【天鉄展レポート③】気持ち良く感じる1964年からの歴史展開
天鉄展は1964年から鉄道の軌跡を見る催しである。前述したように1964年と2020年と、前後の東京オリンピックイヤーを結びつけ、その間の鉄道の移り変わりを中心に紹介している。
太平洋戦争前後、さらに大正・昭和の鉄道の歴史となると、多くの人が見ず知らずの世界になってしまう。身近さが感じられない。ところが、1964年のオリンピックイヤーは、ちょうど東海道新幹線が開業した年であるし、60歳前後から上の年齢ならば、何らかの記憶が残っている時代にあたる。1964年は、シルバー世代からは、懐かしい記憶を呼び起こすのにちょうど良い年と言えそうである。
【天鉄展レポート④】上野駅はやはり“心の駅”なのです
今回の展示では、52階の中側を回る「内周」と窓側を回る「外周」の展示に分かれている。さまざまな鉄道関連用品や、鉄道の歴史が主に展示されるのが「内周」である。
さて「内周」の入口。このコーナーに郷愁を覚える方が多いのではないだろうか。
井沢八郎の「あゝ上野駅」という唄が耳に残っている世代には、当時の上野駅を再現した改札口がやはりお勧めだろう。駅員が中に立つスチールの改札ボックス。その上には発車する列車の時刻を示す木の札がかかっていましたっけ。シルバー世代にとって上野駅はやはり“心の駅”なのかも知れない。
【天鉄展レポート⑤】寝台列車にロマンを感じる方におすすめなのは
1964年は新幹線開業の年でもあり、夜に列車で移動するため、多くの寝台列車が運転開始され、全盛期へ移りつつある時代だった。夕方まで出張先で仕事、夜は寝台列車の食堂車で食べて、2〜3段ベッドで寝て、翌朝、出社という、それこそ“猛烈サラリーマン”ご用達の列車が、当時の寝台列車でもあった。
そんなかつての寝台列車に、ロマンを感じてしまう人にうってつけのコーナーが充実している。
その後、寝台列車の旅は優雅に華やかになっていく。国鉄の分割民営化に合わせて、JR東日本が特急「北斗星」を、JR西日本が特急「トワイライトエクスプレス」を走らせたのは、記憶に新しいところだ。
今回は、大阪駅〜札幌駅間と日本一長い距離を走った記念すべき豪華寝台特急「トワイライトエクスプレス」の、長さ11メートルという原寸大レプリカが、展示された。同列車が走った糸魚川の杉材で造られたものだそうだ。台車をはいていないものの、外から見た限りは木製と感じられず、鋼製車体の本物のように感じられた。乗車した経験がある方は、きっと懐かしく感じられることだろう。
このトワイライトエクスプレスには思い入れがある。小社『トワイライトエクスプレスfan』(学研プラス・ネット書店で販売中)というムック誌を2009年から2016年にかけて計6冊、中心となって制作に関わった。
取材のための乗車経験も複数回あり、沿線で列車が走行する姿を数か月に渡って、北へ西へと追っかけた。残念ながら2015年3月12日に実際のトワイライトエクスプレスは定期運行を終えてしまった。そんなこともあり、レプリカとはいうものの、懐かしい車両に、久々出会ったような気持ちになった。
さて実物に触れる機会が多かった筆者としては、懐かしくもあり、食堂車「ダイナープレヤデス」などを見ると、今ふうに言えばそれこそ“インスタ映え”する車両であったことを実感する。
今回のモックアップは、車内に立ち入れなかったのがちょっと残念だった。天鉄展が終わったあとは、同レプリカは、糸魚川駅構内にある「糸魚川ジオステーションジオパル」で保存展示されるそうだ。
【天鉄展レポート⑥】これぞ究極!こだわり展示にどっぷり浸かる
つい思い入れがある列車に注目し過ぎた。他の展示も見ていこう。今回の天鉄展は、展示品のセレクトに関して、かなり思い入れが強いことが分かる。見せ方もざん新に感じられた。写真でいくつかの例を見ていこう。
懐かしい列車のヘッドマークの展示の中で、裏側を見せる展示には意表を突かれた。さらに下記のように今はなきレアな駅名標の展示も、うれしく感じた。
今回の天鉄展のアンバサダーであり、また熱心な鉄道ファンとして知られる中川家・礼二さんは、JR各社の制服の展示が興味深かったと話す。
「JR7社の制服がズラリとならんでいて圧巻。JR貨物の制服まで展示されている、なかなかレアですよね〜」とうれしそうに語るのだった。