第17回 「お洒落」が服を着て歩いているような男が知り合いにいる/燃え殻「もの語りをはじめよう」連載

ink_pen 2026/1/19
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第17回 「お洒落」が服を着て歩いているような男が知り合いにいる/燃え殻「もの語りをはじめよう」連載
燃え殻
もえがら
燃え殻

1973(昭和48)年神奈川県横浜市生まれ。2017(平成29)年、『ボクたちはみんな大人になれなかった』で小説家デビュー。同作はNetfliexで映画化、全世界に配信、劇場公開もされ、大きな話題に。小説の著書に『これはただの夏』、『湯布院奇行』エッセイ集に『すべて忘れてしまうから』『夢に迷って、タクシーを呼んだ』がある。

第17回 「お洒落」が服を着て歩いているような男が知り合いにいる

「お洒落」が服を着て歩いているような男が知り合いにいる。彼の仕事は古着の買い付けなどで世界を飛び回る、服のバイヤー。

 彼はブランド物もファストファッションも程よく混ぜて着こなし、音楽にも映画にも詳しい。元々、建築家を目指していたので、そちらの知識も豊富だ。

 一度一緒に、帝国ホテルに行ったときにも、入ってすぐにある天井や壁について長々と語り尽くしていた。「へー、すごいね」という言葉も途中で使い果たし、一緒に来なければよかったと思ったほどだ。

 そんな彼の一人暮らしの自宅に、先日初めて行く機会があった。場所は中目黒の高層マンション。部屋に入ると、白を基調とした家具、薄いブラウンのカーテン、高そうな現代アートが壁に飾ってある。石鹸のような匂いがほのかに香った。本棚には洋書と写真集。全部が間違いなかった。

 その日は、彼の知り合いを何人か呼んで、彼が手料理を振舞うという食事会だった。レストランのようにテーブルには、フォークとナイフが並んでいる。

 彼が作る料理もまた洒落ていた。「モロッコ料理に凝っててさ」彼は当たり前のようにタジン鍋をテーブルに置く。鶏もも肉とにんじんなど、野菜のタジン煮込みだと説明してくれたが、「ほお〜」と言う言葉しか出てこない。

 それに、ひよこ豆のハラリという、「何語?」という料理が僕の前に置かれる。

 他の参加者たちは、何度も食事会に参加しているらしく、この状況に慣れている様子。「お、今日も美味そうだ〜」と、絶対に経済的余裕があるであろうふくよかな男性が、当たり前に全員の皿に取り分けていく。冷えたオレンジ色のシャンパンでとりあえずの乾杯。そこで簡単な自己紹介が始まる。

 一人ひとりが、名前と仕事、それに最近のオススメのレストランなどを言い合う。「貴族の戯れ」そんな言葉が脳裏に浮かんだ。

 そのときだ。白を基調としたその部屋の壁に、漆黒の物体が「カサカサカサ……」と出現した。PCのマウスくらいの大きさ(気持ち的には!)のゴキブリが一匹、縦横無尽に壁を行き来している。参加者たちが、「ギャーッ!」「ワーー!」とパニック映画のように、声を上げて逃げ惑う。

 そこに新しい料理が盛られた皿を持った彼が現れる。彼はマウス級のゴキブリを目視で確認した瞬間、「うああああああっ!」と大声を出し、持ってきた皿を床に落としてしまった。「ガシャアアンッ!」と派手に割れる大皿。参加者たちはその音にも驚き、また「フンギャーーッ!」とさらに悲鳴を上げた。

 絵に描いた大惨事だ。なんとか大量のティッシュを使って、僕と初対面の男性とで、巨大ゴキブリは退治したが、参加者全員、通夜くらいのテンションとなり、あのラグジュアリーな空間に戻ることは二度となかった。

 高円寺の古いアパートに住む友人がいる。彼は二十年間くらい無職だが、公的、私的、ヒモ的支援を受け、楽しそうに毎日を生きている。服は春夏秋冬だいたいTシャツ一枚にジーンズ。寒いとそこにダウンを羽織る。そのダウンは、相当昔(二十年前くらい)に僕が、彼の家に忘れていったものだ。

 彼の住むアパートは、築五十年以上。平家の六畳一間。風呂はなく、共同シャワーがあるのみ。土壁で、どこからか常に隙間風が吹いている。ゴキブリどころか、トカゲやムカデも、公道かのように、自由に行き来している。

 ある日、彼の部屋に、いつも通り立派なゴキブリが現れた。こたつに入って、涅槃のポーズの僕の視界の先に、黒光りした立派な大きさのゴキブリが見える。友人もこたつに入りながら、ゴキブリの存在に気づいている。「おい、いるぞ」僕はそう告げる。彼は落ち着いた口調で、「一緒に暮らしてるんだ」と答えた。「なるほどな」なんの引っ掛かりもなく、僕はそう返していた。

 彼に「なぜ働かないのか?」と聞いたことがある。「働きたい人らの中に、俺がいると邪魔になる」とピシャリ。そのときも僕は、「なるほどな」と答えた。それなりに生きてきた。あと何百年もこの世にいるわけではない。流行り廃りの移り変わりに付き合うのにも疲れてきた。そろそろ、動じずに生きていきたい。

【燃え殻「もの語りをはじめよう」】アーカイブ

イラスト/嘉江(X:@mugoisiuchi) デザイン/熊谷菜生

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