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2022/8/18 21:30

佐々木朗希の完全試合がどうして「史上最年少」とわかるのか?−−「記録の神様」山内以九士と野球の青春

山内以九士(やまのうちいくじ)という名前を聞いたことがありますか? 日本の野球公式記録員としてプロ野球の規則や記録を整理し、徹底的に研究した人です。

 

野球公式記録員は、試合を観戦し、そこで起きたことを一つ残らず記録し、保存します。プロ野球というエンターテインメントを数字として可視化する人と言ってもいいでしょう。華やかなプロ野球界に身を置きながら、スポット・ライトを浴びることもありません。いわば縁の下の力持ち。山内自身も黒子に徹し、生涯を通じてただひたすら記録をつける姿勢を貫きました。

 

 

記録の神様、山内以九士

「記録の神様」山内以九士と野球の青春』(室 靖治・著/道和書院・刊)は、そんな彼のめざましい働きぶりと、ちょっと風変わりな人生を描いたものです。著者の室 靖治は、読売新聞社に勤務し、いくつかの部署で働いた後、現在はデジタル編集部に所属しています。正確で綿密な記述は、新聞社で培ったものだと、私は想像していました。けれども、著者が山内以九治の孫にあたると知り、丁寧に物事に対処し、細かな記述をするその態度は、祖父譲りのものかもしれないと思うようになりました。

 

山内以九士は自分を黒子のままにしておきたかったようです。野球殿堂入りを打診されても、それを受けようとはしませんでした。それでも、野球界としては、彼の功績をたたえないではいられなかったのでしょう。結局、1985年に殿堂入りを果たしました。彼の死から13年後のことでした。

 

もし、彼の働きがなかったら、私たちの野球観戦は随分と味気ないものになってしまったことでしょう。たとえば、今年の4月、千葉ロッテマリーンズの佐々木朗投手が、日本プロ野球記録となる13者連続奪三振、プロ野球タイ記録の1試合19奪三振、そして、日本プロ野球史上最年少の完全試合を達成しました。私たちは「令和の怪物」と呼ばれる彼の新記録に酔いましたが、それを知ることができたのも、野球公式記録員たちが、試合の詳細を記録し続けてきたからこそです。

 

千葉ロッテの佐々木朗希投手が二〇歳五か月で完全試合を達成した時、「史上最年少」と言い切ることができたのは、プロ野球が始まった一九三六年以降に行われた試合の一球、一球が全てクリアになっているからである。

(『「記録の神様」山内以九士と野球の青春』より抜粋)

 

もし、はっきりとした記録が残っていなかったら、大記録が達成される場面に自分が遭遇していることに気づかないままでいたかもしれません。一生をかけて記録し続けた山内以九士がいたからこそ、私たちはその試合を記録がかかった場面と把握し、自分が今、歴史の変換点にいる興奮を味わうことができるのです。

 

商売が嫌いな7代目

野球公式記録員として私たちの心に刻印される山内以九士ですが、最初から山内以九士であったわけではありません。山内以九士の名はペンネームであり、本名は山内育二といいます。加えて、後に家業を継ぐため、祖父の名前を相続し、山内佐助となりました。そう、彼は3つの名前を持つ男だったのです。

 

山内以九士が山内以九士となるのは、1942年、野球の雑誌で公式記録員として紹介された時からです。つまり、おぎゃあと生まれたその時は、山内以九士は山内以九士ではなく、「山内佐助商店」の跡取りである山内育二でした。実家は大きな呉服屋を営んでおり、「目抜き通りから宍道湖まで、山内家の土地だけを通っていくことができた」と、いうほど隆盛をきわめていました。

 

恵まれた環境のなかで、彼は育ちます。後に子ども時代を振り返り、「わがまま、いっぱいで育ったんだよ」と、語ったといいます。自ら認める坊ちゃん育ち特有のおおらかさで人を魅了しながらも、一方で、傍若無人でわがままなところもあり、生涯を通じて、周囲を翻弄しました。

 

彼は商家に生まれながら、商売には向かない性格でした。商いの駆け引きも不得意で、人間を信用しない面がありました。ただし、幼いころから、数字への関心は高かったといいます。

 

幼少期、店に置かれた帳簿やバランスシートを眺めては、帳簿上の誤りを見つけるのを得意とした。

(『「記録の神様」山内以九士と野球の青春』より抜粋)

