのですが、かといって、それを改めようとはしません。したくてもできないのです。そんな女二人に囲まれたトムは、ただイライラし、現状をなんとかしようともがくばかりです。倉庫で働きながら生活を支えてはいますが、できることなら逃げ出したいとそればかり思っています。
劇の後半、一人の人物が加わります。トムが招いた職場の同僚ジム・オコナーです。彼が表れたことにより、ストーリーは急展開を見せます。家族だけの濃密な空間に突然、放り込まれた「普通の人」ジム。しかし、ジムもガラスの動物園の世界に閉じこもるローラを現実の世に引き戻すことはできませんでした。残酷ではありますが、それがこの物語が示したい真実のひとつでしょう。
そして、もう一人、舞台には一度も登場しないのに、強い影響力を持つ人物がいます。家族を捨てて出奔してしまった父です。彼はマントルピースの上にかけられた写真の中にのみ存在しているのにもかかわらず、どの登場人物より雄弁です。それがこの『ガラスの動物園』の不思議な魅力であり、底なしの気味の悪さとなってもいます。
日本での初演が果たされますように
これまで私は、『ガラスの動物園』には、本の中でしか出会うことができないと思っていました。ところが、思いがけないニュースが飛び込んできました。この秋、日本の舞台で上演されることが決まったというのです。場所は新国立劇場、主演はフランスを代表する女優であるイザベル・ユペール、演出は世界中からの注目を集める新進気鋭の演出家イヴォ・ヴァン・ホーヴェだというのですから、ワクワクしないではいられません。きっと息をのむような舞台になるでしょう。
実は、舞台が実現するまでには、紆余曲折がありました。最初は、2020/2021シーズンの開幕作品として行われる予定だったといいます。ところが、コロナ禍により延期を余儀なくされました。さらに、21年秋に延期された公演も中止となりました。しかし、関係者の強い思いが実ったのでしょう。とうとう、2022年9月28日から、日本での初演が開幕することが決まったといいます。今度こそ、延期にならないようにと祈らないではいられません。それまでの日々、『ガラスの動物園』を読みふけりながら、過ごしてみてはいかがでしょう。これは、ある意味、とてつもない『三密』の物語ですから、現在、私たちが置かれている状況に重ねながら読むことができると思います。
【書籍紹介】
ガラスの動物園
著者:テネシー・ウイリアムズ
発行:新潮社
不況時代のセント・ルイスの裏街を舞台に、生活に疲れ果てて、昔の夢を追い、はかない幸せを夢見る母親、脚が悪く、極度に内気な、婚期の遅れた姉、青年らしい夢とみじめな現実に追われて家出する文学青年の弟の3人が展開する抒情的な追憶の劇。作者の激しいヒューマニズムが全編に脈うつ名編で、この戯曲によって、ウイリアムズは、戦後アメリカ劇壇第一の有望な新人と認められた。