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2019/6/8 17:30

花も景色も列車もみんな絵になる「わたらせ渓谷鐵道」10の秘密

おもしろローカル線の旅42 〜〜わたらせ渓谷鐵道(群馬県・栃木県)〜〜

群馬県の桐生駅と栃木県の間藤駅(まとうえき)の間を走る「わたらせ渓谷鐵道」。沿って流れる渡良瀬川の渓谷美と、彩る自然の美しさが味わえる鉄道だ。

 

この路線、乗って巡ると、いろいろなことに出会えて実に楽しい。同路線の魅力は渓谷美だけではないのだ。乗車時間は片道1時間半、見どころいっぱいのローカル線の旅を楽しんでみよう。

 

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↑人気列車「トロッコわっしー号」。1両がトロッコタイプ、もう1両が通常車両という組み合わせで主に土日や観光シーズン、桐生駅〜間藤駅間を2往復する。写真は上神梅駅(かみかんばいえき)で。同駅の駅舎は国の有形文化財に登録される(詳細後述)

 

↑大間々駅(おおままえき)に停まる上り下り列車。現在、普通列車にはこげ茶色の「わ89-310形」と、左の「WKT-500形」の2形式が使われている

 

【わ鐵の秘密①】JR両毛線と線路を共用して走る区間がある

わたらせ渓谷鐵道(以降、「わ鐵」と略)の路線は、元国鉄の足尾線である。国鉄の分割民営化の後にJR東日本の路線となり、その2年後の1989(平成元)年の3月29日にわたらせ渓谷鐵道に移管され、第三セクター鉄道となった。

 

すなわち今年で、わたらせ渓谷鐵道となって、ちょうど30周年を迎えた。

 

路線の概要を見ておこう。

路線と距離わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線/桐生駅〜間藤駅44.1km
開業1911(明治44)年4月15日、足尾鉄道により下新田連絡所〜大間々駅間が開業、1912年に足尾駅まで延伸、1914年、間藤駅が開業
駅数17駅(起終点を含む)

 

17世紀から銅の本格的な産出が行われた足尾鉱山。鉱山で産出された鉱石の輸送のために足尾線は造られた。当初は足尾鉄道という民間企業の路線として始まる。銅が重要な戦略物資だったこともあり、1913(大正2)年には国が借り入れ、1918(大正7)年には買収されて、国鉄足尾線となった。

 

↑わたらせ渓谷線の起点、桐生駅。北側にある1番線が専用のホームとなる(写真左上)。同路線では交通系ICカードが利用できない。そのためホームに設置の簡易改札機にタッチすることが必要となる

 

足尾鉄道という会社により線路が敷設された路線は、歴史をひも解くと下新田(しもしんでん)連絡所から線路が敷かれたとある。桐生駅とこの連絡所との間はさて? 下新田連絡所とは、現在の両毛線の路線上の下新田分岐と呼ばれる信号場のこと。下新田駅近くに同信号場がある。

 

桐生駅と隣の下新田駅の間には、渡良瀬川を流れている。この川には両毛線の渡良瀬川橋りょうが架かる。

 

両毛線はすでに1889(明治22)年に開通していた。足尾鉄道にとって新たに橋りょうを造ることは、重荷だったのだろう。同区間を共用させてもらうことで足尾鉄道は開業したのだった。その後、両線とも国鉄の路線となった。JR東日本に移管され、さらに足尾線がわたらせ渓谷鐵道に移管されたのちも、開業当時から長年、続けられてきたように、同区間の共用が続いている。

↑わたらせ渓谷線の列車は、桐生駅を出て間もなく渡良瀬川を渡る。これが同列車にとって、はじめての渡良瀬川との出会いとなる。このあたりは、流れも緩やかで、上流域とは景色もかなり異なっている

 

ちなみに桐生駅〜下新田信号場間は複線区間だ。だが、桐生駅から延びる1本の線路は、下新田駅近くにあるJR東日本の高崎総合訓練センターへのアクセス線として利用されている。

 

共用区間の線路は複線なのだが、運行は単線のみ使うシステム。渡良瀬橋りょう上では両毛線の上り下り列車と、わ鐵の上り下り列車ともに同じ線路を走るという不思議な光景に巡りあう。

【わ鐵の秘密②】東武線との乗換えは相老で、では上毛電気鉄道は?

