【明知鉄道の不思議⑨】明治・大正時代の建物が多く残る明智
終点の明智駅の近くには、大正時代の面影を色濃く残す建物が多く残る。そのため町の一角を「日本大正村」として売り込んでいる。
たとえば中心となる建物「日本大正村役場」は瓦葺き寄せ棟造りの2階建て木造洋館で、元は1906(明治39)年築と古いもの。1957(昭和32)年までは旧明知町の役場として使われていたそうだ。
隣接する元小学校跡は絵画館として使われている。そこまでの小道は大正路地と名付けられる。石畳が敷かれ趣ある坂道だ。町内に大規模な開発の手が入らず、手付かずだったために、こうして古い町並みが残ったのだろう。駅からは、この日本大正村役場までは徒歩で5分ほどなので、訪れた時はぜひ足を向けてみたい。
大正ロマン村への入口には「大正村浪漫亭」という施設もあり、レストランやカフェ、ショップもあって、ひと休みに最適だ。
【明知鉄道の不思議⑩】明智の町で見かけた「へぼ」って何?
さて明知町内をぶらりと歩いていて、とても気になる看板を見つけた。「ヘボあります」という店先にかかげられた看板。さて「ヘボ」とは何だろう?
「ヘボ」とはクロスズメバチの子だそうだ。「ヘボ」は海の無い東濃では貴重なたんぱく源として珍重され、甘露煮や味飯にして食べられた。「へぼ料理」という呼び方もあるそうだ。
かつて筆者は岐阜県と山続きの愛知県側で、同じく蜂の子「ヘボ」を食べ、ハチを追う風習があることを聞いた。その方法はまず、クロスズメバチに紙片付きの肉団子をくわえさせることから始まる。翔んだハチをみんなで追い、巣を見つけるのだという。これがこの地方の昔ながらのレジャーになっている。巣を見つけたならば掘り出して、ごちそうとしていただくのだそうだ。
明智駅がある恵那市内では、巣をさらに自宅で大きく育てる風習があるのだとか。秋には巣の重さを競うコンテストも開かれるそうだ。
ローカル線の旅をしていると、こうした地域限定の言葉や、風習に巡りあうことがある。これがローカル線の旅のだいご味と言って良いのかも知れない。ヘボの話を聞いた時に、では、といってご相伴に預かったのだが、いただいた記憶は残念ながら忘れてしまっている。果たして美味しかったのかどうか、今となってはまったくの謎である。
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