誰も思いつかないストーリーラインと緻密な絵。『富江』『うずまき』など異彩を放つ作品で国内外に多くの熱狂的なファンを持つホラー漫画家、伊藤潤二さん。2017年12月に『伊藤潤二研究 ホラーの深淵から』(朝日新聞出版・刊)が出版され、2018年1月7日から「伊藤潤二『コレクション』」のテレビアニメ(TOKYO MX)の放映が決定している。
画業30年という節目の年を迎えた伊藤先生に、お話を伺う機会をいただいた。
イメージしたものをそのまま形にする能力
伊藤先生と言えば、ひとコマの中に細部まで描き切る緻密な絵で知られている。こうした作風を支える仕事術を貫くアイデアに触れたい人は少なくないはずだ。
『伊藤潤二研究』の中では、「細かいところは現実的に描かないと、ただの突拍子もない話になってしまう」と言っている。そういう現実的な描写を実現させるための基盤となる思いは何なのだろうか。
「私は、リアル志向です。中学時代にブロンズ粘土で自分の手を作ったことがあって、それが結構上手にできて、かなりリアルな仕上がりになりました。それ以来、リアルな形を再現する手段としての彫刻に興味が湧きました。また、高校時代の美術の先生が彫刻専攻だった人で、『伊藤も彫刻やらないか』なんて言われたりしました。当時美術部で絵は描いていたんですが、結局彫刻はやらなくて、後悔しています。ただ、その後の仕事が歯科技工士で、リアルな歯の彫刻をやらないといけなくなり、それは好きでやっていました」
昔から手先は器用でしたか? と尋ねたところ、今の姿に直結する感じの言葉が返ってきた。
「器用というか、そんなに動きがいいというわけではないんですけれども、手先が器用というよりも、イメージしたものを形にするということは得意でしたね」
あらゆる道具を自分に合わせてカスタマイズ
伊藤先生は、さまざまな道具を自分に合わせてカスタマイズする。緻密な作業のために毎日使う道具のカスタマイゼーションについても、こだわりがあるに違いない。
「よく、自分を道具に合わせるというプロの人もいて、それはすごいなあと思います。でも私は、自分に合った道具を作ります。能率にも関わってくることなので、細かいところまで磨いたりして加工することにしています。(液晶タブレット用ペンが並んだ写真を見ながら)この辺りも結構磨いたりしています。親指が長いみたいで、ペンが持ちづらいんです。それを何とかならないかなと思って、描きやすいポジションを考えて、太さなんかも調整しています。これも液タブ専門のペンですが、これも加工してしまいます。サイドボタンというのがありますが、邪魔なので、買ってすぐに取ってパテで埋めちゃっています」
そもそもこのボタンは、描いている途中に押してペン機能と消しゴム機能を切り替えたりするためにある。伊藤先生は、作業に熱中するとそれさえ邪魔に感じて、結局引きちぎって(!?)しまったという。
「最近よく、柔らかい素材の中に骨組みがあって、ポーズを取らせることができる人形がありますが、まだまだ首回りとか肩とかは実際の動きと違います。私は、医学生が使うような解剖学の本を持っていて、それを見ながら作業をしています」
表面的な見た目だけではなく、本物に近づけるため、内部まで凝りに凝る。
「この人形についていえば、もっときちんと肉を付けた状態にしたいんですが、私の技術ではちょっとできません。これはスポンジですけど、本当はしっかり(樹脂を)流し込んでやりたいんですが……。デッサンのために作ったはずが、いつの間にかそれ自体が目的になってきていますね。本当にリアルな動きをする人形を作りたいなあと思っています」
こうしたカスタマイゼーションの感覚が、絵のリアリティにつながっていくのだろう。こだわりの感覚は仕事場の隅々まで行き渡っている。仕事場で撮影された写真の1枚に、机の左横、目線の高さあたりに貼られた紙が見えた。何だろう?
「これは、定規についたインクをティッシュでいちいち拭いていると面倒なので、こうしています」
線を引いた後の定規についたインクを、文字通り一振りするだけで拭き取れるよう、計算しつくした高さで紙が貼られているのだ。次の1枚には、右手に液タブペンを握り、左手に新書版くらいの大きさの装置を抱き込むような姿勢で構える伊藤先生が写っている。
「この装置にはソフトが入っていて、並んでいる一つひとつのボタンがショートカットキーになっています。ペンと消しゴムの切り替えをしたり、描いたものを選択範囲の中で変形させたりします。画面上でもできますが、その手間を省けるようにしているわけです」
この装置、よく見るとボタンの高さや形状が一つひとつ違うことがわかる。エポキシ樹脂のパテでボタンを作り、それをさまざまな形にしてボタンを見なくても感触でわかるようにしてあるという。
書籍の中には、岐阜の中津川にある実家の仕事場と、船橋の自宅の仕事場の写真が掲載されているが、どちらにも作業動線の良さという同じテーマに則った整頓が感じられる。特に、机周りに機能が集約されている。
「作業机はコックピットみたいな感じです。でも、置くものにはどうしても限りが出てしまうので、何でも乗っけるわけじゃなく、場所も決めています」
その作業机にも、写真で見るだけではわからないところまでに至る細かい工夫が施されているようだ。
「机は、ホームセンターで買ってきた板を乗せて、肘のあたりに角が当たるから、紙やすりで削ったりしています。机に上からの光が反射しないようにする工夫もしてあります。この製図台の裏にも磁石がくっつくステンレスの板を敷いてあります」
すべては作画工程の時間効率を上げるための工夫に違いない。素人目にはアナログで描かれたよう見える原画もデジタルで作業が行なわれている。伊藤先生が考えるデジタルのメリットとは何なのか?