桐生駅の1番線を発車したわ鐵の列車は、前述したように渡良瀬川橋りょうを渡り、最初の駅、下新田駅(しもしんでんえき)に停車する。この駅はわ鐵のみの駅で両毛線の列車は駅のすぐ目の前を通過していく。

 

下新田駅を発車、すぐに列車は右に大きくカーブする。ここからわ鐵専用の路線となる。下新田駅が、わ鐵本来の旅のスタート地点といって良いかも知れない。全線単線、非電化の路線が間藤駅まで延びる。

 

次の相老駅(あいおいえき)で、東武桐生線の電車と乗換えることができる。相老駅には東武鉄道の特急「りょうもう」も停車する。ちなみに東京都内、北千住駅から相老駅間まで1時間50分ほど。ほど良い乗車時間で到着することができるわけだ。相老駅には有人窓口もあり、わ鐵の一日フリーきっぷ(1850円)などの購入も可能だ(自動販売機でも購入できる)。

 

↑相老駅の跨線橋から眺め。手前、1番線と2番線ホームがわ鐵用。さらに左の3・4番線が東武鉄道桐生線のホームとなる。右の1番線に駅舎があり、窓口でわ鐵と東武鉄道の乗車券や特急券の販売が行われる。跨線橋からは上州名物の赤城山を望むことができる

 

東武線とは相老駅で接続がされているのだが、さて西桐生駅〜中央前橋駅間を走る上毛電気鉄道との乗換え駅はないのだろうか。わ鐵の相老駅〜運動公園駅間で、上毛電気鉄道の線路と立体交差しているのだが、残念ながら両線の乗り換え可能な駅がない。

 

もし両線を乗り継いでの旅を、という場合には、桐生駅と西桐生駅間を歩くか(徒歩約4分)、わ鐵の運動公園駅と上毛電気鉄道の桐生球場前駅の間を歩くか(徒歩約5分)をお勧めしたい。どちらの駅間とも幸いそれほど遠く離れていない。

 

 

【わ鐵の秘密③】トロッコわたらせ渓谷号は大間々駅発となる

車内からわたらせ渓谷を楽しめる列車として人気があるのがトロッコ列車。わ鐵では2種類のトロッコ列車を走らせている。気動車2両で運行しているのが「トロッコわっしー号」で、こちらは、わ鐵の全区間、桐生駅〜間藤駅間を往復する。

 

一方の「トロッコわたらせ渓谷号」はディーゼル機関車が客車4両(うち2両が窓のないトロッコ車両)を牽いて走る。機関車が客車を牽いて走る列車ということもあり、旅情をより楽しめる、加えて静かな客車ということで人気がある。

 

↑大間々駅構内にある検修庫で待機するDE10形ディーゼル機関車。客車と同色にしたDE10形と国鉄原色カラーのDE10形の2台が「トロッコわたらせ渓谷号」を牽引する

 

とはいえ問題も。路線の起点の桐生駅や、東武線との乗換駅、相老駅からは直接この列車に乗ることができない。「トロッコわたらせ渓谷号」は大間々駅(おおままえき)〜足尾駅間(特別な日のみ運行区間が変更される場合があり)を走る列車なのだ。

 

これは機関車が牽引する列車のため、終点に到着したら機関車を後ろから前に付け替えする作業が必要となる。いわば機関車を“機回し”できる駅が必要となるわけだ。そのため大間々駅〜足尾駅間という区間のみで運転されている。

 

