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2022/8/31 21:30

報道記者から落語家へ−−林家竹丸のバンジージャンプな人生とは『おもっしょい日常』

1995年1月17日、私は神戸の自宅で「阪神・淡路大震災」に遭遇しました。震度7を記録した都市直下型の地震で、それはもうものすごい揺れでした。地震ではなく、何かが爆発したのかと思ったほどです。あれから、27年。歳月を経た今も、その時の記憶はしぶとく残り続け、ふとしたことで、私をゆさぶります。

 

NHK記者から落語家へ転身

私は運のいい被災者だったはずです。家族にけが人が出たわけではなく、マンションも一部損壊ですみました。自分では、いいかげんに忘れなくてはと思うのですが、うまくいきません。ふとした瞬間に、亡くなった方の顔を思い浮かべてしまうのです。

 

地震に遭ってから人生が変わった人をたくさん見てきました。家族を亡くした悲しみを抱えたまま生きる人、何とかして忘れようともがく人、それぞれがそれぞれの選択をしながら生きていくしかありません。それが生き残った者の宿命でしょう。

 

地震を契機として、新しい人生に踏み出した人もいます。この『おもっしょい日常』(浪速社・刊)の著者、落語家の林家竹丸もその一人です。彼は大学を卒業した後、NHKに入り、報道の記者として活躍していました。最初に赴任したのは徳島放送局。5年間、特ダネを追いかけて走り回る生活を送っていたといいます。大学時代は「落語研究会」に属しており、落語が大好きでしたが、落語家になろうとは思っていませんでした。食べていくのが大変な世界であることをよく理解していたからです。

 

そんな彼に転機が訪れます。徳島放送局から大阪へ移動し、寄席や演芸場に足繁く通うようになったことをきっかけに、自分が本当に落語が好きだと気づいたのです。そして、落語家への道を模索し始めます。もちろん、簡単ではないとわかっていました。食べていかなければなりませんし、両親を泣かせることにもなるでしょう。

 

「どうしたらいいのだろう」と、思い悩んではいたものの、なかなか決心がつかないでいました。そんなある日、突如として、阪神・淡路大震災が起こりました。被災地に取材に行った彼の目の前に、一夜にして変わってしまった神戸の町が広がっていました。あんまりだと思うような惨状でした。しかし、どんなにつらくても、NHKの記者として働かなければなりません。必死で被災地を飛び回っているうち、自分は落語家に転身したいという願いをあきらめることはできないと悟ります。

 

「人間いつ死ぬかわからん。人生一回きり。やってみよう」。神戸の被災地を取材しながら、落語家になる決意を固めたのでございます。まあ、それだけ落語が好きやったということです」

(『おもっしょい日常』より抜粋)

 

彼はその決心を実行に移します。そして、地震に遭遇した年の夏には早くも林家染丸師匠の門を叩き、弟子入りを志願します。林家竹丸、30歳の誕生日のことでした。

 

『おもっしょい日常』が生まれた理由

そんな林家竹丸が著した『おもっしょい日常』は、なかなかに興味深い本です。まず、全体が二部構成になっているところに注目したいと思います。

 

前半部分は、林家竹丸が朝日新聞の徳島地域版に月に2回、連載したコラムを集めたものです。題して「林家竹丸の今日もおもっしょいんぞ」。「おもっしょい」は徳島の方言、阿波弁で「おもしろい」のことだそうです。第二の故郷と呼ぶべき徳島への愛が丁寧に綴られています。

 

後半は産経新聞の夕刊(大阪本社版)に毎週、連載したコラムをまとめたものです。こちらのタイトルは、「あっちゃこっちゃケーザイ噺」。経済の話をなるべくわかりやすく、多方面からの光を当てて書いたコラムです。

 

これらのコラムを連載したとき、林家竹丸は落語家になって既に7年がたっていました。まだ修行中でしたが、そこは元NHKの記者、読み手に語りかけるように、面白い話題を次々に提供していきます。

 

こうして、2002年から2009年まで書かれたコラムが集められた結果、落語家に転身した林家竹丸の若き日々が、二重構造で示されることになりました。それはそのまま、一人前の落語家となるべく奮闘している著者に重なっていきます。そのためでしょう。私はこの『おもっしょい日常』を『林家竹丸のちょっと遅れてきた青春記』として読みました。

 

さらに、コラムの連載から20年近く経った今になって、一冊の本にまとめられたことにも驚かないではいられません。連載から歳月を経て出版されたのにもかかわらず、内容はフレッシュで、今を感じさせるものになっています。それは、コラムの文末に、新しく現在のエピソードが書き加えられているからでしょう。おかげで、若いころの竹丸と今の竹丸が呼応し合い、二重構造が三重構造になるという不思議さを醸し出しています。