「デジタルの場合、線なんかもいろいろ調節できます。すごくきれいな線も引けますし、わざと紙に描いたようなギザギザな線になるようにも設定できる。作業自体は、紙に描くか液タブに描くかの違いだけですね。デジタルは、トーンがすごく貼りやすいとか、一発でできる便利さはちょっと捨てがたいですね」
怪獣映画を撮影したかった子ども時代
現在の伊藤潤二先生のアイデンティティが確立されるまで、さまざまな要素が盛り込まれていく過程があったに違いない。先に触れた中学生時代の粘土造形の話も、そしてもちろん歯科技工士という仕事の経験もそうだ。ただ、それ以外についても確かめておきたい気がした。子どもの頃は、多くの怪獣映画を見ていたという。
「近くに映画館がなかったので、もっぱらテレビでした。東宝のゴジラ系とか、大映のガメラ、あとは海外の映画を見ていました。レイ・ハリーハウゼンのシンドバッドものやアルゴ号探検隊もの、キングコングも昔のやつが好きでした。ウィリス・オブライエンという人がいて、この人はハリーハウゼンの師匠ですが、そのへんもよく見ましたね」
伊藤先生が言っているのは、ミニチュアの人形を少しずつ動かしてコマ撮りし、それをつなげて動画にするという手法で製作された映画だ。
「子どもの頃にコマ撮りの怪獣映画みたいな映像を作りたくて、憧れていました。でもそこまでの技術はなくて、恐竜も作れませんし、8ミリも買ってもらえないかったので、夢だけで終わりました。今もコマ撮りが大好きです。CG全盛の時代ですが、コマ撮りは人形が3次元に存在しているものを撮っている、つまり実際にあるものが動いているという感じがあるので、その辺がリアリティですかね」
キャラクターが生まれるところ
「富江」シリーズや「双一」シリーズ、そして『ギョ』にしても『うずまき』にしても、伊藤作品には特異なキャラクターが居並ぶ。際立つキャラは、どこから生まれるのか?
「ストーリーというのは、まず中核となるアイデアが必要です。それは降ってくるというか、見たもので、はっとひらめくこともあります。たとえばラジオのパーソナリティの会話を聴いてもそうです。ひらめくというのは、話をそのまま受け止めるんじゃなくて、この話を斜めから見たらどうなるかな、みたいなことで面白い発想になったりします」
核の部分がひらめいて、そこにストーリーが肉付けされ、具体的なビジュアルが決まっていく。
「アイデアがまずあって、それを一番面白く見せるためにストーリーを組み立てていきます。その過程で造形も決まってきます。たとえば『首吊り気球』は、最初はただの丸い気球が襲って来る話だったんですけど、それだけじゃつまらないので、自分の顔が自分だけを襲って来るっていう話にしました。僕の漫画は設定が突拍子もないので、絵をリアルにしてバランスを取ろうとしています」
ひらめきは、具体的なイメージという形で訪れることもある。
「ほとんど物語に沿った造形というのが多いんですけど、たまに、たとえば屋根裏部屋で、生首から延びる長い髪の毛が柱にからまってぶら下がっているといった、そういうイメージが浮かんで、漫画にすることもあります(『屋根裏の長い髪』)。こういうことはめったにありませんが、すごく描きやすいですね」
表現は正しくないかもしれないが、こうした過程には映画製作的な手法も盛り込まれるようだ。こう尋ねてみた。絵を描くという作業の前に、文章という形でストーリーを立てていくことはありますか?
