連載「モテない美学」第3回
花見に誘われない怒りで、意識を失った!
怒りで、意識を失ったことはありますか?
私はあります。2010年のちょうど今ぐらいの時期です。その頃、わ〜っとTwitterをやる人達が増えていまして、私も友人や顔見知りの人をフォローしていました。
ある夜、自宅で作業しながら別ウィンドウを開いてTwitterのタイムラインを見ていると、そこには「上野で花見なう」「新宿で花見なう」「目黒川で花見なう」のツイートが並んでいました。
もう、ピンと来たかと思います。私が見ている画面に表示されている「花見なう」のツイートは、どれも知っている人達のもの。それを私は自宅で眺めている。
そうです。私は、どの花見にも誘われていなかったのです。Twitterのある時代でなければ、知らなくて済んだかもしれない真実。誰が誰を誘っているのか。どこで、どのように騒いでいるのか。気になって仕方がありません。台本を2〜3行書いてはTwitterをチェック、資料を1〜2枚読んではチェックと作業にならなくなってしまいました。
その度に「〇〇ちゃんもやって来た〜!」「〇〇さんからワインの差し入れ〜。」といった楽しげなツイートがひっきりなしに現れ続けます。画像付きのものもありました。深夜24時を回った頃、私はついに「花見なう、花見なう、知ってるなう! 誘われてないなう!」となかなかのボリュームで口に出してしまいました。
そこで私の記憶は途切れています。次に気がつくと朝になっていました。
「ふて寝」というやつです。
「花見に誘われていない」という現実がストレスとなり、許容範囲を超えた時、意識を失ったのです。それまで、日本史の教科書などで「〇〇上皇は憤死」という記述を見るたびに、「怒りで死ぬなんてことがあり得るのか!?」と疑問に思っていたものですが、あの時「ない話ではないな…」と急に目の前が開けました。
そして、モテる・モテないについても大切なことに気付いたのです。
モテない秘訣は、怒りを抑え込むことにあり!
「ふて寝」=怒りを外に向かって発散できていない状態です。では、あの「花見に誘われていない」ストレスを逃がす方法はあったのでしょうか!?
2つ考えられます。
- 「俺も誘えよ〜!」とリプライ、もしくはメール・電話をする。
- 「誘われてないなう」と怒りのままにツイート。
でも、それだと「怒り」の感情を抱いていることが他者にバレてしまい、ひいてはモテてしまいます。
どういうことかと言うと……。
「怒り」とは、生存本能だと思うのです。それにより、自らの存在を他者に知らしめる行為です。何か自分にとって不都合な事態に遭遇したとき、「怒り」によって血圧を高め、すぐさま行動に移せるように戦闘態勢に入る。
その時、人はテストステロンというものを分泌するそうなのですが、それってよく「モテフェロモン」って紹介されているやつですよね?
つまり、怒ってる人は「怒り」によって自らの存在を他者に知らせている結果にもなる…。それこそモテの第1歩です。
誰も怒る人のことは好きじゃないと思いますが、怒る人は感情で場を支配します。怒ってない時でも「いつ怒るかもしれない」と、誰もが意識してしまいますし、その人がいないときでも「あの人、怒るよね〜」と陰口の中に存在感を示します。怒ることは存在感につながるのです。
他者から意識されることによって、意識されないよりもモテる可能性が上昇します。
- 「怒る」⇒「他者に意識される」⇒「モテる」
- 「怒りを抑える」⇒「他者に意識されない」⇒「モテない」
こう書けば、「怒る人はモテる」理由が分かる気がしませんか?
認めたくないですが、悲しい現実です。
モテない美学とは、武士道である!
ここまで「怒り」を話題にしてきましたが、それに限らず、どんな感情でも、それをあらわにするとモテかねないので注意が必要です。
例えば、戦争で罪もない人達が悲劇的なラストを迎える映画を観たとき……。
「なんで、戦わなくちゃならないんだ〜!!」「戦争は絶対に許せない!」「うわ〜ん!」と目を潤ませながら感動した自分をストレートに出すとモテてしまいます。
この場合、感情を抑えて「とはいえ、周りが戦争ムード一色になった時、自分はストレートに反戦を訴えることができるか分からない…」などと、冷静に俯瞰してみるとモテなくて済みますが、今度は「お前は戦争をしたいのか!」と思われる危険があります。こと戦争の話では、これ以上ないってぐらい「反戦」である姿勢を示さないと好戦的とみなされてしまうんです。難しいものです。
私としては、「なんで、戦わなくちゃならないんだー!」とストレートに言っている人のほうが、いざ「戦争やむなし!」のムードになったとき「一致団結して戦うべし!」にスルッと変わりやすい気もするんですが……それはまた別の話。
映画を例にしましたが、野球やサッカーなどのスポーツをする人や、それを応援する人も感情を表に出せば出すほどモテてそうじゃありませんか?特にサッカーなんて、審判の采配に不満があるとき「全身これ不満」といった感じでアピールしますよね。そんなことすれば存在感抜群です。そりゃモテます。
一方、日本古来の武道や相撲の世界では「感情を表に出してはいけない」「出さないことこそ美徳」とする文化もあります。それは「モテない美学」にも通じるものと言えるでしょう。そう、「モテない美学」とは武士道なのです。
「モテない道とは、我を殺すことと見つけたり」。
花見に人の世のはかなさを見た私は、あの夜、「ふて寝」という名の切腹をしたのかもしれません。
みなさんも1人1人が、「モテない侍」であるとの自覚を持って生きて下さい。
険しい道のりですが。