 

『おもっしょい日常』が生まれたのは、新型コロナウイルスの感染拡大がきっかけになったといいます。連載したコラムを集めて出版しようと思いながらも、落語家としての毎日は何かと忙しく、編み直す時間の余裕がありませんでした。ところが、突然、見舞われたコロナ禍によって、著者は、数か月間、失業状態に陥ってしまいます。落語の公演がお休みになってしまったからです。そこで、散逸したり紛失したりしていた原稿を集め、編纂しなおして、『おもっしょい日常』が生まれたのです。

 

林家竹丸が落語家になったのは、「阪神・淡路大震災」がきっかけとなったことは既にお話ししたとおりです。今回、落語家である竹丸を作家にしたのは、「コロナ禍」ということになります。彼は人生を襲う厄災を克服し、前進するしぶとさを持った人なのかもしれません。

 

「おもっしょい話」だらけ

たくさんのコラムの中から、面白いものをいくつか紹介してみます。まずは「落語的失敗 ネタになりそうな新人時代」のコラム。

 

林家竹丸がまだNHKの新人記者だったころの話です。着任早々、交通事故の現場に駆けつけることになりました。大急ぎで放送機材を積み、車に乗り込む……と、ここまでは良かったのですが、カメラマンを乗せるのを忘れていました。上司に叱られたのは言うまでもありません。

 

さらにもうひとつ。あるとき、彼は住宅が全焼した火事の原稿を書いていました。当時、記事は手書きでした。一刻も早く、アナウンサーに原稿を渡さなくてはと焦った彼は、あろうことか、天井の「井」の字の真ん中に点を打ってしまったのです。さらに、失敗は続き、新人のアナウンサーが、「火事に気づいたとき、すでに、天丼にまで燃え広がって」と、読んでしまったというのです。

 

彼は落語家になる前から落語みたいな日々を送っていたのですね。

 

『おもっしょい日常』は全編を通じて、こうした笑いに満ちています。とくに「今だから言える」エピソードは、生真面目な顔をした林家竹丸にも、そんな面があったのかと、新しい発見をしたような気持ちになりました。NHKで働いていたころから、彼は充分に面白い人だったことが、よくわかります。

 

一方で、落語の未来について、鋭い意見を持っています。上方落語の定席である「天満天神繁昌亭」については、かつて記者であったことを彷彿とさせる顔を見せています。平成18年に開業以来、繁昌亭は快進撃を続けてきました。ほとんどの公演が満員でした。NHKドラマ「ちりとてちん」のヒットもあり、快進撃を続けていたのですが……。

 

ところが、人間は飽きっぽい生きものです。ブームが去るや、急に客足が遠のいていきました。さらに、突如、襲ったコロナ禍。繁昌亭も2020年4月から3か月間、休業を余儀なくされ、ますます窮地に陥ります。そのあたりの事情を、著者は一人の悩める落語家として、元記者らしい筆致で訴えています。

 

上方落語の本拠地、天満天神繁昌亭が正念場を迎えています。(中略)開業のご祝儀相場が終わり、舞台で提供する落語そのものの商品力、落語家の企画力が真に問われる段階になった。演じ手の一人として、そう感じます

(『おもっしょい日常』より抜粋)

 

とぼけた雰囲気に身を包みながら、時に見せるきりっとした横顔と鋭い目線、これが林家竹丸の真の姿です。安定した収入を捨てでも、人生は一度しかないと、思い切った決断を敢行する激しさ、それが林家竹丸を林家竹丸たらしめているのでしょう。天井を天丼と書き間違えようとも、そこは間違いがないのです。

 

NHK記者から落語家へ「転職」した彼の目は、私など考えつかない未来を見据えているのでしょう。コロナ禍のもと、自分はこれからどう生きていくべきか悩んでいる人、転職したいと思いながらも、次の一歩が踏み出せずにすくんでしまっている人には、とくにこの『おもっしょい日常』をお勧めします。決して甘くはない未来を見据えつつ、正念場をいかにして乗り越えるべきか教えてくれるに違いないからです。

 

【書籍紹介】

おもっしょい日常

著者:林家竹丸
発行:浪速社

報道記者から落語家に転身!“人生のバンジージャンプ”のゆくえは? 新聞連載の人気エッセイ、コラム150編を収録! 多彩なテーマで綴った世相あれこれ。これぞ「噺のるつぼ」!

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