こんにちは、書評家の卯月鮎です。150回以上続いてきた本連載も今回で残念ながら最終回。1000円前後で未知の扉を開けてくれる良質な新書をピックアップしてきましたが、最後は実際に未知の扉を開けて、海外に飛び出した人たちのルポを紹介します。
私も大学卒業後、海外移住が頭をよぎりましたが、ふわっとした夢物語で終わりました。当時は治安はもちろん、経済的な面でも日本が世界のトップクラスに位置する時代。日本から出るのはかなりの覚悟が必要でした。しかし、現在は……。
なぜ彼らは海外で働くことを決めたのか?
今回紹介する新書は『ルポ 若者流出』(朝日新聞「わたしが日本を出た理由」取材班・著/朝日新書)。朝日新聞が2023年1月~8月にかけて掲載した「わたしが日本を出た理由」の本編、反響編、海外編に、新たに取材を加えて構成・加筆したものとなっています。
カナダの看護師の年収・待遇は?
企画のきっかけは、堀内京子記者がツイッター(現X)のタイムラインで、カナダで働く日本人看護師のツイートを見たこと。その後、SNSで検索すると、同じように海外で働く日本人がさまざまな発信をしていたそうです。日本で人手不足が叫ばれている保育士や看護師、教員といった職種の人たちが、なぜ海外で働くという話題で盛り上がっているのか?
働く場としての日本の魅力が薄れていることを感じたという堀内記者。確かに十数年前は海外移住というと物価の安さが主に取り上げられていましたが、ここ数年で賃金の高さ、待遇の良さがフォーカスされていますよね。
では、実際にどのような人々が日本を離れ、どう海外で働いているのでしょうか。本書ではなかなかじっくりと聞くことができない、日本を出ることを決意した人たちの本音が明かされています。
第1章「『日本では未来がつぶれてしまう』――働きづらい国からの脱出」に登場する一人目は、2016年にカナダへ小学校5年生の娘と渡った看護師のMikiさん。英会話を学び、オーストラリアの病院へ研修に行った際に、医師や看護師など職種での上下関係がないことが新鮮で、海外で働くという選択肢が頭に浮かんだとか。結局、小児看護では最先端の国であることも後押しとなり、カナダに決めたそうです。
日本では収入面が厳しく13年働いても年収500万円台。しかしカナダではカレッジで2年間学び看護師資格を取ったあと、就職4年目で早くも年収は約800万円に。採血、食事の配膳、患者を検査室へ連れて行くなど日本で看護師が担う仕事の多くは専門の職種があり、看護に集中できる環境が整っています。誰かが病欠したときのために待機している看護師もいて、気を使わずに休めるそうです。
読んでいて思うのは、カナダでは看護師が、専門性の高い職業としてはっきりと認識されていること。これは制度の違いなのか、それとも職業観の違いなのでしょうか……。
ほかにも、カナダで保育士と寿司職人になった元警察官と自衛官の夫婦、5歳の長女の教育のため大手通信会社を辞めてマレーシアへ移住した男性、日本の過酷な医療現場を目の当たりにしドイツの大学病院で働き始めた女性医師……。さまざまな理由で日本を飛び出した人々の生き方がそこにあります。
今の職場環境や日本社会そのものに閉塞感を抱いている読者にとって、この本は風穴を開け、ポジティブな気持ちにさせてくれる一冊。
もちろん、本書のようにうまくいく例ばかりではなく、海外でより厳しい現実を知るケースは多数あるはず。それでも、若者にとって賃金や将来性の面で日本が魅力を失いつつあることは否定できないでしょう。仕事とは? 幸せとは? 自己実現とは? 日本の良さとは? さまざまなことを考えるきっかけになるルポでした。
今回で新書紹介の連載は終わりです。本は人生を照らしてくれる灯り。またどこかでお会いしましょう。
【書籍紹介】
ルポ 若者流出
著者:朝日新聞「わたしが日本を出た理由」取材班
発行:朝日新聞出版
「少子化」「人手不足」に陥る日本から今、なぜ人々が出て行ってしまうのか——。海外に拠点を移し、外国の永住権をとった日本人は過去最高57万4千人。働き盛り世代でも子育て世代でも「若者流出」は着実に進む。賃金の安さ、過酷な職場環境、多様性を欠く社会、公教育の危機……海外に移住した人たちへのインタビューを重ねるなかで、浮き彫りになったのは、日本社会の「現在地」だった。
【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。