「ハローキティ」。日本に数あるキャラクターのなかでも、その代表格として、国内だけでなく世界中で愛される存在です。1974年に誕生し、2024年で50周年を迎えました。
50年の歴史を振り返りながら、幅広い世代から支持され続けるその魅力について、株式会社サンリオでハローキティ50周年のPRを担当する山本淳美さんにお話をうかがいました。
女の子の永遠の憧れ
「ハローキティ」とは?
まずはハローキティがどんなキャラクターなのか、おさらいしておきましょう。
プロフィール
名前=キティ・ホワイト
誕生日=11月1日
生まれた場所=イギリス・ロンドンの郊外
明るくてやさしい女のコ。身長はりんご5個分、体重はりんご3個分。趣味はクッキーづくりやピアノを弾くことで、ピアニストか詩人になることが夢。家族はパパとママと、双子の妹ミミィ。好きな食べものはママが作ったアップルパイ。
プロフィールを見ると、“女の子”が憧れる要素がぎゅっと詰まったキャラクターであることがわかります。りんごで身長と体重を表現するところも、とってもキュート。子どもの頃、りんごを積み上げて、「キティちゃんはこれくらいかな」とイメージしていた人もいるのでは?
ハローキティ誕生の秘密!
1970~1980年代を振り返る
ハローキティが生まれたのは1974年。最初の商品が発売された時は、まだ名前がなかったといいます。
「ハローキティの最初の商品は、『プチパース』という小さなビニール製の小銭入れでした。ほかにもいくつかデザインがあるなかで、そのかわいらしさから大人気となり、売り上げも一番だったそうです。
人気が出たことから、名前をつけることになりました。名前のモデルにしたのが、ルイス・キャロルの小説『鏡の国のアリス』に登場するキティというネコ。そこにハローをつけて、『ハローキティ』となったのです」(株式会社サンリオ・山本淳美さん、以下同)
サンリオは創業当時からギフト商品を扱っていました。ハローキティも誕生後は、ギフト商品を中心にグッズ展開をしていきます。
「サンリオは『スモールギフト、ビッグスマイル』をスローガンに掲げ、『小さくてかわいい、贈って笑顔になれるもの』を販売していました。プチパースはそのスモールギフトのうちの一つでした」
「1980年代に入ると、贈り物だけでなく、電話やドライヤー、カメラといった日用家電も販売するようになっていきました」
1990年代は女子高校生を中心に
“キティラー”が続出!
1980年代後半~1990年代には、ファッショントレンドを意識したグッズ展開を開始します。
「1980年代後半は、ファッショントレンドとしてモノトーンやタータンチェックが流行った時期。ハローキティもそれに合わせたデザインが生まれました」
その後もファッショントレンドをデザインに取り入れていき、1996年にハイビスカスを付けたハローキティが登場。結果、当時の女子高校生を中心にキティグッズの大流行が起こり、「キティラー」という言葉も生まれました。サンリオのキャラクターが若者のあいだで流行ったのは初めてだったといいます。
「入園・入学や進級のタイミングでキャラクターグッズのペンケースやノート、お弁当箱や水筒などを買ってもらって、そのキャラクターと一緒に育った、という方は少なくないと思います。
ですが、次第にキャラクターものを卒業する時期がやってきます。『自分が小さい頃に持っていたものは子どもっぽい』と思うようになる方もいたと思います。中高生になり、キャラクターものを卒業した後はファッションブランドなどのアイテムを持ち始めるという流れもあったなかで、当時のハローキティが『ファッショントレンド』を意識した商品開発をしていたことが、女子高校生や、その上の世代に支持された要因の一つだと考えています。『大人が持ってもかわいくて今っぽい』と思っていただけたのかなと」
当時、たくさんの女子高校生がサンリオショップを訪れ、グッズを購入したり、ショップ内にあるハローキティのプリクラで撮影したりしていたそうです。また、携帯電話が一般に普及し始めていた時代ということで、携帯電話の関連グッズが大人気だったとか。
2000年代からは世界に進出!
海外ブランドやセレブたちが火付け役に
2000年代に入ると、キャラクター×キャラクターや、キャラクター×ブランドのコラボが盛んに。この頃から海外でもハローキティ人気が高まりました。
「2005年に、台湾のエバー航空とのコラボレーションで、ハローキティジェットが就航しました。航空機にハローキティが大きくプリントされたことが、海外への認知度拡大に一役買ったのかなと思っています。
ほかにもスワロフスキーなど、ワールドワイドに展開するブランドとのコラボ商品が生まれました。日本だけでなく海外で販売されたことも、世界的に人気が広がる要因だったと感じています。同じく2000年代以降、海外セレブたちがハローキティグッズを身に付け、その様子がメディアで報じられるという流れが起こったことも印象的な出来事でした」
今では130の国と地域で、年間約5万種類もの商品が展開されているといいます。イギリスでは英兵スタイル、ハワイでは日焼けしたデザインなど、それぞれの国を感じさせるハローキティグッズも。海外旅行の際は、その国や地域のハローキティグッズを探してみるのも楽しいですね。
かわいいのにどこかシュール?