「はい。書きます。アイデアを膨らませていく段階ではそうします。映画のカット割りのように厳密ではありませんが、あらすじを書いていく感じです。それを絵コンテ、漫画のコマの粗い下描きみたいなものに起こしていきます。あらすじを基にしますけれども、絵にするとあらすじ通りにいかないような場合も出てきます。場面転換の時が意外に難しくて、あらすじをちょっと変えるとうまくいくということがあります」
ファン、そしてクリエイターを目指す人たちへ
海外には、現地で開催された展示会で作品に直接的に触れたのがきっかけでファンになったという人が少なくない。こうした傾向は、東アジア圏で特に顕著なようだ。
伊藤先生自身は「私は好き勝手に描いてきて、たまたま受け容れられたかなという感じでいる」と言っている。
ファンの中には、コスプレ的な感覚で作品のひとコマを再現した写真をネットにアップする人たちがいる。これについて触れると、それまでの答えとは少し違うトーンでこう言った。
「本当に嬉しいですね。ありがたいです。プラスの意味で、やってるなあと感じます」
コスプレ写真をアップするファンの中にも、クリエイターを目指す人たちがいるに違いない。そういう人たちに向けてのひと言は、どうしても聞きたいと思っていた。
「大したアドバイスはできないんですけれども…。好きなことはとことん、ということでしょうか。マニアというか、そういう感覚で取り組めば…。いい意味でマニアックにということです。周りの人のことはあまり気にせずに、自分ごとを突き詰めた結果がいいものになるということだと思います」
30年を振り返って
画業30年。決して短くない時間を振り返り、伊藤先生は「まだまだ」と形容していた。「もっといいものを描きたいですね」とも。道具にこだわり、突拍子もないプロットを練り込み、緻密さを極める絵を効率よく描き上げていく毎日の中、どんなものから刺激を受けるのだろうか。
「映画は子どもの頃から大好きで、影響を受けた媒体なんですが、最近は時間がなくほとんど見られない状態が続いています。『ラ・ラ・ランド』とか、『この世界の片隅に』とか、ブルーレイは買ってあるのに、まだ封を開けていません。早く見たいんですけれど…。あと、H・R・ギーガーは好きですね。彼がデザインしたエイリアンのフィギュアはすでに注文して、待っている状態です。それを販売している会社のホームページを開いて、フィギュアをずっと眺めてしまうんです。仕事がはかどりません」
どんな側面で切り取っても、イメージしたものを形にする作業と深くリンクしている。
「エイリアンは構造が複雑ですからね。本当は自分で作りたいくらいです。尻尾の部分は、背骨みたいな同じものがずっと連なっているので難しそうですね。映画の第1作はギーガー自身が造形を担当したんですね。その辺のありがたみがあって、ギーガーが好きなんだと思います。この間、ギーガーを追ったドキュメンタリー『ダークスター/H・R・ギーガーの世界』をソフトで買いまして、これはストーリーがないのでBGVとして見ています」
仕事中でさえ、ほかのクリエイターの製作プロセスをバックグラウンドの一部として取り込んでいるようだ。ちなみに作業中のBGMは?との問いには意外な答えが返ってきた。
「ネームの作業中は無音ですね。ちょっとした音、PCの動作音でも気になってしまい集中できないので。岐阜の中津川の仕事場は二重窓にしています。作画の時も本当は何も音がない方が能率的だと思うんですが、すごく寂しくなってきて、最近はジャズを聴いています。ビバップ系というか、昔のテンポのいいやつが好きです。50~60年代あたりですね」
「息抜きに聴くのはビートルズとかですね。最近LPコレクションが出ていて「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を買いました。これは、レコードの最後の部分がエンドレスなんですよ。レコードの最後の部分に針が行くと、ずーっと雑音みたいな音が鳴り続けるんです。それを聴きたいんですが…これも、まだ封を開けていないです」
来年は、買ってあるDVDやレコードの封を切るくらいの時間ができるよう、心からお祈りしています。楽しいお話をありがとうございました。
【著書紹介】
伊藤潤二研究 ホラーの深淵から
著者:Nemuki+編集部(編)
出版社:朝日新聞出版
価格:1300円(税別)
2018年1月7日からテレビアニメ(TOKYO MX)の放映も決定し、ますます注目を浴びるホラー漫画界の異才・伊藤潤二。その作品世界を網羅した完全読本が画業30周年を記念して発売。ロングインタビュー、単行本未収録作品、特別寄稿の記事など豪華掲載!!
【最新アニメ情報】
≪タイトル≫
伊藤潤二『コレクション』
≪スタッフ≫
原作:伊藤潤二『伊藤潤二傑作集』『魔の断片』(朝日新聞出版刊)
監督・キャラクターデザイン:田頭しのぶ
脚本:澤田薫
音響監督:郷田ほづみ
音楽:林ゆうき
アニメーション制作:スタジオディーン
≪放送情報≫
2018年1月7日(日)よりTOKYO MXにて毎週日曜日22時~放送
2018年1月5日(金)よりWOWOWにて毎週金曜日22時30分~放送 他
≪キャスト≫
三ツ矢雄二 (双一役)
下野紘 (押切役)
名塚佳織 (夕子役)
緑川光 (四つ辻の美少年役)
小山茉美 (淵役)
末柄里恵 (富江役)
≪伊藤潤二『コレクション』 公式サイト≫
http://www.itojunji-anime.com/
≪伊藤潤二『コレクション』公式ツイッター≫
@itojunji_anime
©伊藤潤二/朝日新聞出版・伊藤潤二『コレクション』製作委員会