運転区間が限定される「トロッコわたらせ渓谷号」だが、心配はご無用。上り下り列車とともに、大間々駅〜桐生駅間を走る接続列車が運転されている。「トロッコわたらせ渓谷号」を利用の際は、この接続列車を上手く利用したい。

 

ちなみに上毛電気鉄道の駅であり、東武桐生線の終点の赤城駅と、わ鐵の大間々駅は歩いても15分ほど(約1km)と意外に近い。

 

↑客車と同カラーのDE10形が牽引する「わたらせ渓谷号」。客車は「わ99形」という形式で、旧国鉄の12系客車と京王電鉄の旧5000系を改造したトロッコ車両が使われる。同列車に乗車の際は乗車券に加えてトロッコ整理券(510円)が必要となる

 

↑神戸駅(ごうどえき)の花桃が美しい4月序盤の週末に運転された「花桃号」。同列車のみ通常時とは異なり桐生駅始発で運転された。この列車では国鉄原色カラーのDE10形が牽引役として使用された

【わ鐵の秘密④】途中駅にも見どころ遊びどころが盛りだくさん!

大間々駅を発車すると列車は急に緑に包まれるように走り出す。渡良瀬川の流れも線路に近づいてくる。それまでの車窓風景とはまったく異なる光景となる。

 

「トロッコわたらせ渓谷号」は大間々駅発だが、同駅からの運転は、こうした車窓風景の変貌ぶりを見ると、“正解”なのかも知れない。

↑大間々駅〜上神梅駅間の桐原地区は桜の名所としても知られている。4月初旬〜中旬ごろはご覧のような光景に。場所は間坂踏切近くで、大間々駅から徒歩で17分ほど。駅前の観光案内所でレンタサイクル(無料)を借りて往復すると便利

 

大間々駅を発車すると春先に桜が見事な桐原地区を抜ける。その先で、渡良瀬川が右手に見え始める。次の上神梅駅(かみかんばいえき)までは、駅間が5.1kmと長い。渓谷が間近に楽しめる区間だ。

 

わ鐵の路線には名物駅が多い。上神梅駅もその一つだ。古い木造駅舎が残っている。1912(大正元)年築の駅舎。昭和初期に増築された建物で、古い駅舎の残り趣ぶかい。この駅舎は、2008(平成20)年に国の登録有形文化財になった。駅のホームに連なるように桜並木があり、春は撮影に訪れる人が多い駅でもある(山あいにある駅なので、開花時期はやや遅め)。

 

↑上神梅駅の木造駅舎。木で造られた改札口など、よく残っていたな、と感心させられる。地元の人たちによりきれいに掃除され、木のベンチにお手製のクッションが置かれていた。入口には「新元号 令和」という墨書きされた書が長く掲示されていた

 

上神梅駅の次の駅が本宿駅(もとじゅくえき)だ。ここは渡良瀬川が目の前に流れる渓谷沿いの駅。ホームからは階段を使って国道122号へ登る。駅近くに列車と渡良瀬川を絡めて撮影できるスポットがあり訪れる人も多い。

 

この本宿駅の次の駅が水沼駅だ。この水沼駅、駅舎内に「水沼駅温泉センター」がある。次の列車を待つ間にひと風呂が可能だ(大人600円)。露天風呂からは渡良瀬川を望むこともできる。

 

↑わ鐵のホームに設けられた水沼駅温泉センター。次の列車を待つ間に入浴、さらに列車が到着してから、ホームに出て行っても余裕で間に合う便利さが魅力だ。館内にはお食事処や売店もあり。タオルの販売もあり手ぶらで訪れても大丈夫だ

 

ホーム横に温泉センターの入口があり、湯から上がったらフロントでひと休み。列車が入ってきたらホームへ、ということができる。春先は駅近くの桜並木が美しく、写真を撮る人で賑わう。

 

↑中野駅はホーム一つの小さな駅。東京都内にある中野駅と同じ駅名で、読み方も同じだ。駅名の元になった中野という地名は珍しくないと見えて、上田電鉄にも中野駅(長野県)がある。ほか上総中野駅、陸中中野駅、信州中野駅と頭に地域の名を付けた中野駅が各地にある

 

水沼駅を出ると、「うさぎと亀」の唄の発祥の地に近い花輪駅、さらに中野駅、小中駅と小さな駅に止まりながら列車は北へ向かう。

 

 

【わ鐵の秘密⑤】神戸駅(ごうどえき)の名物といえば?

