第4回 なんの変哲もない、魔法の石
それは僕が小学校二年の下校時の話。季節は春と夏の間くらいだったはずだ。
「これは、なにがあっても無くさないでよ。守ってくれるんだから。なにかあったらギュッと握るんだよ」
そう言ってMくんは、僕に碁石のように丸い、ツルツルした小さな白い石を渡してきた。一度も同じクラスになったことのないMくんと、初めて一緒に帰った日のことだった。
その後、四十年以上経っても、一緒に飲んだり、旅行をしたりする間柄になるとは、もちろんそのとき思うわけもない。
「この石どうしたの?」と僕が訊くと、「魔法の石。お母さんの田舎の三重で見つけたんだ」と言う。
「へー……」僕はまじまじとなんの変哲もない丸い白い石を見る。
本当になんの変哲もない石だった。ただ、その頃はそんなことを言っている場合ではなかった。僕はその石を、早速ギュッと強く握った。
一日の始まり、自分のクラスに入って、まずすることは、自分の椅子や机を見つけることだった。だいたい誰かが椅子を二重にして座っている。机は教壇の近くでひっくり返されて、花瓶や黒板消しなどがその上に乗っかっているのが日常だった。椅子と机それぞれを自分の場所まで戻していると、担任教師が教室に入ってきて、「ちゃんと座りなさい!」と僕に注意をする。
担任教師も薄々わかっていたとは思うが、いじめがどうしたこうしたというより、面倒なことをクラスに増やす僕の存在に、日々イライラしているように見えた。
そもそも僕がいじめに遭う原因は、円形脱毛症のひどいのにかかったことからだった。
最初、髪の毛はまだらに抜けて、眉毛やまつ毛はきれいに抜け落ちた。朝起きると、枕にゴッソリと髪の毛が抜けていたときもあった。
気になって、逆に髪の毛を掴んで引っ張ることが癖になる。すると毎回抜けた髪の毛が、指の間にゴッソリとへばりつく。三面鏡で確認すると、円形のハゲが後頭部に点在していた。
原因は結局未だに不明。ステロイドの塗り薬は欠かさなかったが、そのあとも髪の毛は抜けつづけ、結局すべて抜けてしまった。そんな姿で学校に行けば、いじめられないわけがなかった。
僕に触ると髪の毛が抜け落ちるというゲームが流行って、僕が歩いていると、誰かが僕を強く押してくる。よろけた僕が、誰かに触りそうになる。すると触られそうになった誰かが、「うああ〜」と悲鳴を上げながら逃げたり、「キャ〜!」と大爆笑が起きたりしていた。
手を叩いて笑う女子たちの中には、僕が好きだった人もいた。
そのゲームはクラスどころか、学年で流行ってしまう。そうなると、下校時も気が抜けない。所構わず誰かが突然、僕を突き倒そうとしてくる。そしてまた、「うああ〜」とか「キャ〜!」がはじまる。
あるとき、僕は下駄箱で警戒しながら上履きから外履きに履き替え、帰宅しようとしていた。
すると、ちょうど帰ろうとしていたMくんと目が合う。「一緒に帰ろうよ」とMくんはニコッと笑った。
校内で、悪意のない笑顔を向けられたのは久しぶりだった。
「ありがとう」と僕は礼を言う。「ん?」みたいな反応をMくんは示し、「駄菓子屋でも寄らない?」と持ちかけてきた。
駄菓子屋で、「ぷくぷく」というカステラにチョコレートがかかった駄菓子を食べていたとき、改めてMくんに「一緒に帰ってくれてありがとう」と伝える。「ん? どうして?」とMくん。「だって俺、いじめられているから……」と答える。「えっ! いじめられてるの?」Mくんは本当に驚いたという顔をして、「どうして?」とつづけた。
どうしてもなにも。すっかり髪の毛が抜けたツルツルの頭を指さし、「こんな見た目だからさ」と笑う。「それだといじめられるの?」目を丸くしてMくんは、僕にそう訊いてきた。「多分……」だんだん僕もわからなくなってくる。それどころか、そのやりとりが面白くて笑いが込み上げてきてしまう。
もしかしてあのとき、僕は泣いていたのかもしれない。でも、記憶の中の僕は、とにかく笑っている。思い出せない。忘れてしまった。
ただ、心から嬉しかった気持ちを憶えている。
Mくんは突然神妙な面持ちとなり、「これは、なにがあっても無くさないでよ。守ってくれるんだから。なにかあったらギュッと握るんだよ」
そう言って僕に、碁石のように丸い、ツルツルした小さな白い石を渡してきた。
僕は受け取ったその石を強く握る。
イラスト/嘉江(X:@mugoisiuchi) デザイン/熊谷菜生