伝統×革新。様々な分野で用いられるパラドックス的な好要素だが、街中華なら浅草橋の「水新菜館」(みずしんさいかん)が最たる例だ。もともとは果物店として1897(明治30)年に創業。時代ごとに変化し、常に最高のおいしさを提供してきた老舗であり、いまも実に個性的。そんな名店の魅力を明らかにしていこう。
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ホテルに負けない味。名物の「あんかけ焼ソバ」
料理は、多い日ともなると100皿以上出る名物の「あんかけ焼ソバ」から紹介。いまでこそ看板メニューだが、10年ほど前まではラーメンタイプの「広東麺」(900円)が人気で、かつてカップ麺化されたこともある。
その後、ジワジワと「あんかけ焼ソバ」の評判が高まり、いまの地位に。レシピを変えるといった、特別なきっかけがあったわけではないそうだが「時代の嗜好の変化とかじゃないかな」と、マスターの愛称で親しまれる寺田規行さんは言う。
さらに「うちの料理はホテルにも負けないよ。油ひとつをとっても高品質で、使い回しはしないからね」とマスター。確かに、味には街中華ならではの力強さがありながら、クドさは皆無で華やかな品格も備えている。
「あんかけ焼ソバ」の人気が上昇した理由のひとつに、食事にも酒のアテにもなるという認識が広まったことが挙げられるだろう。さらに、同店にはそれを決定づける大きな特徴がある。マスターがワインの造詣に深く、しかも息子さんは現役の一流ソムリエでもあるのだ。ゆえに一般的な酒もあるが、ワインを注文するとオススメをグラス一杯1000円~サーブしてもらえる。
泰行さんは大学卒業後に名門「ホテルニューオータニ」へ。やがて館内にある世界的なレストラン「トゥールダルジャン 東京」に配属。“ソムリエの聖地”とも称されるフレンチの殿堂でそのいろはを学び、家業を継ぐべく凱旋したのだ。
先達の意思を紡いで進化する粋なエスプリ
好奇心が旺盛で、海外の食文化にも明るいマスターと、その影響を自然に受けて育ったソムリエの泰行さん。そんな「水新菜館」にはもちろん「あんかけ焼ソバ」以外にも珠玉のメニューが揃う。たとえば、ルックスからして目を引く「葱油鶏」(むしどりのネギ風味)だ。
しっとり柔らかく蒸し上げた鶏むね肉に、黒胡椒がたっぷりかかったこの一皿。スパイシーながら想像以上に辛味はなく、白髪ねぎ、針しょうが、香菜(パクチー)のアクセントも芳醇だ。
また、同店の点心で昔から人気なのが、40年以上前から提供している「小籠包」。当時は提供している店が珍しく、同世代の中華料理店オーナーとともに開発した力作だ。一方、素材を見直したことでよりおいしさを増したという「イベリコ酢豚」のような、独自色の濃い料理もある。
黒酢ではない、糖醋(タンツゥ)という日本おなじみの甘酢タイプで、玉ねぎやきゅうりなどの野菜もたっぷり。そしてイベリコ豚の味を生かす意味でも、このソースけがマッチしている。ワインは、爽やかでフルーティかつハーバルでスパイシーな「アンソランス」というプロヴァンスのロゼが好マリアージュ。
なお、店名の由来は、創業者の名前と当時の業態を掛け合わせたもの。初代の寺田新次郎さんが果物店と併設して水菓子業、いわゆるフルーツパーラーを営んでいたことから、”新”次郎の”水”菓子店として「水新」がスタート。その後、あんみつなども提供する甘味処となり、やがてラーメンや焼きそばも出す甘味中華に。
伝統は脈々と受け継がれ、現マスターは1974年に4代目店主となる。その際、改装するとともに甘味中華から、より食と酒を楽しめる街中華へと業態を変え、店名も「水新菜館」に。
ただ、変えるといっても常連や先達の意思を受け止め、ガラっとではなく一部を残して進化させる。しかも独自のセンスと持ち前のバイタリティで、どこにもないスタイルに。これが下町ならではの、粋な計らいというものだろう。
そして、ひねりの効いたエスプリは、5代目の泰行さんにも受け継がれている。ぶどうなどを扱う果物店を離れてから時を経て、ぶどう酒を扱うワイン業態として一部が戻ったことは、決して偶然ではない。こうして初代から続く“水”脈は、“新”しい時代を迎えてますます勢いよく流れていくのだ。
撮影/我妻慶一
【SHOP DATA】
水新菜館
住所:東京都台東区浅草橋2-1-1
アクセス:JR総武線ほか「浅草橋駅」東口徒歩3分
営業時間:11:30~15:00(L.O.)、17:30~20:45(L.O.)
定休日:日曜、第2・4土曜