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2016/8/26 21:00

Twitterの原点はココに!? 昭和初期の小咄と現代のツイートは笑いのツボが同レベル

買えない本の意味ない(!?)書評
~国会図書館デジタルコレクションで見つけた素晴らしき一冊~ 第10回

 

「隣の家に囲いができたってねぇ」「へぇー」なんて小咄(こばなし)は、最近あまり耳にしなくなった……。と思いきや、よくよく考えると、まさに小咄のような笑えるツイートがTwitter上で何千回もRTされてネット空間を駆け回っている。きっと、かつての小咄はツイートに転生したのだろう。ツイッターは演芸場になりつつあるのかもしれない。

 

さて今回は、明治から昭和初期の小咄・笑い話を探してみたい。約100年前には、どんな小咄が親しまれていたのか? それは今でも笑えるのだろうか?

 

いつものように、著作権切れの本が閲覧できる国会図書館デジタルコレクションの検索窓に「小咄」「滑稽」「とんち」などと入れてみた。真っ先に目に止まったのは「アゴはづし : 滑稽奇談」(大正9年)。笑いすぎてあごがはずれるという表現はあるが、向こうから果敢にはずしにくるという、インパクトのある題名。まるでプロレス技だ。

 

【1冊目】「アゴはづし : 滑稽奇談」

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「読者よ、本書をひもとくに当たりて、まずアゴとおへその転倒せぬようご注意あれ」
(一部仮名遣いなどを修正)

 

と、前書きもやたらと自信満々。期待は高まる。

 

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内容は、70編ほどの小咄の間になぜかおまじないコーナーが挟まり、最後は「大石内蔵助の頓智」「大岡越前守の頓智」と、知恵者な両人のエピソードで締めくくられている。

 

すべての小咄を読んだが、結論からいうとあごがはずれるどころか、あごが動くことはほとんどなく……。こういうのは合う合わないがあるので一概には言えないが、本の題名からしてハードルを上げすぎなのでは……。まあ、そうしたなかでも、短めでちょっと面白かった小咄を3つほど紹介したい。

 

■「十五円」

甲「ヤー芋公、どうも酒や米や薪が高くなって十五円じゃ」

乙「何が十五円だとえ」

甲「酒が高くって酔えん(四円)さ、米が高くなって食えん(九円)さ、薪が高くなって煮えん(二円)、それを合わせて十五円さァ」

 

■「自惚れ」

だしっこで何か食べようじゃないか、と一人が言うと一人が「それでは、……いっそのこと、この中での一番色男がおごることにしようじゃないか」と言うので、みんなはそれを面白いと賛成したが、隅にいた一人が頭をかいて、「それは迷惑だ」。

 

■「怠惰者」

田舎親父上京して息子の下宿屋をたずねたり。折しも息子は不在にして室内の取り散らしたるさま、目も当てられぬに驚きしか、ややありてかたわらの本箱を見返りて嬉しげに、「でもせがれは感心ぢゃ、本ばかりは手垢もつけずにあるわい」。

 

どうでしょう? 爆笑とはいかないが、後ろの2つは「あるある」ネタに近いかもしれない。

 

【2冊目】「小噺百題」

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続いては、「小噺百題」(出版年不明)。その名のとおり、2代目三遊亭圓左(さんゆうていえんさ)という明治・大正期の落語家が口演した100の小咄が載っている。初代・三遊亭圓左は、明治の大落語家・三遊亭圓朝の弟子。その圓左の名を継いだ息子の2代目による一冊だ。さっそくこちらも2編ほど紹介していこう。

 

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■「三人馬鹿」

馬鹿にもいろいろございまして四十八馬鹿あるとか申しまする。そのうちにも落語家は一番馬鹿だそうでございます。……なかには親子三人揃った馬鹿なぞがございますがこれには困ります。弟の馬鹿が物干しに上がって長竿を振り回しております。ところへ兄貴の馬鹿がやってきた。

兄「何をしているのだ」

弟「今ね、この竿でね、空にピカピカ光っている星を叩き落とそうとしているんだ」

兄「それじゃあもう一本つながなければいけねえ」

ふたりで一生懸命になっておりますところへ、親父が上がってきた。

父「これ野郎、何をしているのだ」

両人「今ね、あの上でピカピカ光っているのをね、この棒ではたき落とそうというんだ」

父「馬鹿野郎アレが落ちるものか」

両人「爺、あれは何だ」

父「雨の降る穴だ」

 

■「金槌」

主人「定吉、向こうの家に行って、棚をつるのでございますといって金槌を借りてきてな」

定吉「ヘエ……」

主人「どうした」

定吉「金の釘を打つのか竹の釘を打つのかって」

主人「ウン」

定吉「アノ棚をつるのでございますから、金の釘を打つのですといいましたが、それなら貸されないって」

主人「何だって」

定吉「金と金と合うと金槌が減るというので」

主人「ケチな奴があるもんだ、馬鹿馬鹿しい、よしなさい。じゃあうちのを出して使いな」

 

本題に入る前のまさにジャブという感じだが、さすが本職の落語家というだけあって、文章になっても味がある。「金槌」は、古典落語「始末の極意」の枕に使われるので、ご存じの人も多いかもしれない。

 

【3冊目】「浮世小咄」

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最後は「浮世小咄」(昭和3年)。やはりいつの時代もお色気は強い。「浮世小咄」は下品な話のオンパレード。ここでは比較的穏健(?)なものを紹介したい。

 

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■「江戸の仇を長崎」

なじみの女が昼寝ているところへ来た男、まくってへそをぐりぐりとやる。女きざして男にせまれば「今日は駄目駄目」と、わざと逃げる。……二、三日すぎた日、男が今度は昼寝、このときと、股の一物をぐいぐいと擦れば、男たまらずおいかぶさってくれば、「お前は、こないだ頼んでもしてくれなかったから、今日はしてやんない」といえば、「畜生、へその仇を、まら崎で打ちやがった」

 

■「禁物」

主人「娘もおかげをもってだんだん全快。この間は食好みを致しますが、鱚、長芋の類は……」

「もはや、あげてもようござる」

「松茸のようなものは」

「イヤイヤそれは大禁物、けしてなりませぬ」

「イヤサ、松茸のことでござります」

「松茸なればようござるが、松茸のようなものはなりませぬ」

 

■「ビルヂング」

対峙しているビルヂングに、いい仲の二人窓から首出して、

「角子さん、もう私の方は誰もいないから、おいでなさい」

「でも、そちらへ行くまでのうち、下で誰かに会うと、気まずいわ」

「なるほどそれもそうですね。それでは、私の陽物(これ)に乗っていらっしゃい」と固くなった一物を窓より出せば、

「いく時はよいけれど、帰りが心配だわ」

 

「浮世小咄」には、こうしたエロ小咄が約250編びっしり! どうやって集めたのかも気になるが、これだけ並ぶと壮観だ。

 

いろいろなタイプの小咄を見てきたが、少しアレンジすればいまでもウケそうな話もチラホラ。時代によって表現やスタイルは変わるが、案外、笑いの種は普遍なのかもしれない。