【松浦鉄道の真実⑦】今や貴重な竹筋コンクリート製の福井川橋梁
高校生で混みあっていた列車だったが、次の清峰高校前駅(せいほうこうこうまええき)でほとんどが下車してしまった。駅名に高校名が付くことからも分かるように、近くには県立高校がある。松浦鉄道の平日の朝夕は、こうした沿線の学校へ通う利用者が多いことが分かった。高校生が降りた列車は、ローカル線らしい印象がより強まった。
さて清峰高校前駅から2つめ、吉井駅に到着した。この駅もかつて世知原線という支線が分岐していた。構内は非常に広々している。かつて構内に貨車が多く停められていた様子が偲ばれる。
この吉井駅と隣の潜竜ケ滝駅(せんりゅうがたきえき)間は、旧松浦線で最後に開業した区間だ。吉井駅が誕生したのは1933(昭和8)年、潜竜ヶ滝駅(開業当初は潜竜駅)は1939(昭和14)年のことだった。ところが両駅を結ぶ路線は1944(昭和19)の開業と、かなりの時間を要した。なぜだったのだろう?
両駅の間には吉井川、福井川といった河川が流れる。この河川を渡る架橋工事に手間取ったためだった。当時、鉄が枯渇していた。そのため架けられた吉井川橋梁、吉田橋梁、福井川橋梁の3つの橋には鉄筋の代わりに竹が使われたとされる。言わば竹筋コンクリート造りの橋なのである。
当時の竹筋コンクリートの強さを実証する学者の論文もあるが、太平洋戦争後は、手間がかかることもあり、すっかり廃れてしまった。実際に竹が使われているかどうか調査も行われたが、はっきりしなかったそうだ。しかし、こうして残り現役の鉄道橋として使われている。今となっては国の登録有形文化財にも指定される貴重な工法を用いた橋なのである。
【松浦鉄道の真実⑧】最西端の「たびら平戸口駅」はこんな駅
吉井駅を過ぎると、沿線ののどかさが増していく。山間部と縫って走る路線の傍らには田畑が連なる。すえたちばな駅で海(江迎湾/えむかえわん)をわずかに見た列車は、再び山中へ入り、列島最西端の駅・たびら平戸口駅を目指す。
北松浦半島の北西端をかすめるようにしてたびら平戸口駅へ到着する。駅は列島最西端の駅だが、路線はさらに平戸瀬戸に沿うようにしてカーブして駅構内に進入している。駅の西側が列島の最西端の線路となるわけだが、緑濃い樹林に覆われている。車窓から平戸島などの眺望が望めないのがちょっと残念だ。
たびら平戸口駅止まりの列車に乗車したこともあり、駅近くを歩いてみた。平戸島への渡船や平戸大橋が望める田平港へは駅から徒歩約9分、800mほどの距離だ。田平港の目の前に平戸瀬戸があり、漁港らしい趣満点。港には市場もあり、地の魚が楽しめる食堂もあった。
念のため補足すると、沖縄都市モノレール線の那覇空港駅が日本最西端の駅となっている。たびら平戸口駅にしても、那覇空港駅にしても、鉄道好きにとっては最果ての駅まで来たという感慨は、それなりに浮かんでくるように感じた。