ハローキティの変身スタイル
海外限定のハローキティもありますが、国内でも“ご当地キティ”を旅行先の至る所で見かけますよね。なかには山梨名物のほうとうから顔を出していたり、熊本の阿蘇山を背負っていたり……。一部のファンのあいだでは「キティちゃんは仕事を選ばない」なんて声も!? かわいいけれどどこかシュールなところに、大人も心を動かされるのかもしれません。
ハローキティは、いつからさまざまなものに“変身”するようになったのでしょうか?
「初めてハローキティが変身したものは、実は『ハチ』なんです(笑)。きっかけは、ハローキティの担当デザイナーがファンに向けてサイン会を行っていたときです。あるファンの女の子から『キティちゃんはハチになったらかわいいと思う』と言われたそうで。そこからハチになったハローキティをデザインしてみよう、ということで1998年に誕生しました」
「ほかのキャラクターだったらやらないようなデザインに変身するなど、常に新しいことにチャレンジし続けるのがハローキティかなと思います。多様なコラボレーションをして、みんなを驚かせたり、アップデートし続けたりするのが、ハローキティの魅力ですね。
サンリオのキャラクターたちは『みんななかよく』という言葉を届け、人と人とを繋ぐために生まれてきています。そのなかでもハローキティは、自身の活動やチャレンジを通して、『世界中のみんなとなかよくなりたい。みんなの笑顔が見たい』というメッセージを届け続けているんです。サンリオそのものが大切にしているメッセージを、ハローキティがたくさんの人に届けてくれています」
過去も未来も想像できる
50周年のロゴをデザイン
50周年アニバーサリーのロゴは、赤いリボンに青のオーバーオールを着た、いつもの見慣れたハローキティのスタイルで描かれています。このデザインにした意図は?
「デザイナーによると、『1人1人が抱いているハローキティ像はきっとさまざま。そのなかで、ポップカルチャーのアイコンとしてのハローキティを表すために、オーソドックスなデザインを選んだ』とのことでした。
このロゴマークを見たときに、例えばおばあちゃんにぬいぐるみを買ってもらったなという過去のハローキティとの記憶を思い出したり、これから先の未来に、自分の子どもにグッズを買ってあげたいなと思ったり……。キティとの思い出や未来を思い浮かべていただくきっかけになればうれしいですね」
また2024年は、50周年アニバーサリーを記念してさまざまなイベントを開催!
・全国のサンリオショップをキティが“巡業”?
50周年アニバーサリーイヤースタートとともに、ハローキティがファンに直接会うため、日本全国のサンリオショップ100店舗を回るチャレンジ企画。めざせ100店舗! だいすきなみんなに会いにいくよ!『ハローキティ50周年全国ツアー』。
「『アニバーサリーイヤーに改めてありがとうを伝えたい』というキティの思いから、キティとお友達との出会いの原点でもあるサンリオショップを回ることを企画しました。グリーティングや撮影会、館内をキティが練り歩くなど、各ショップにより内容はさまざまです」
・ハローキティが「MAISONdes」に入居し楽曲をコラボ
“どこかにある六畳半アパートの、各部屋の住人の歌”をコンセプトに、楽曲ごとに「歌い手」「作り手」を替えて発表し、Z世代に絶大な人気を誇る「MAISONdes(メゾン・デ)」。音楽配信サービスでのストリーミング総再生回数6億回、SNSでの楽曲総再生回数50億回を超える、今もっとも注目されている音楽プロジェクトです。今回、なんとハローキティが新たな入居者に!
「3月22日に、キティがMAISONdes の1101号室へ入居し、新曲をリリースしました。作詞・作曲はトラックメイカーである原口沙輔さんが担当。ポップコーンの歌でお馴染みの『ハローキティ』をサンプリングした楽曲をお届けしますよ」
50周年となる2024年は、ほかにもさまざまなイベントが企画されているそう。そのほか、今しかゲットできないグッズもたくさん販売されています。昔好きだったという人も、今も大好きという人も、キティちゃんとの思い出に浸りながら、50周年をお祝いしてみてくださいね。
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