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2019/7/7 17:00

奥州三名湯・飯坂温泉へ走る福島交通の「いい電」10の秘密

 

【いい電の秘密⑧】摺上川沿いに宿が並ぶ新旧風景を見比べる

いい電の終点駅、飯坂温泉駅。駅前からすでに温泉街が始まっていて、温泉情緒が楽しめる。

 

飯坂温泉の起源は古くは日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征までさかのぼるとされる。12世紀に西行法師も立寄ったとされる古い温泉地だ。

 

温泉街には共同湯が点在、湯治場として賑わった。明治後期に、飯坂温泉へ鉄道が通じたことで、より身近な温泉地として訪れる人が増えた。かつての温泉街の情景は古い絵葉書で偲ぶことができる。

 

ここでは現在の温泉街の代表的な風景と、大正・昭和初期の絵葉書と見比べてみよう。

 

↑飯坂温泉駅の目の前に架かる十綱橋から摺上川沿いを望む。飯坂温泉の代表的な風景で、この橋から写した古い絵葉書も多い。現在も川沿いに多くの温泉宿が建ち並ぶ。左は共同浴場の波来湯(はこゆ)で1200年の歴史を持つ共同浴場とされる

 

ゆるやかにカーブする摺上川沿いに温泉街が建ち並ぶ様子は飯坂温泉の代表的な風景として親しまれてきた。

 

下は、約90年以上前の大正から昭和初期と推測される摺上川沿いの光景だ。3〜5階建ての木造の宿が、ぎっしりと建ち並ぶ。川には小舟も係留されている。

 

現代と比べると、建物は近代的なビル建築と様変わりしているが、建物を写し出す摺上川のゆるやかな流れは、100年たっても変わりないことがおもしろい。

↑大正から昭和初期に写されたと思われる飯坂温泉。絵葉書には「十綱橋ヨリ見タル湯野村温泉場」とある。木造の3〜5階建ての宿は、造りも多彩で、現代とは異なる風情を醸し出していた

 

 

【いい電の秘密⑨】芭蕉も浸かった鯖湖湯の新旧風景を見比べる

飯坂温泉は、古くは「鯖湖の湯」と呼ばれた。その名もずばりの名が付いた共同湯「鯖湖湯(さばこゆ)」が温泉街の中にあり名物となっている。

 

1869(元禄2)年には松尾芭蕉もこの湯にはいったとされていたとされる。日本最古の木造建築の共同浴場でもあった。

 

↑飯坂温泉内にある共同浴場、鯖湖湯。現在の建物は明治時代に建った共同浴場を再現した湯で、1993(平成5)年に建て直された。ヒバの香り、御影石の湯船で趣深い。入浴料:大人200円、開館時間:6〜22時、月曜休(祝日の場合は営業)

 

↑大正期のころと見られる鯖湖湯の絵葉書。今とは入口の場所、そして建つ位置も微妙に異なっている。入口に立つ子どもたちの服装が時代を感じさせる。1人はねんねこを着て子守をしているようだ

 

建て替えられたのが平成になってからとはいえ、木造の古い姿を再現した湯屋造りの共同湯があるのは何とも魅力的なところ。ただし鯖湖湯に使われる源泉温度は51度と高めで、やや冷ましているとはいえ、ぬる湯好きにはちょっと厳しいかもしれない。

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