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2019/12/1 18:00

西日本唯一の臨海鉄道線 —「水島臨海鉄道」10の謎

おもしろローカル線の旅57 〜〜水島臨海鉄道(岡山県)〜〜

 

岡山県の倉敷市内を走る水島臨海鉄道。臨海鉄道を名乗るものの貨物列車の運行とともに、旅客列車を走らせる珍しい鉄道会社である。

 

水島臨海鉄道は西日本で唯一の臨海鉄道だ。路線開業時の歴史を含め、謎やあまり知られていない事実が多い。乗って、訪れれば発見が楽しめる、そんな路線だ。今回は、倉敷市駅と三菱自工前駅間を走る水島臨海鉄道の謎発見の旅を楽しんだ。

 

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↑球場前駅付近を走るMRT300形。水島臨海鉄道の主力車両だ。現在6両が走る。ほか旅客用の車両には、JR久留里線を走っていた国鉄形気動車が使われる

 

 

【水島臨海鉄道の謎①】戦時下、路線の開業は謎に満ちていた

初めに水島臨海鉄道の概要を見ておきたい。

路線と距離 水島臨海鉄道・水島本線/倉敷市駅〜倉敷貨物ターミナル駅11.2km、港東線(貨物線)/水島駅〜東水島駅3.6km *全線単線・非電化
開業 1943(昭和18)年6月30日、三菱重工水島航空機製作所の専用鉄道として倉敷〜水島航空機製作所間が開業
駅数 水島本線10駅(旅客駅のみ・起終点駅を含む)

 

水島臨海鉄道の路線は、太平洋戦争の戦時下に生まれた。戦争遂行のためということもあり、計画されてから路線が敷かれ、開業するまでの期間が非常に短い。1941年4月に三菱重工水島航空機製作所(現・三菱自動車工業水島製作所)が誘致された。早くも11月22日に工場が起工され、1943年4月1日に航空機の製作を開始、6月30日に専用鉄道が敷かれた。

 

路線の起工時期は明らかで無いが、ほぼ2年で路線が開業させたのだろう。物資が不足していたとされる時代に、なんとも驚かされる工事の素早さである。

 

現在の倉敷市水島地区には飛行機工場とともに、試験飛行用の滑走路が2本、設けられた。しかし、当時の様子を残した地図を今、見つけることができない。国土地理院のホームページで唯一検索できるこの地方(岡山及び丸亀)の20万分の1の地図(1944年修正版)では、水島のこの地域が真っ白のままで印刷されている。軍需工場だったこともあり、工場があること自体「軍事上の秘密」だったわけだ。倉敷市の歴史資料整備室でも調べていただいたが、やはり戦時中の地図は見つからなかった。

↑水島港に隣接する西埠頭駅(廃駅)。この写真の右手に水島航空機製作所の飛行場(第一滑走路)があったとされる。現在は、大小の工場が連なる一帯となっている

 

戦時下、しかも軍需工場ということもあり機密扱いだったせいだろう。三菱重工水島航空機製作所では、爆撃機の一式陸攻、戦闘機の紫電改を生産していた。1945(昭和20)年6月22日に水島空襲があり、工場は全半壊、壊滅状態に陥った。しかし、空襲前に近くの亀島山の地下に巨大な工場を設け、生産機能を疎開させ、航空機の生産を続けようとしていたとされる。空襲および、こうした施設の突貫工事により、多くの尊い命が犠牲になったことが伝えられている。

 

戦争は、いかに壮大な無駄を生み出すものであるかが良く分かる。軍需工場用に造られた専用鉄道だったが、戦後は一転して復興、そして工業地帯の整備に活用された。

↑水島臨海鉄道の港東線の一部は、戦前の資料によると水島にある王島山から土運び用の線路だったとされる。資料にはトロッコと添え書きされているので土砂を運ぶための簡易鉄道線が設けられたことが推測できる。当時、水島港を越える鉄橋も設けられた

 

↑現在の水島駅の西方向にある亀島山(かめじまやま)。山の下に広大な地下工場が設けられた。掘られたトンネルの長さは全長2055mもの距離があったとされる。水島航空機製作所の機器類などが分散疎開された。左上写真は散策路の入口にある案内。現在も地下工場跡が残されるが、通常時は非公開
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