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カレー
2020/9/3 21:00

「日本式カレー」の歴史140年を、意外な蘊蓄とともに紹介

食べれば汗をかくことは分かっているのに、なぜか夏場に体が欲してしまうカレー。2020年は、日本で家庭用の固形ルウが販売されるようになって約70年、さらに遡るとイギリスからカレーが伝来されてから140年以上になるようです。

 

意外と長いようにも思える日本式カレーの歴史。今回は全日本カレー工業協同組合を訪ね、カレーにまつわる長い歴史・変遷、そして知られざるトリビアをアレコレ教えていただきました。

↑全日本カレー工業協同組合にて。左からハウス食品グループ本社広報・IR部・堀井志郎さん、全日本カレー工業協同組合・専務理事 和田務さん、エスビー食品・広報室 風間茂行さん

 

インドには“カレー”という料理はない!

ーーまず、日本式カレーが始まった歴史から教えてください。

 

和田務さん(以下、和田) 日本語でカレーが紹介されたのは今から160年前、1860年(万延元年)の福沢諭吉が訳した『増訂華英通語』という辞書で“カレー”という言葉が紹介されたのが最古と言われています。ただ、この本はアメリカに渡った福沢諭吉が持ち帰った辞書での掲載に過ぎず、まだ日本にはカレーそのものは伝来されていない時期です。

 

日本式カレーのルーツがイギリスにあるのはよく知られていますが、そのイギリスのカレー史を辿ると、1772年(明和9年)頃にイギリス・東インド会社に勤めていたウォーレン・ヘイスティングが、インド料理で使われる粉末の混合スパイスと米をインドから持ち帰り、紹介したと言われています。

 

その香辛料を調合して“カレー粉”というものをまず作り、イギリス国内で売られ始め様々な形で料理に使われていたようですね。つまり、インド料理のスパイスを使ってはいるものの、“カレー”という料理はイギリスが発祥で、インドにはないということなんです

 

ーーつまり、インドにスパイスを使った様々な料理はあっても、それらは“カレー”と呼ばれない、ということでしょうか。

 

和田 そうです。もちろん、インドでは様々なスパイスを調合して、魚料理に使ったり、肉料理に使ったりしています。しかし、それはイギリスや日本で呼ぶ“カレー”というメニューではなく、あくまでもインドのスパイス料理だったというわけですね。

 

その後、イギリスで広まったカレー粉が1870年(明治3年)頃に日本に伝来して徐々に広まっていくことになります。特に象徴的なのが1876年(明治9年)、クラーク博士で有名な札幌農学校(全寮制/現・北海道大学)が開校した際、洋食を広めたい学校側と米を食べたい学生側のせめぎ合いの結果、1日おきにライスカレーが出されるようになったことですね。

 

堀井志郎さん(以下、堀井) その札幌農学校で出されたライスカレーの例にもあるように「大量調理に向いている」「肉、野菜を大量に採れて栄養も満点」ということで、後に軍隊のメニューにも採用されるようになったり、食堂や給食のメニューになっていったのではないでしょうか。

 

ーーこのカレー萌芽期。カレーに使われた食材は、すでに今日のものと似たものだったのでしょうか。

 

和田 はい。じゃがいも、人参、玉ねぎはすでに入っていたようですから、ほとんど同じということになります。ただ、じゃがいも、人参、玉ねぎは西洋野菜で、明治時代以前にはあまり日本になかったものなんですよ。だから、これは憶測ですが、前述の札幌農学校では、北海道を開拓する際、同時にこういった西洋野菜を導入したので、それを広めたかったのもあるのではないかと思います。そして、育てたのではないか。これらの西洋野菜を効率的に多くとり、日本人に浸透させるという点からも、カレーが一役買っていたのではないかと思います。

↑日本式カレーが浸透し始めた頃の、問屋の様子(写真提供:全日本カレー工業協同組合)

 

イギリス製のカレー粉の偽物が出回った結果……

ーーその頃のカレーは、あくまでもイギリスから輸入されてたカレー粉を使って作られていたのでしょうか。

 

和田 はい。イギリスでカレー粉製造の先駆けとなった企業でC&B社という会社があるんですけど、そこの会社のものを輸入し、使うことが多かったと聞きます。

 

ただし、1931年(昭和6年)頃、「C&B偽カレー粉事件」というのが勃発しまして。当初はC&B社のカレー粉を輸入し、それを使ったカレー食が日本で広まっていったわけですけど、この時期に「どうも、C&B社ではない偽物のカレー粉が、C&B製を謳って日本市場に出回っている」という事実が判明したんですね。

 

それを知ったC&B社は日本当局に訴え、当局はどれが偽物かを浮き彫りにするために、1回日本での流通をストップさせました。C&Bが売らなくなっている間、それでも日本で流通しているカレー粉は全部偽物ということになりますから、つまりそれを浮き彫りにさせようとしたわけです。

 

しかし、C&Bが流通をストップさせた間、日本の市場は困ってしまい、やむを得ず、日本で製造されたカレー粉を使わざるを得ない事態になります。もちろん、こういったカレー粉は、偽C&Bではなく、しっかり国内メーカー各社の名前で売っていたものなのですが、これらを使い食べてみた日本人は「C&Bじゃないとダメだと思ってたけど、日本で製造されたカレー粉でも十分美味しいじゃん!」ということに気づきます。つまり、C&Bの流通を止めたことで、逆に日本の食品メーカーのカレー粉の良さを知らしめ、日本ブレンドのカレー粉を市場に浸透させるきっかけを作ってしまったんですね(笑)。

 

ーーこの頃、すでに皆さんの企業ではカレー粉などを製造されていたようですね。

 

風間茂行さん(以下、風間) はい。エスビー食品は創業の1923年(大正12年)から、カレー粉を製造・販売しています。現在多くの方にご愛用いただいている通称「赤缶カレー粉」の発売は1950年(昭和25年)からです。

 

堀井 ハウス食品のルーツは1913年(大正2年)に起業した漢方薬を扱う会社なのですが、実は漢方薬として使うものには、カレー粉のスパイスと共通するものも多かったんです。それで大正の末期にはカレー粉を扱う会社になっていて、1931年(昭和6年)には、『ハウスカレー』という、後の即席カレーの原型になるカレーフレークなども出していました。

 

ーーいずれにしても戦前には「カレー」市場がすでに確立されていて、日本人はよく食べていたというわけですね。

 

風間 そうです。ただ、現在家庭でよく使われているような固形ルウの誕生はもっと後になるんですけどね。

 

和田 遡ると、明治から大正にかけて、すでに外食産業の中にはカレーうどん、カツカレーなどが考案されていたようですしね。日本人の多くは、この時代にしてもうカレーという料理に親しんでいたということです。

↑昭和30年代の即席カレー(固形ルウ)製造ラインの様子(写真提供:エスビー食品株式会社)

 

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