 

後に、敏腕の野球公式記録員となるのも、数字への愛着が人より強かったからかもしれません。「数字は人をだまさない」が彼の口癖だったといいます。ここに記録を信じても、人間を信じられない彼の寂しさを感じるのは私だけでしょうか。

 

そんな彼が本名・育二から7代目佐助となったのは、1936年、36歳のときでした。6代目である父が亡くなり、跡取りとして山内商店を継ぐことになったからです。しかし、既に野球の世界にどっぷりとつかっていた彼は、商売を妻の長(ます)にまかせきりにして、ひたすら記録の仕事に打ち込みます。それも、商売を放り出し、東京にある妹の家に下宿するという徹底ぶりです。一方、松江に残された長は、夫の代わりとなって、懸命に商売に励みました。しかし、女手には無理だったのでしょうか。いくつかの不運も重なり、結局、1957年、市税を滞納したとして、差し押さえにあうところまで追いつめられてしまいます。とうとう山内商店は破産し、松江にあった生家も失いました。

 

その知らせを山内以九士として聞いた彼が、何を思っていたのか、はっきりとはわかりません。とうとう山内佐助になることができなかったと感じ、悔しかったかもしれません。ただ、それまで東京と松江で離ればなれに住んでいた夫婦は、20年にわたる別居を終え、一緒に暮らすことができるようになりました。それはそれで、幸福な毎日の始まりだったのかもしれません。

 

レコナーの誕生

商いや家族を犠牲にして、 山内以九士は仕事に打ち込みました。プロ野球創成期の試合のスコアカードを1試合、1試合、点検していくその姿は、度を越したものでした。仕事熱心というには、あまりにも執着が強く、狂気に近いこだわりを感じさせます。けれども、そのおかげで、私たちは、プロ野球が始まってから行われた試合のすべてを把握することができます。徹底的に仕事をするとき、人は周囲から変人の烙印をおされてしまうこともあるのでしょう。

 

山内以九士の功績は大きなものですが、なかでも『ベースボール・レディ・レコナー』を作成したことには、目をみはります。ベースボール・レディ・レコナー、略して「レコナー」は、打率成績早見表のことです。5000試合ともいわれるスコアカードを1試合ずつ丹念に点検し、清書するという気の遠くなる作業を経て、ようやく完成するものです。「三六二ページに打率用四桁の数字だけで十五万八千五百個の数字がびっしり並んでいる」というのですから、驚きです。それも、まだパソコンのない時代に手作業で行ったのです。唖然としないではいられません。彼は他にもヤマウチ式スコアーブックを作ったり、子ども向けに野球のこぼれ話を披露したり、様々な業績を残しますが、レコナーを作ったことが、最大の功績だと言えるでしょう。

 

著者も同じ事を思ったのでしょう。『「記録の神様」山内以九士と野球の青春』の表紙には、使われてボロボロになった『ベース・ボール・レコナー』と山内のサインが添えられた写真が使われています。70万の数字が並ぶ初版本です。本を読む前、私は表紙をただ眺めただけでした。けれども、読後、思わず表紙に指先にそっと指先をあててしまいました。商売も家庭も犠牲にして打ち込んだレコナーに、彼の魂が宿っているような気がしたからです。ヤンキースと共に来日したアメリカのメジャーリーグの関係者も、レコナーを見て驚愕し、数十冊を買って帰国したといいます。野球の本家アメリカをも驚かせる本だったのです。

 

彼は体調が優れなくなってからも、仕事を続けていました。そして、70歳のとき、心不全のため、自宅で息を引き取りました。最後の言葉は、妻に語りかけた「巨人が勝ってつまらんから、ラジオを切ってくれ」だったといいます。

 

最後の最後まで、野球にどっぷりと浸かり、「山内以九士」として生きぬいた彼の一生を知ることができ、私は今、幸せだと感じています。そして、変人と思われようとも、自分の仕事を徹底的にやりぬいた山内以九士に深い尊敬の念を覚えないではいられません。

 

彼は山内育児でも、佐助でもなく、山内以九士として生きることを自分で選択した人だったのでしょう。

 

【書籍紹介】

「記録の神様」山内以九士と野球の青春

著者:室靖治
発行:道和書院

奇人・変人・記録の虫、野球記録に生涯を賭けた男。

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