桐生駅からちょうど1時間で神戸駅に到着する。「神戸」と書いて「ごうど」と読む。「こうべ」という良く知られた駅名があり、そちらの駅との混同を防ぐために国鉄時代は神土と表記した。しかし、駅名の「ごうど」は同地区の地名だったこともあり、わたらせ渓谷鐵道となった年に「こうべ」と同じ漢字の「神戸駅」に改称している。

 

↑駅周辺だけでなく、神戸駅近くの線路沿いの花桃も美しい。最盛期には撮影に訪れる鉄道ファンで賑わう。車両はトロッコわっしー号

 

この神戸駅の名物といえば花桃。春には駅とその周辺に植えられた300本の花桃が紅色に染まる。開花する時期には「花桃まつり」が開かれ、駅前駐車場には多くのブースが設けられ様々なイベントが開かれる。

 

花桃とならび同駅の名物になっているのが構内の「レストラン清流」だ。元東武鉄道のデラックスロマンスカーだった特急「けごん」として走った車両の1720系中間車2両を利用、車内を食事施設に改装したものだ。

 

同レストラン、舞茸ご飯定食(1230円)やきのこカレー(820円)などが人気だ。料理は味に定評あり、食事時は列車利用の人だけでなく、ドライブ途中に立寄る人が多い。下り列車(主に午前中に走る列車)が駅に停車している間、弁当や軽食、カレーパンの販売も行われる。レストランに立ち寄る時間がない時には便利だ。

 

↑上りホームに設けられる「レストラン清流」。元東武の特急用車両1720系の中間車の車内がレストランとなっている。舞茸天そば(820円・左写真)など山里の味が楽しめ人気に。営業時間は11時〜16時30分、4〜11月は無休、12〜3月は月曜休(休日の場合は翌日休)

【わ鐵の秘密⑥】全長5km以上の草木トンネルはなぜ造られた?

神戸駅を発車すると花桃の並木を見つつ、間もなく長いトンネルへ入る。

 

このトンネルは草木トンネルと呼ばれる。ローカル線では異例な長さ、5242mもある。しばらく直線路が続くトンネル内を、最新車両のWKT-500形が約5分でかけ抜けた。

 

↑神戸駅近くの花桃の並木を通り抜け、草木トンネルへ入るトロッコわっしー号。坑内は新幹線などと同じ造りのスラブ軌道になっていて、最新車両は、このトンネル内を高速で走り抜ける

 

なぜ長い草木トンネルは造られたのだろう。

 

渡良瀬川は古くから氾濫が多く、下流域に住む人々を悩ませた。こうした渡良瀬川の治水のため、また需要が高まる首都圏の水利用のため、1977(昭和52)に草木ダムが造られた。草木ダムを造ることにより生まれたのが草木湖だった。当時の足尾線は、この草木湖の湖底に沈んでしまう区間があった。そのために草木トンネルを通した。トンネルはダムの開設よりも早く1973(昭和48)年に開通している。

 

旧路線は現在の、草木湖の東側を走っていた。途中には草木駅という駅もあった。この地区は大半が水没したものの、神戸駅側と沢入駅側の一部が地上部に残り、旧トンネルなどは遊歩道になっていて、廃線めぐりが楽しめる。

 

 

