【世田谷線の謎⑨】速いシャッター速度では表示器が撮れない
下の写真はカメラのシャッター速度を500分の1で撮影した写真だ。あれれ、表示器の文字がきれいに写っていない!
世田谷線の行先表示器にはLED表示器が使われている。LED表示器全般に共通するのが速いシャッター速度では、きれいに写せないこと。難しいのはこのシャッター速度ならば大丈夫という目安がない。表示器のメーカーや導入時期により、表示する速度がさまざまに違ってくるからだ。
平均すると250分の1以下で撮影できるLED表示器が多い。一方で世田谷線のLED表示器は125分の1以下といった、かなり遅めのシャッター速度が必要になる。そのために走っている電車のLED表示器をきれいに撮影することが、かなり難しい。
LED表示器まで含めてきれいに撮影したいという場合は、世田谷駅などに停まっている電車が撮影しやすい場所を選んで撮ることをお勧めしたい。
もしくはズームレンズを利用した「ズーム流し」を利用すればきれいに撮れる。本サイトでも一度、紹介しているのでぜひともチャレンジしていただきたい。
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さて楽しんできた世田谷線の旅。わずか5kmの路線なので、片道ならば18分で終点まで着いてしまう。観光スポットに立寄りしても半日あれば十分だろう。余った時間をどう使おうか、と迷われる方もおられるかと。
そんな方にお勧めなのが玉川線の廃線めぐりだ。二子玉川駅を起点にして、玉電の砧線の跡を歩くことができる。
【世田谷線の謎⑩】二子玉川から砧へ向けて走る線路の跡は?
砧(きぬた)線は二子玉川駅(当初は玉川駅)と砧駅(後の砧本村駅)を走った路線。世田谷線が開業する1年前の1924(大正13)年、多摩川の砂利採取のために路線が設けられた。砂利採取が禁止された後は、旅客専用線となり、1969(昭和44)年、玉電の渋谷〜二子玉川間とともに廃止されている。
この砧線の廃線跡のほとんどが車道および遊歩道として整備され、歩くことができる。
二子玉川駅のやや北側、国道246号と交差する中吉通り(なかよしどおり)が東西に延びる。そのすぐ北側の裏手に細い道が延びている。この細い道こそ砧線が走っていた廃線跡だ。通りの案内標には花みず木通り(砧線跡)とあった。
この通りをそのままたどっていくと砧線の痕跡がいくつも見つけることができる。まずは旧中耕地駅。ここには石碑が残っている(上記写真)。その先も廃線あとらしく整備されていておもしろい。
花みず木通り(砧線跡)は途中から自転車道と遊歩道の併用する道となり、左へゆるやかにカーブしていく。都道を渡るとすぐに野川が流れている。そこに吉澤橋が架かる。この橋の上を砧線が走っていた。廃止後には道路橋となり、世田谷区に移管された、と橋の上の案内板にはあった。
さらに歩いていくと、住宅街の道で微妙にY字形に分岐した交差点があった。かつて電車が走っていた線路跡だろうか。推測するだけでも楽しい。
砧線の終点だったのが砧本村駅(きぬたほんむらえき)。ここには旧駅舎らしき木造の建物が残る。路線が存在したころには、この先、狛江市まで延ばす計画もあったのだとか。二子玉川駅からゆっくり歩いて30分。のんびり散策にはちょうどよい距離だった。
帰りは砧本村から出発するバスに乗車する。帰りはバスでラクだなと思ったものの、付近の道路は渋滞しがち。徒歩で30分だった道のりが、バスに乗ったにもかかわらず意外にも20分以上の時間がかかった(通常の所要時間は16分/距離2.5km)。もし今も玉電が走っていたら、10分もかからない道のりだったろうに、「一度、乗ってみたかったな」。そんな思いがふと頭をよぎった。
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