絶滅が危惧される鉄道車両 第3回 国鉄形特急電車189系・485系ほか
いまほど新幹線の路線が延びていなかった当時、各地を走る在来線はシルバーに輝くJNRのマークを誇らしげに付けた特急電車で賑わっていた。直流電車の183系、185系、189系、381系。そして交直流電車の485系、489系、寝台電車の583系などである。これらの電車は「国鉄形特急電車」と呼ばれ、JRとなったあとも長年にわたり、在来線の“主役”として活躍してきた。
そんな国鉄形電車も、2010年ぐらいから淘汰が始まった。特に北陸新幹線が開業した2015年以降、その動きは一気に加速。一部の車両を除いて、残る編成数が一ケタという車両が増えている。小さいころには、こうした特急電車に憧れたという方も多いことであろう。そこで本稿では、ごくごく希少となりつつある国鉄形特急電車のいまを追った。
【歴史】こだま形151系(20系)から特急形電車の歴史が始まる
終戦後、しばらくの間は特急列車といえば機関車が客車をけん引して走る客車列車が当たり前だった。そんな特急列車の姿を一変させたのが、1958年に登場した20系電車である。20系はその後、1959年から車両称号が151系となり東海道新幹線が開業するまで、「こだま」「つばめ」の列車名で東京〜大阪間を走り続けた。
151系はその後、勾配区間に強い153系(東京・上野〜新潟間を走る特急「とき」)、161系(特急「とき」151系の派生タイプ)、181系(山陽本線や信越本線の特急などに使用)と進化していく。車体の色はクリーム色に赤色。運転台は視界を確保するために高い位置に設けられ、先頭部には電動発電機などを内蔵したボンネット(同タイプはボンネット形などと呼ばれた)があるのが特徴だった。
ボンネット形は1972年に登場した183系から姿が大きく変わる。運転台こそ高い位置にあったが、貫通トビラを設けるために、先頭部分が平らな姿となった。この姿は、その後に生まれた特急形電車にも踏襲されていく(正面の形は当時“電気釜”とも呼ばれた)。
信越本線の横川駅〜軽井沢駅間の勾配区間で、EF63形電気機関車と協調運転を可能にした189系。交直流電車481系〜489系の中期タイプからも、車両の正面がこの形になる。ちなみに特急形交直流電車は、日本列島の東西で異なる電源周波数に合わせて481系、483系、共用が可能な485系、碓氷峠(うすいとうげ)での協調運転を可能な489系(前期形はボンネット形)が登場。ほかに、寝台電車583系、振子式の381系が生み出されていった。
JRとなって以降、前述した特急形電車はJR四国を除く各社に引き継がれた。しかし、JR北海道、JR東海、JR九州の国鉄形特急電車はすでに消え、残っているのはJR東日本、JR西日本のみとなった。そのうち、最も多くの車両が残ったのがJR東日本だった。まずは、このJR東日本の国鉄形特急電車の現状を追ってみよう。
【現状その1】主に中央本線の波動輸送に貢献する189系
信越本線の碓氷峠でEF63形電気機関車との協調運転用に作られた189系電車。北陸新幹線開業(当初は長野新幹線の名称で路線開業)後も、信越本線、中央本線で末長く使われ続けた。編成数こそ減ってしまったものの、2017年2月現在で4編成が残る。いまでは、週末や連休時の臨時列車、団体専用列車など“波動輸送用”の列車として使われ続けている。残る4編成はみな車体の色が異なるので、それぞれを紹介しよう。
水色を基調にした旧あずさ色のM50編成、クリーム色と赤色に塗り分け、国鉄特急色のM51編成、白地に緑と赤のラインが入る旧グレードアップあずさ色のM52編成。このM50〜M52の3編成は豊田車両センターに配置されている。
残る1編成は長野総合車両センターに配置された189系で、旧あさま色(窓部分がグリーン)のN102編成だ。189系は2017年に入ってからも、中央本線などでの運用に頻繁に使われており、それぞれ鉄道ファンの人気が高い車両だ。
この189系の行く末はどうなるのだろう。189系の今後は、新型のE353系の量産化が大きなカギになると思われる。E353系は、2015年7月に量産先行車が登場した。1年半にわたり試運転が続けられているが、量産化が遅れている模様。そのため「スーパーあずさ」として使われているE351系の使用期限が延び、E257系「あずさ」「かいじ」も移動がなさそうな気配だ。
現時点で189系が185系に変わることも考えられず(最高速度などで185系は劣る)、房総地区用も含めE257系の増備も報告されていない。予断は許されないが、E353系の量産化が軌道に乗るまで、189系は生き延びるのではないだろうか。
【現状その2】485系、583系の運命はいかに?