【わ鐵の秘密⑦】沢入駅〜原向駅間の渡良瀬川の眺めが秀逸

「沢入」と書いて「そうり」と読む。何とも難読な駅名だ。草木トンネルを通り抜けると、第一渡良瀬川橋梁を走り、わ鐵としてはじめて渡良瀬川の対岸へ。下り列車に乗車すると、これまで渡良瀬川をひたすら右手に見てきたが、同駅から次の原向駅(はらむこうえき)までは、列車の左側に川を見て走る。

 

沢を入ると言う名の通りに、沢の険しさが増していく地域だ。

 

沢入駅を出発すると列車は川の流れを縁取るように左へ、または右へとカーブしつつ走る。線路の横に立つ「勾配標(勾配を千分率で標示した標識)」には25.0‰(パーミル)とある。つまり1000m走る間に25m登るという坂道の傾斜表示だ。25‰という傾斜は鉄道の路線にとってかなりの急な坂にあたる。

 

そのため列車は、スピードを抑え、坂を徐々に登って行く。

 

↑沢入駅〜原向駅間は路線のすぐ横に渡良瀬川が流れる。同区間は川に沿って走る国道122号や民家が対岸の樹林に隠れた位置にあり、車窓から見えるのは川景色のみとなる

 

沢入駅から原向駅間では渡良瀬川の渓流の眺めが存分に楽しめる。沿って走る国道や民家が見えない区間のため、そのぶん自然が色濃く感じられる。

 

この区間、渡良瀬川を見ると大小の岩とともに、川岸には柱状節理と呼ばれる岩が柱状なった独特な形の岩々を眺めることができる。間藤行きの列車は特に坂を登りつつ走るので、こうした光景をじっくり眺めることができる。

 

列車は笠松トンネルを越えると栃木県に入る。県境を越えると視界が徐々に開けていき、民家が建ち並ぶ原向駅へ到着する。

 

 

【わ鐵の秘密⑧】足尾の中心部は足尾駅でなく通洞駅近くにある

県境を越えた地域は栃木県日光市。2006(平成18)年までは足尾町だったが、合併して日光市となった。日光といえば、日光東照宮がある歴史の街というイメージが強いが、現在は、東は鬼怒川温泉や今市、西は足尾までと関東地方では最大の面積を持つ市で、全国でも高山市(岐阜県)、浜松市(静岡県)に次ぐ全国3位という面積を誇る市となっている。

 

わ鐵では日光市に含まれる駅が4つある。同地区は旧足尾町だったので、町の名前そのものの足尾駅の近くが町の中心なのでは、と勘違いされやすい。実際は足尾駅の一つ手前、通洞駅(つうどうえき)近くに町の中心がある。

 

↑足尾観光の目玉となっている「足尾銅山観光」。トロッコ電車(左上写真)に乗車して坑道を700mにわたり見ることができる。銅資料館などの施設も併設される。開館時間9時〜16時30分、無休。入館料820円(大人)

 

旧足尾銅山の坑内をトロッコ電車に乗って見て回る「足尾銅山観光」。400年にわたる鉱山の歴史を見て学ぶことができる施設だ。この施設も通洞駅が近く、駅から徒歩5分の距離にある。ほかに古河足尾歴史館も駅から近い。

 

 

【わ鐵の秘密⑨】足尾駅の構内で保存されている車両群は?

通洞駅に比べると足尾駅はトロッコわたらせ渓谷号が到着した時間帯以外には閑散としている。かつて足尾駅は、足尾線の拠点だった。駅の趣はわ鐵の駅の中でも一番でないだろうか。筆者は足尾駅の造りが気に入っている。

 

私と同じように魅力を感じる人が多いのだろうか。駅舎を見に、そして写真を撮影に訪れる人を多く見かける。

 

↑1912(大正元)年に開業した足尾駅。駅名の表示やなだらかな屋根の形、傍らに立つ丸いポスト、背景の緑と、絵になる駅舎だ。駅周辺を歩くと、今は使われていない列車運行用の諸施設、国鉄職員用の社宅跡など、緑に埋もれるように建っている

