本・書籍
自己啓発
2023/3/3 21:30

踏み出せば、その一足が道となる−−惑う人生の指針となる『道なき未知』

道なき未知』(森博嗣・著/ベストセラーズ・刊)を手に取ったのは、ブックデザインが素敵だったからだ。五色の絵の具がパレットに均等に広げられているような表紙にまず惹きつけられた。さらに、五つの色が中心で混じり合って曖昧模糊となっており、何かの入り口のように見え、誘われるように本を開くと、「道」と「未知」という二つの言葉に胸をつかまれた。

 

未知の「道」を見ると、前進したくなる

理由はよくわからないのだが、私は「道」を前にすると不安定になる。知らない道があると、まずは「行きたい、この道を進みたい」と願うが、同時に思う。「やめておこう、今度、誰かと一緒に来たときにしよう。一人じゃこわいし」と。それなのに、気づいたときには既に歩き出しており、止まることなく、ぐんぐんずんずん進んでしまう。ただし、横道には入らない。本当は入りたいのだが、道に迷うと困るので、右折も左折もせずに直進し、適当なところで突如、ユーターンして帰ってくる。そのくり返しだ。

 

知らない道を歩き終え、元いた場所まで戻ってくると、気分が高揚し、叫び出したくなる。さすがに行動には移さないが、「どんなところだろう」と思って歩き出した道の上に何があるのかをもう知っていることが嬉しくてたまらない。それでいながら、悲しく、寂しい気持ちも押し寄せてくる。知らないままで置いておくべきだったのではないか。いや、やはり謎を解き明かしたかったのだから、これでいいのだろうかと、一人煩悶する。そして、そんな自分をわけがわからないヤツだと気味悪く思う。

 

60半ばを越えた今も、私はどこに続くのかわからない道を前に「行ってみよう」と、反射的に思う。実行に移すときもあるし、やめておくときもある。何かを見たいわけではない。どこかに到達したいという気持ちもない。ただ、先にあるはずの何かを知りたいだけなのだ。しかし、こんな性癖は周囲にとっては迷惑でしかない。だから、誰にも悟られないように気をつけてきた。私の友人は心優しい人が多く「ここ、行ってみたい」と言えば、きっと一緒に行ってくれるだろう。しかし、それは迷惑だとよくわかっている。どこに行くのかも知らず、どこでやめるのかわからない前進なんて、付き合わされるほうはたまったものではない。

 

10年ほど前、キリシタンの取材に九州に行ったときも、どうしても進んでみたい道に遭遇した。一人だったこともあり、遠慮することなく、前進につぐ前進を試みた。携帯の電波を示すマークが途中で消え、蛇がでそうな山道を一人でただひたすらに前進するのは危ないとわかっていた。わかっていながら、やめることができなかった。道中、二、三度、「私はおかしいのだろうか」と、自分に問い、そして、多分、そうだという結論に達しながらも、道がなくなるところまで突き進み、無事に帰ってきた。

 

私はそういう自分が嫌いだ。どこかおかしいとわかっている。これまで自分を矯正しようと努力してきたつもりだ。普通のお母さんになりたいと願っていたし、良い奥さんになろうともした。これでも頑張っていたのだ。けれども、うまくいかず、時々ひどく落ち込む。そんな私にとって、この『道なき未知』は、救いの書となった。どこかおかしい自分ではあるが、「周囲に迷惑をかけずに生きていけるよ、もうこのままいくしかないよ」と、慰めてもらったような気がしたからだ。

 

森博嗣という作家

『道なき未知』の著者は、森博嗣。大学教授として建築を講じていたそうだ。ところが、40才のとき、突如、小説を書こうと思い立ったという。家族には不評だったが、出版社に送るととんとん拍子にデビューが決まり、『すべてがFになる』で第一回メフィスト賞を受賞した。その後も、順調に数々の作品を発表し、現在まで300冊以上の著書が出版されている売れっ子作家だ。しかし、その生活は謎に包まれており、どこに住んでいるのかさえ定かではない。わかっているのは、カーナビのディスプレイから消えてしまうような山奥にいて、庭に手作りの鉄道模型を走らせていることくらいだ。ほとんど人に会わず、そもそも日本国内に居住しているのかさえよくわからない。

 

隠遁生活を送る仙人のようだが、結婚もしており、お子さんもいるという。作家活動を経て暮らせるだけのお金も得たので、今は好きなことだけして生活しているという。すごい。こういう生活に憧れる人は多いだろう。

 

ときどき「恵まれていますね」と言われるけれど、誰かから恵んでもらったのではない。神様はいない。自分で自分に恵むしかないのである。宝くじに当たるよりは簡単だ

( 『道なき未知』より抜粋)

 

そうなのだ。「あなたは恵まれていますね」と、人は簡単に言う。それも非難をこめ、嫉妬深い視線を投げかけてくる。しかし、当人からしたら、そんなこと言われても答えようがない。その状態は自分で自分に恵んだものであって、他人にとやかく言われることではないはずだ。

 

私もたまに「恵まれてるよね」と言われる。確かに、私は恵まれている。食うには困らず、家族も元気だ。しかし、そう言われても返答のしようがないこともある。ましてや、そこに敵意を感じると、悲しくてたまらない。ところが、『道なき未知』を読んでいると、これが私に与えられた人生なのだから、恵まれていようが人には言えない不幸があろうが、この道をいくしかない、左折も右折もせずにぐんぐん進んでいこうと思えるのだ。

 

もちろん、著者は読者を励まそうと思って『道なき未知』を書いたわけではないだろう。書きたいことを書きたいように、しかし、それでいながら、読者の存在を強く意識しながら書いている。単なる独白に終わっていないところが、胸に響いてくる大きな理由だ。

 

最後にひとつ、私にとって、決定的な言葉となった一文を紹介したい。

 

道の先にあるものは未知だ。なにかがありそうな気がする。この予感が、人を心を温める。温かいことが、すなわち生きている証拠だ

(『道なき未知』より抜粋)

 

この言葉にぐっときた。少し出来損ないでも、このまま生きていこう、そう思わせる本、それが私にとっての『道なき未知』だ。もし、あなたが自分を見失いそうだと不安なら、この本を読んで欲しい。自分のキャンバスに画を描くのは自分しかないと気づくだろう。

 

【書籍紹介】

 

道なき未知

道の先にあるものは未知だ。なにかがありそうな気がする。この予感が、人を心を温める。温かいことが、すなわち生きている証拠だ。したがって、行き着くことよりも、今歩いている状態にこそ価値がある。知識を得たことに価値があるのではなく、知ろうとする運動が、その人の価値を作っている。たとえば、人生という道だって、行き着く先は「死」なのだ。死ぬことがこの道を歩く目的、価値ではないことくらい、きっと誰でもわかっているだろう。

著者:森博嗣
発行:ベストセラーズ

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