3月4日のダイヤ改正で消えていきそうなのが485系交直流電車だ。485系は2010年ごろから急速に減り始め、残るはJR東日本の485系のみ。ほとんどの車両が車内など大きく改造されている。もっともオリジナルに近い形だった仙台車両センターのA1・A2も、2016年6月にラストランを迎え、8月に廃車となった。
残ったのが新潟車両センターの485系だ。この新潟車両センターの485系は、特に正面の形が大きく変わり、オリジナル車の面影はない。2000年前後に大きくリニューアルされた車両で、3000番代と区分けされている。とはいえ、特急形電車の風格も残しており、ほとんどの485系が消えたいま、鉄道ファンの人気も高い。
そんな3000番代の最後の職場は糸魚川駅〜新潟駅の快速列車。その役割も3月のダイヤ改正時に、通勤・通学用のE129系電車に引き継がれることになった。2017年3月3日、とうとう485系はラストランを迎える。
残る485系はジョイフルトレインに改造された車両のみとなる。形式は同じとはいえ、生粋の485系とは姿形が大きく異なる。長らく列島を走り続けた485系は、ここで終焉を迎えたと見るのが順当だろう。
車両好きの鉄道ファンにとって、国鉄形特急電車の中で、いま最も気になるのが583系電車の動向ではないだろうか。583系は1968(昭和43)年に登場した特急形電車で、昼は座席、夜は座席部分を2〜3段ベッドに変更できる寝台電車だった。大量輸送を必要とした時代の申し子的な車両である。
最盛期は各地を結ぶ寝台特急として使われたが、活躍の場が急速に減り、2012年3月に急行「きたぐに」を最後に定期運行が終了。残すはJR東日本の秋田車両センターの6両1編成となっている。
この最後の1編成は頻繁に使われ、主に東北地域と首都圏を結ぶ夜行団体列車として運行されてきた。2017年1月末には、団体用の臨時列車として東北と関西の間を往復。この走りがラストランだったとする声も鉄道ファンの間では聞かれる。とはいえ、2月8日現在、JR東日本から583系引退という公式な発表はない。
歴史的な車両でもあり、人気な車両だけに引退となればJR東日本から何らかの動きがあるものと思われる。車歴もかなりになるが、少しでも長く走り続けて欲しい車両である。
【現状その3】最後に残るのはJR東日本185系とJR西日本381系?
これまで見てきたように、非常に珍しくなりつつある国鉄形特急電車。だが、一部に多くが残りいまも活躍している車両がある。それがJR東日本の185系とJR西日本の381系だ。
185系は1981年に運用開始。国鉄が最後に造った優等列車用の電車だった。特急列車に使われつつ、その合間には湘南ライナーなどの通勤列車としても使うことも考慮されていた。首都圏に配備、東海道本線や高崎・上越線を走る特急として長年、使われ続けてきた。そんな185系も、2014年3月に特急「草津」「あかぎ」での運用が終了。臨時列車を除き、定期運用は東海道本線を走る特急「踊り子」のみとなっている。
この185系、特急形電車として風貌が、少々おとなしい印象がある。そのせいか鉄道ファンからの注目度もずっと低めだった。とはいえ、他線区で余剰となった車両との置き換えも取り沙汰されるようになってきている。今後は、注目度もアップするのではないだろうか。
最後はJR西日本の381系。381系はカーブの多い路線用に開発された振子式の直流特急形電車で、1973年〜1982年に製造された。曲線区間で車体を傾け走るシステムは、列車のスピードアップに貢献。しかし、381系で取り入れられた自然振子式と呼ばれるシステムは、決して乗り心地という面で評価が高くなく、その後に生まれた振子式車両は、制御付き自然振子式や車体傾斜方式に改められている。
JR東海に引き継がれた381系はすでに引退してしまったが、JR西日本に引き継がれた車両は、多くの線区で活躍した。紀伊半島を走る特急「くろしお」、北近畿地区を走る特急「こうのとり」「まいづる」などに使われた381系は国鉄特急色にぬられ、人気も高かった。
そんな両地区の381系も、2015年10月に運用が終了。現在では、岡山駅と出雲市駅(島根県)を結ぶ特急「やくも」のみが381系の活躍の場になってしまった。この「やくも」に使われる381系は大幅にリニューアルされ、座席は特急「サンダーバード」683系と同じものに交換されるなど、大幅にグレードアップされている。車体も“ゆったりやくも”塗装となっている。
高い位置に運転台を持つ国鉄形特急として、いまや貴重な存在となりつつある381系。後継車両の導入もしばらくはなさそうで、その雄姿がしばらくの間は楽しめそうだ。