 

↑キハ35系(左)を含み気動車や貨車、貨車移動機が計9両の足尾駅に隣接した敷地に保存されている。キハ35系が停められる場所の横には元貨物用のホームと上屋が設けられる。この上屋は最近、改装されたようできれいだった

 

さらに駅構内に隣接して、気動車や貨車、そして入れ替え用の貨車移動機など計9両の車両が保存されていた。車内などの公開も年に3回ほど設定されている。車両は駐車スペースに隣接して置かれているので、外からでもその姿を十分に見ることができる。

 

同車両群は保存車両を中心とした博物館の創設を目指し、集められたもの。そのためにNPO法人足尾歴史館・トロッコ部が設けられた。現在は同法人が解散となり、あしおトロッコ館として再出発している。通常は仕事を持つ鉄道ファンがみな手弁当で行ってきた保存活動だけに、保存車両の状態などを見るにつけ、その難しさが感じられた。

 

 

【わ鐵の秘密⑩】終着駅・間藤駅の先はどうなっている?

さて起点の桐生駅から1時間半。終点の間藤駅(まとうえき)に到着した。手前の通洞駅、そして足尾駅に比べて、さらに閑散とした印象の駅だ。山の入口の駅という趣が強い。

 

しかし、この駅が終点とはいうのには中途半端な感じがあるのだが。

 

↑わたらせ渓谷線の終点間藤駅。駅前広場の展望台から撮影した全景。二ホンカモシカが見える駅がうたい文句で、展望台は二ホンカモシカを見るためのもののよう。現在は日光市の中心部へ通洞駅発、同駅経由の市営バスが1日に6往復、走っている(写真右上)

 

足尾鉱山が盛況だった時代、この間藤駅の先に足尾本山駅という貨物駅があった。間藤駅は当時、旅客列車の終点となっていた駅で、貨物列車はこの駅から1.9km先に入った足尾本山駅を目指した。

 

↑間藤駅の先には26.7‰を示す勾配標が残されている。この先、急勾配のため蒸気機関車が一気に登ることができなかった。そのため、当時の間藤駅はスイッチバック構造となっていて、貨物列車は一度、バックしつつ、この先にある足尾本山駅を目指した

 

間藤駅の先、県道250号線を少し北へ歩いてみた。線路は間藤駅のすぐ先で途絶えているが、駅の先、600mほど歩くと、県道を横切る踏切の跡と、線路が残っている。渡良瀬川の上流、松木川に架かっていた鉄橋も、橋脚そして橋桁がしっかりと残っている。

 

蒸気機関車が走っていた時代は、間藤駅構内はスイッチバックをして登る構造の駅になっていた。そして先にある足尾本山駅を目指した。

 

↑間藤駅から約500m歩いた県道250号線沿い、元踏切から見た線路跡の光景。地元のお店のご主人のご好意で、先にある第二松木川橋りょうを写す(左上写真)。重量のある貨物列車を走らせる鉄橋だけに頑丈に造られていたことがその姿からもわかる

 

間藤駅の先には足尾銅山が栄えたころの面影を残す社宅跡なども残されている。鉱山として栄えた当時と比べれば、現状は寂しい限りだが、近代日本の基礎を築いた足尾の町を歩くだけでも、過去の繁栄ぶりをわずかに偲ぶことができる。

 

わたらせ渓谷鐵道では間藤駅から足尾本山(同駅の構内は入れない)まで廃線跡をたどるツアーをたびたび開催している。通常は入ることができない廃線跡やトンネル内を、係員が同行することにより巡ることができる。廃線巡りが好きの方にぜひお勧めしたいツアーだ。

 

↑旧足尾線の最奥部の風景。鉄橋の左側に足尾本山駅があり、構内に古河機械金属の製錬所があった。同写真は2009年に撮影したもの。10年前は製錬所周辺の山々は木がまばらだったが、現在は植樹が進み、緑が戻りつつある

 

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